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暗黙知と理科

 こんにちは。今回は暗黙知に関する記事となっています。暗黙知とは,読んで字のごとく暗黙のうちに知っていること,すなわち言葉では直接表現できない知識を指します。ではそんな暗黙知は,理科とどのように関わっているのでしょうか。

 今回この記事は,Science Education Book Club in Japanの活動の一環として,オンライン読書会で読んだ本の内容と参加者による議論をまとめたものです。2020年の2冊目の本は,“Science Education An International Course Companion”を読み進めています。

 私はこの読書会にて,対象本のchapter10,”Tacit Knowledge in Science Education -The role of intuition and insight in teaching and learning science-”を担当させていただきました。それでは,本題に入っていきましょう。

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本章の概要

 本章の著者は,ロンドン・キングスカレッジのRichard Brockです。彼は本章にて,自身の研究内容である暗黙知について,理科教育におけるその関連性や重要性について論じています。

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※画像の出典
https://www.kcl.ac.uk/people/dr-richard-brock

 本章の内容は大きく分けて3点,「暗黙知とは」「理科学習における暗黙知」「理科学習における直観と洞察」から構成されています。それぞれの概要について,以下に示します。

 まず,「暗黙知とは」についてです。暗黙知とは「言葉で直接表現できない知識」であり,例えば,非言語的な形(音声や視覚)で符号化された知識やヒューリスティック(無意識な経験則)などが挙げられるとを述べられています。
 次に,「理科学習における暗黙知」についてです。Brockは,暗黙知は理科学習に明確な影響を及ぼすことを指摘し,学習の転移を促すことを考慮したならば,従来重視されてきた明示的な知識や手続きをこなすだけでなく,暗黙知に着目した理科学習を展開すべきであると提案しています。
 最後に,「理科学習における直観と洞察」についてです。Brockは,上述した暗黙知に着目した理科学習を実践するにあたって,学習者が暗黙知を獲得するために「直観」と「洞察」を促す学習をデザインする必要があると指摘します。なお,直観とは,言語化できない知識や法則によって学習内容を理解することであり,洞察とは,学習内容を理解する際に突然無意識的に概念間の理解が促進されることであると述べられています。

 以上が本章の概要になります。それでは,「暗黙知とは」からみていきましょう。

暗黙知とは

  暗黙知をはじめて提唱したのは,科学哲学者マイケル・ポランニー(もしくは「マイケル・ポラニー」)であるとされています。暗黙知に関するポランニーの主な文献としては,例えば「暗黙知の次元」などが挙げられます。余談ですが,ポランニーは科学哲学だけでなく,医学や自然諸科学,社会学や経済学など,様々な学問領域で多大な研究成果を残しており(大崎,2009),まさに知の巨人といえるでしょう。

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※画像の出典
https://www.beanthinking.org/?p=2762
https://sorae.info/030201/2018_11_08_geosafari.html

 ポランニーは,「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる」と述べ,言葉で直接表現できない知識である「暗黙知」の存在を指摘しました(Polanyi, 1966)。これは,私たちが持っている知識を他者に説明しようとする際,その知識に関する全ての内容を言語によって表現することができないことを示しています。

 なお,突然ですがここでこの先,本章の内容をみていく上で注意しなければいけない点があります。それは,暗黙知とは,「絶対的に言語で表現することができない知識のみを指す」のか「適切な語彙や表現技法を選択できないため言語で表現することができない知識も指す」のか,という点です。結論から述べると,どっちを指しているのかはわかりません。本章にはどちらの立場をとるのか明記されていませんし,先述した「暗黙知の次元」においても,前者っぽい書かれ方はしているものの,後者の可能性を排除する記述がなされていないため,明確ではありません。したがって,本記事では,両者を考慮することを前提にして進めることにします。このことにより,いくらか混乱を招くかもしれませんが,この混乱をきっかけとして,みなさんが暗黙知に興味をもってくだされば幸いです(?)

