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まえだまえだという畳語



リンリンと、どこかで音が鳴っている。


思わずハッとして今自分は何も考えていなかったことを考える。秋の虫の声があちこちから響き渡っている。あたりは真っ暗で歩行中の私の心拍数を測ろうと必死なアップルウォッチだけが緑色に光っている。そうだ。今は帰り道だ。仕事を終え、最寄りの駅から歩いている。


リンリンという鳴き声だけなので風情や心地よさを感じるのだろう。こちらからはモシャッとした草むら全体がスピーカーのように音を鳴らしているように感じるので実物の鈴虫はどこにも見当たらない。実際に生の鈴虫を見つけたところでそのリアルすぎる節足動物みのあるフォルムに正直なところウォッとなってしまうものだ。できるだけ彼らとはこの絶妙に良い距離感を保ちたい。距離感。距離感は大事だ。何事にも当てはまる。私たちヒトにも。

夜の帳が下りる前後に凜々(リンリン)として一斉に鳴き始める様子は秋を感じるには十分すぎるほど美しい。





日中、太陽が燦々(サンサン)と照りつけていたにもかかわらず、暮れには稲妻が轟々(ゴウゴウ)と空気を揺らした。

我々が慣れてしまっただけのことで、地上は本来とてもやかましい場所なのだ。稲妻は爆音を轟かせたのちそそくさと退散するだろうが、日中の太陽はどうだろうか。太陽はどこまでも追ってきて、焼けるような熱と燦々とした光とともに頭上からこう叫んでくるのだ。「SUN!SUN!」


やかましいわ




今回のNHK朝ドラは天気予報士の物語と踏んでいる。毎朝8時14分のバスに乗るので番組の途中で家を出ることになる。そのため内容はおろか、今現在主人公が幸せなのかすら分からない。おそらくこの人と恋をするんだろうな、という見るからに消極的な相手男性は見るたびにシャイな態度なのでドラマ内の時間が進んでいないような錯覚に陥る。NHKの朝ドラは単純に画面左上の時刻を確認するためだけのものではなく、物語が進んでいくにつれてもっと大きな現実の時間のかたまりが、季節そのものが動いていることを実感するためのものでもある。

そこで仕方無く私はまえだまえだ兄に注目することにした。テレビ越しに見るまえだまえだ兄は急速な成長を遂げていて、まえだまえだ兄によって時の流れが手にとるようにわかった。私の日々は着実に進んでいる。

まえだまえだ兄は既に自分の苗字は漢字で書くことができる年齢になっていた。おそらく彼の幼少期は周りの目も気にしたりなんかして、テスト用紙などの名前記入欄には「まえだ」とひらがなで書いていたはずだ。まえだまえだの二人は今や「前田前田」であり、更には大人になるにつれて実は自分たちは「眞栄田眞栄田(マエダマエダ)」でした。なんてこともあるかもしれない。


やかましいわ




海のなかに潜るたびに、本来地上はとてもやかましい場所だったということを思い出す。

海のなかに潜っている時に聴こえるのは、自分の呼吸音だったりトゲアシガニがハサミを鳴らしているパチパチ音だったりする。そこでは電車の車輪の切り裂くような轟音も赤の他人の咳もテレビから流れるニュースキャスターのトーンの変わらない声も何も聞こえない。

伊豆にはダイビングのライセンスを取得して以来ずっとお世話になっている人がいる。こんな時世になってからなかなか訪れることができなかったが、信頼できる知り合いということで世間様の目を盗み会うことができた。

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伊豆の小さなダイビングショップにはまだ何も知らない2年前の私がそこにいた。

このご時世になって会う人は限られてしまって自分の身の回りの世界は手のひらに収まるサイズになってしまった。以前仕事で話したホテルの経営者が「現在新規の予約はストップしていて既存の予約を消化していく日々です。」と残念そうに話していたが、あれは私自身もそうだ。大人になるということは、「自分が歩み寄らなくてもそばにあるモノ、そばにいるヒトが著しく減っていくこと」だ。いずれそうなることが分かっているのにそれなのに、まさかこんな形で、抑えつけられるようにして半径何mの世界が削られていくとは思ってもいなかった。こうなることを知っていれば上記写真のようにダブルピースなんてできない。


そんな中でも残った所謂「既存の予約」だったが、海に潜るだけで心は落ち着き、今地上で起こっていることは嘘のように思える。群れから離れたキタマクラは小さいヒレで必死に泳いでいるし、ウツボはいつだって腹を空かせてこちらを見ている。そしてイソギンチャクは私の頭の上にいる。

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イソギンチャクは私の頭の上にいる??


生来多い私の毛髪は海に潜るといつもこうなる。ファイディング・ニモのキャスティングに私の候補がなかったのが些か疑問である。陸に上がる。重力のせいでこの瞬間が1番体が重たい。普段はこんなに重い体を動かしている自分を褒めたい。まるで異世界にいた気分だ。最後に当ダイビングショップ恒例の写真を一枚撮る。

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次は3人で??


普通このノリはグループの誰かが来れなくなり、その本人に申し訳なさを込めて使う常套句である。「次は◯人で!」はそこに写っている人数より多い数字が当て嵌められることが定石である。減ることある?


東京に帰る。悔しいけれど、私の今の居場所はこの場所である。東京はもう秋だった。連日の雨はより東京らしさを際立たせ冷たい風が吹いている。







リンリンと、どこかで音が鳴っている。

内線が鳴っているじゃないか。誰か取らないと。




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