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母との思い出

子供のころは幸せだったといつも思います。今が不幸ということではありません。子供時代特有の、守られている幸せです。

私の母は料理は好きではありませんでした。天ぷらを揚げる時には、一つ入れたらサッと飛びのくのが常でした。油がはねるからです。下処理をすればそれほどはねなかったのかもしれませんが、そういうことはあまり気にしない人です。他人が見たらまるでコントでしょう。

それでも揚げ物に挑戦してくれたのは、家族のためです。兄や私の好みに合うように調理してくれました。休日のお昼にインスタントラーメンをよく作ってくれたのですが、私が固めにして、と言うとその通りにします。どんぶりのなかに、ほとんど形を変えずに四角いままで浮いていたラーメン。全く私の希望通りです。

ただ母は、具は一品と決めていたようです。私がキャベツがいいと言うと、キャベツで覆いつくされているし、鳴門がいいと言うと、輪切りにした鳴門が一面に載せられていました。焼き飯やうどんを作ってくれるときは、いつも玉ねぎのみです。

今なら、もっと色々入れればいいのに、と思いますが、あの頃はそれで満足でした。味はおいしいし、お腹もいっぱいになったからです。栄養は夕飯のときに考える、ということでしょう。父はお刺身が大好きだったので、それさえあれば文句も無しです。

おやつによく食べたものは、プリンゼというゼリーです。イチゴミルクの味がしました。缶詰に入っていたのですが、一缶の中身を、兄と二等分にしてくれました。また食べてみたかったのですが、もう販売していません。残念です。

その他はココナツサブレとか、マリービスケットとか、今でもあるものです。一度、兄がプリンを作ってほしいと言ったのに、それができなかったことがあります。プリンの素を使ったのに、なぜかホットケーキみたいなものが出てきたのです。

母はうまくできなかったから焼いたと言っていましたが、そのまま焼いたのか、粉を混ぜたのかはわかりません。それでも私はおいしかったので、おいしいね、と言ったと思うのですが、兄はプリンじゃない、と怒っていました。その時の私は、兄が怒る理由がわかりませんでした。おいしいのに、どうして怒るのかなと思ったのです。今ならわかります。兄はプルプルのプリンが食べたかったのでしょう。

忌野清志郎さんの「デイドリームビリーバー」を聴くと、当時を思い出します。好きな曲の一つなので、ピアノでもよく弾きます。本当に幸せな子供時代を過ごさせてもらえました。ありがとう。


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