 それでは,本章の内容に戻りましょう。

 私たちは,しばしば他者から「○○って何?」,「○○ってどうやるの?」といった説明を求められても,言葉でうまく表現することができないことがあります。この原因として,Brockは暗黙知を挙げ,人は持っている思考や知識に常に意識的にアクセスできるわけではないと述べています。また,このことに関連する知見として,「人の認知資源は有限であり使用に制限がある」といった認知心理学の知見が挙げられます(例えば,眞嶋,2008)。

 では,暗黙知の具体例とはどのようなものが挙げられるのでしょうか。本章ではおおまかに2種類,「非言語な形で符号化された知識」と「抽象化された法則やヒューリスティック」が挙げられています。
 まず,「非言語的な形で符号化された知識」についてみていきましょう。この「非言語的な形で符号化された」とは,「視覚的・聴覚的に符号化された」知識を指します。本章ではこの具体例として,模型による惑星の公転運動の理解が挙げられています。具体的には,学習者が,火星などの惑星の公転運動を模型で視覚的に理解したとしても,それを言葉で再度説明するよう求められると,その詳細を述べることができない,といった例が考えられます。このように,視覚的・聴覚的に符号化された知識は,頭で理解しイメージできても言語化しにくいため,暗黙知となりうると考えられます。
 次に,「抽象化された法則やヒューリスティック」についてみていきましょう。抽象化された法則やヒューリスティック(無意識な経験則)として,例えば「熟達者の方略知」や「無意識な身体知」が考えられます。まず,「熟達者の方略知」とは,熟達者が持つ高度に抽象化された法則に基づき行われる方略に関する知識を指します。具体的には,古生物学者にとっての化石の発見方法などが挙げられると考えられます。私のような素人にとって,化石を発見することはとても難しいことです。たとえ化石がよく採取できるとされる場所に行ったとしても,ただの石と化石を見分けることや化石が出てきそうな場所を特定することは困難であると考えられます。しかし素人とは対照的に,古生物学者が化石を採取できるのは,「どのような場所に化石があるのか」,「どこに着目すれば化石と判断できるのか」といったことが,高度に抽象化された方略に関する知識として符号化されているためであると考えられます。またこのため,素人が古生物学者のような熟達者に,仮にどのようにして化石を発見しているのかを尋ね,いくらかその方略を説明してくれたとしても,その方略知の多くは暗黙知となり,すぐには熟達者のように地層から化石を発見できるようになるわけではないと想定されます。次に,「無意識な身体知」とは,思考や知識を意識せずとも,無意識に行動可能な身体が経験的に獲得している知識を指します。具体的には,自転車の操縦方法などが挙げられると考えられます。多くの人は幼い頃に何度も補助輪のない自転車に乗ろうと訓練することで,自転車を操縦できるようになります。また,一度自転車に乗れるようになると,たとえ長期間自転車に乗らなくとも,自転車を操縦できます。加えて,私をはじめ多くの人は,「どうやって自転車に乗っているの?」と聞かれてもうまく言葉では表現できません。これは,無意識な経験則,すなわちヒューリスティックに符号化された身体に関する知識であるためであると考えられます。
 以上のことから,「非言語的な形で符号化された知識」は,視覚的・聴覚的に理解しているため言語化しにくく,「抽象化された法則やヒューリスティック」は,原理(なぜできるのか)を意識する前に反応を導くことができるため言語化しにくい,と考えられます。

※引用・参考文献

眞嶋良全(2008)「仮説検証における事例選択の変化」,『認知心理学研
   究』,第6巻,第1号,57-63.

Polanyi, M.,(1966), ”THE TACIT DIMENSION”, Routledge & Kegan Paul Ltd.,     London.
   佐藤敬三(訳)(1980)「暗黙知の次元」,紀伊國屋書店.

大崎正瑠(2009)「暗黙知を理解する」,『東京経済大学人文自然科学論文
   集』,第127号,21-39.

理科学習における暗黙知

 では,先程説明したような暗黙知は,どうして理科学習において重要なのでしょうか。詳細は後述しますが,Brockは,暗黙知が欠如した理科学習は,学習の転移(先行学習の理解によって新たな学習の理解が進むこと)を促すことができないと指摘しています。それでは本章の内容をみていきましょう。

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 Brockによると,一般的に暗黙知は,理科を教えたり学んだりする上で重要視されていないと考えられています。実際,理科教育学において,暗黙知に着目した実践や研究は盛んに行われているわけではないでしょう。しかし,Brockは,理科学習における暗黙知の影響は無視できないと指摘します。これはどういうことでしょうか。

