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世界の終わり #1-14 プレミア

「いぃいいッ、シ、シンッ!」
 男の発した怒声が響き、横たわるぼくの眼前にスタンガンが転がってきた。
 ――なにが?
 なにが起こったのか理解する間もなく、
「白石くんッ!」
 扉のほうから名前を呼ばれた。板野だ。板野の声だ。続けざま暴力的な勢いで空気を切り裂く音と衝撃音が聞こえて、男が咽せるような声をあげた。
「起きて、起きてよッ、お願いだから起きてッ!」
 わけのわからぬまま、板野に身体を抱き起こされて、一変した現状を目の当たりにする。
 男が、
 床に倒れていた。
 顳かみと喉の辺りから血を流して、苦痛に表情を歪めて倒れていた。
「しっかりしてよ!」
 頬を叩かれて、あぁ――、と声がでる。声がでた。
 助けにきてくれたんだ、板野が。板野が男の手からスタンガンを――いや、そうじゃない。最悪の危機からぼくを救ってくれたのは、シンであったようだ。シンは命令に反して、男の喉へ噛みついたらしい。倒れた男の頭上で、口の回りを血で真っ赤に染めて、誇らし気に咆哮をあげている。

 ぼくは、忌み嫌っていたグールに、命を救われたのだ。

「嫌だ。いやだ、もおぉッ。白石くん、起きてッ!」
 後方へ身体を引き摺られて男との距離が開いた。男がヨロヨロと立ちあがる。顳かみから流れる血が顔の半分を真っ赤に染めている。顳かみの傷は板野がつけたものらしく、ぼくを引き摺る板野の手にはゴルフクラブが握られている。
 そのクラブで、這うように近づいてくる男へ追撃を——と願ったのだが、
「嫌ッ!」
 あろうことか板野は男へ向けてクラブを投げつけた。リビングの壁にあたって耳障りな音を響かせ、クラブは床のうえを転がっていく。
「うオォおおおおおおぉおおぉオッ!」男が吼え、投げだされていた棒状タイプのスタンガンへ手を伸ばす。しかし手に取るすんでのところでシンにのしかかられて、バランスを崩し、床に突っ伏した。
 板野!
 ぼくは叫んだ。叫んだつもりで息を吐きだした。ぼくの思考を理解してくれたのだろう――板野は駆けだしてスタンガンを手に取った。
 男にあてろ。
 スタンガンを押しあてろ。
 そう思うも板野は手にしたスタンガンを物珍しそうに眺めて、使用する気配をまったくみせない。なにをやってるんだ、ひょっとしてスイッチを見つけられずに手間取っているんだろうかって苛ついた矢先に、男がシンを押し退けて起きあがった。
 タタタ、と火花を散らすスタンガン。
 うわあと驚いた声をあげつつも、男の身体へ向けて、板野はスタンガンを押しあてる。
「——!」
 あぁあ。
 間にあった。
 声をあげずに男は崩れ落ちる。
 どうにか無事にスイッチは見つかったようで、強烈な追撃を加えることができた。
「起きて、ほら起きてよッ。しっかりしてッ」
 間を置かずに腕をつかまれて、引っ張られて、リビングの床のうえを扉方向へと向けて引き摺られる。男はうつ伏せに倒れたまま静止している。距離が開く。男との距離が開いていく。男のうえにはシンがのしかかり、唸り声をあげている。
 やがてリグングから通路へとでて、磨りガラスの扉が閉じられた。ぼくは扉の前に仰向けに寝かされた。ドアストッパーの代わりにするつもりかよ、なんて皮肉を口にしようと思ったけど、座りこんだ板野は身体を震わせて大粒の涙をこぼしていた。
 あぁ――
 ありがとう――と、声にだしていうことができたかどうかわからないけれども、感謝を言葉にして伝える。
「どうして……どうしてよ」顔をさげて、かぶりを振りながら、乱れてしまった長い髪もそのまま、板野は大粒の涙を流し続ける。
 リビングからもれてくる弱い光に照らされて、金色に透けた髪をなびかせる板野は美しかった。本当に。目を奪われるほど本当に美しくて、見目麗しくて、心惹かれたのだが、「どうして〝わたし〟じゃなくて、〝あんた〟が連れ去られるのよッ!」罵るように吐き捨てて俯き、嗚咽をもらしはじめる。
「……あ、あぁ」
 どうして、って訊かれても。

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