 ここで,一般的な理科学習の流れについて振り返ってみましょう。理科学習では大まかに,「問題の見出し → 仮説設定 → 実験 → 考察」といった問題解決学習が行われます。このような問題解決学習において,学習者は一連の手順に従い,明示的な知識(いわゆる,「植物の発芽には,光,水,温度が必要」といった科学的知識)を獲得します。
 Brockは,このように学習者が問題解決学習を進める際に,暗黙知が重要となると指摘します。これはどういうことかというと,問題解決学習の際,教師はしばしばあらかじめ想定した仮説や実験等を提示してしまい,学習者は自身が行っている活動の意味を考えることなく,一連の手順に従ってしまいます。これでは,「なぜこの方法でうまくいくのか」といったことや「仮説を検証するためにはどのような実験をすればよいのか」といった思考をはたらかせる機会が失われ,将来的に先述した「抽象化された法則やヒューリスティック」に関する暗黙知によって円滑に問題解決を行うことができなくなるのではないか,と考えられるのです。また,Brockは,明示的な知識の獲得だけでは必ずしも熟達者のような理解につながるとは限らない,と述べています。これは,先述した「非言語的な形で符号化された知識」に関する暗黙知と関連すると考えられます。どういうことかというと,例えば先述した問題解決学習における「問題の見出し」において,教師が学習者に対して,単に学習の起点となる問題を提示しただけでは,学習者は「なぜこんな現象がみられるのだろう」とは思いません。すなわち,現象が生じている理由を理解しようとはならないのです。したがって,学習者は目の前の自然事象に対して「うまくは言えないけどあのとき見たあの現象に似てる」といった「非言語的な形で符号化された知識」をはたらかせ,その後,暗黙知により不明瞭だった点を解決するために仮説設定や実験に取り組み明示的な知識を獲得することで,熟達者のような現象の理解に到達する,といったことができないのではないかと考えられます。

 以上のことから,Brockは,学習者を単に問題解決学習に取り組ませるだけでは,暗黙知が欠如し,結果的に学習の転移が促されないと指摘します。またこのことから,理科学習は,学習者が熟達者のような暗黙知を獲得できるよう支援するものでなければならないと考えられます。

理科学習における直観と洞察

 では,教師はどのように学習者に暗黙知を獲得できるよう支援すればよいのでしょうか。Brockは,暗黙知が与える作用である,「直観」と「洞察」を促す理科学習をデザインすべきであると述べています。

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 Brockによると,直観とは「意識的な努力をほぼ必要とせずに思考に影響を与える暗黙な勘や感覚」であり,洞察とは「無意識下の処理により突然概念間の新しい関係を認識すること」であると述べています。では,直観や洞察をはたらかせている学習者とは,具体的にどのような姿なのでしょうか。

 本章ではそれぞれの具体はあまり記述されていませんでしたが,本章の内容を基に考えると,以下のような姿が想定されます。
 まず,直観に関する具体例です。例えば,雨上がりにかかる虹をみたとき,「光の屈折」や「可視光線」など,物理学に関する知識を持っている学習者は「雨の後に虹がかかる」という現象がみられる原因を理解することができます。しかし,虹は,これら「光の屈折」や「可視光線」といった要因がいくつか重なることでみられる複雑な現象であり,多くの人は何となく知識を持っていてもとっさに「なんで雨の後には虹がかかるの?」と聞かれると,うまく言葉で説明できない「暗黙知」として理解されている場合が多いと考えられます。とはいえ,そのような人は虹を見た際に,意識せずともなんとなく虹ができた理由を理解できていると考えられます。したがって,このように言語化できない暗黙知を根拠として現象等を理解しているときが,直観がはたらいている状態であると考えられます。
 次に,洞察に関する具体例です。例えば,小学校理科5年「物の溶け方」では,水と食塩の総重量はそれらをまぜた食塩水の重さと同じであることを学習する場面があります。このとき,学習者は,小学校3年「ものの重さ」で学んだ「粘土の総重量は形を変えても変わらない」という現象を想起し,目の前の「食塩水の総重量は変わらない」という現象と関連づけ,「物の重さは不変である」という一般化された質量保存の法則のような概念を急にひらめくことで現象を理解する場合があると考えられます。またこのとき,学習者がなぜ「急にひらめくことができたのか」という原因については,言葉で説明できない暗黙知のはたらきによるものと考えられています。このように,暗黙知によって概念間の関係性が明らかになり明示的な理解に到達するときが,洞察がはたらいている状態であると考えられます。

 では,上述したような直観と洞察を促すために,教師はどのような支援を行えばよいのでしょうか。それぞれBrockは,以下のように提案しています。

 まず,直観の支援として,Brockは,①科学的探究に取り組ませること②科学の本質を教授すること③直観を直接教授すること,といった3つを提案しています。では,それぞれ詳細をみていきましょう。

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 ①科学的探究に取り組ませることについてです。Brockは,学習者に直観を促すためには,まずはなにはともあれ科学的探究(問題解決学習)に取り組ませることを推奨しています。加えて,科学的探究に取り組ませる際に,可能であるならばコンピュータシミュレーションを導入することを推奨しています。コンピュータシミュレーションの導入を推奨する理由は,学習者が自然事象を観察する「問題の見出し」において,学習者が問題を見出しやすくなるような観察事象を,教師が自在にコントロールしやすくし,直観を促すことができるようになると考えられるためです。
 ②科学の本質を教授することについてです。Brockは,科学の本質を理解している学習者は,暗黙知や直観の役割に敏感である傾向がみられることを指摘しています。したがって,科学の本質を教授することは,学習者の直観を支援することに寄与するのではないかと考えられます。なお,科学の本質の詳細について,興味のある方はこちらの関連記事もよろしければ読んでいただきたいと思います。

 ③直観を直接教授することについてです。これはどういうことかと,「直観とはどういうものか」について,直接学習者に教えてしまおうということを指します。ではどのように教えるかというと,Brockは,科学者の直観に関する歴史的な事例を紹介することを提案しています。なお,事例で扱う科学者として,ラザフォード,ワトソン,ニュートン,シュレーディンガーなどが挙げられています。

 以上が直観を促す支援になります。次に,洞察を促す支援についてみていきましょう。

 Brockは,洞察を促す支援として,インキュベーション期間を設けることを推奨しています。それではこの詳細についてみていきましょう。

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 そもそもインキュベーション期間とは,無意識下で暗黙知がはたらく期間のことを指します。すなわち,インキュベーション期間を設けるというのは,「洞察を促すための時間を取ろう」ということを意味していると捉えられます。なぜBrockはこのような提案を行うのかというと,学習者があるタスクに意識的に取り組んだ後,無関係なタスクに取り組んでいる間に洞察が起こったことが報告されているためであると述べています。したがって,Brockは上述の内容を踏まえ,一般的な理科学習と併せて,洞察を促すためのインキュベーション期間を設けるような学習機会を提供することを推奨しているというわけです。
 また,Brockは,暗黙知に着目した指導に洞察を促す支援を導入することを推奨する理由として,これまで述べてきたことに加えて,洞察が学習者の動機づけを強力に高めることも挙げています。確かに,私たちは,洞察がはたらいたと考えられる「ひらめき」や「アハ体験」などを経験すると,気持ちがいいですよね。

 以上が,洞察を促す支援になります。

本章で気になったこと

 これまで本章の内容についてみてきました。最後に,私が気になったことについて少し書かせていただきます。

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 1点目は,直観や洞察の支援は本当に必要なのか,ということについてです。身も蓋もないような表現になりますが,個人的にはどうしても疑問が残ります。本章を通して暗黙知の存在や重要性についてはこれまでよりも理解できましたが,理科学習に関しては,先述したような直観や洞察を重視した支援を行わなくとも,これまでの理科教育学の知見(例えば,学習の転移に関わる「メタ認知」や「推論」といった知見)を活用すれば,十分に問題解決や科学的探究を充実させることができるのではないか,と思ってしまうのです。また,洞察に関していえば,「インキュベーション期間を設けたら必ず洞察が起こるのか?」と考えてしまいます。できるのことならチャレンジしてみる価値はあるかもしれませんが,現状,なかなか洞察を体験させるためだけにこのような時間を設けることは現実的ではないように思われます。
 2点目は,暗黙知の獲得よりも暗黙知を言語化するスキルを育成すべきではないか,ということについてです。本記事の冒頭でも言及したように,暗黙知は「言葉で直接表現できない知識」ではあるものの,語彙や表現方法の不足などによって暗黙知となっているものもあると考えられます。したがって,理科学習では,上述した語彙や表現方法といった言語化できるスキルを育成することを重視すべきなのではないか,と考えます。なお,このような言語化するスキルに関する指導の例として,話型指導が挙げられます。既に多くの学校で取り組まれていますが,例えば,話型指導を重視している学校として,神奈川県川崎市立東菅小学校などが挙げられます。

 以上が,私の本章を読んで気になったことになります。みなさんは,理科学習における暗黙知について,どのように考えますでしょうか。

Acknowledgement

 最後に,読書会で私の発表を基に,有意義な議論をしてくださった,雲財寛先生,小林和雄先生,中村大輝さん西内舞さん,ありがとうございました。

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