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世界の終わり #6-2 メメント モリ



〈 SUV車内 / 佐賀 鳥栖 〉


 SUVは速いスピードで道を引き返している。
 車体は激しく上下し、つかまっていなければ、倒れて起きあがれなくなりそうなほどに揺れていた。
「まだ見えないのか」
 苛立った口調で荒木が問うと、ハンドルを握った天王寺が泣きだしそうな声で、おかしい、こんなはずはない、いい加減出会さなければ変だ、と連呼した。

 筑後川にかかる久留米大橋を渡って、八幡宮の鳥居前の荒れた道を減速しながら通過する。
 ほどなくして見えてくる宝満川にかかった橋を渡ると、地理的には佐賀県内へ。

 五分ほどが経過すると、さすがに荒木もこれはまずいと思いはじめた。

「おい、まだかよ。まだ捜査官から返事はこないのか」
「焦るな」
「電波が届いてないんじゃねぇのか?」
「そんなことは——」柏樹が携帯端末を顔へ近づけるのと同時に、着信音が鳴った。急いで電話にでて耳にあてる。「二宮さん、わかりましたか?」
 電話をかけてきたのは、噂していた二宮捜査官その人だった。
 シートにしがみつくような姿勢で、荒木は聞き耳をたてる。
 天王寺はミラー越しに柏樹の表情を窺い、こめかみ辺りを手の甲で拭う。
 車体が大きくバウンドして、荷台に積まれたダンボールのひとつがシートの背を強く押し、柏樹の声は僅かに裏返ってしまう。「八女(やめ)? 八女市のほうへ向かっているんですか」
「八女?」
「たしかに八女市のほうなんですね?」
「板野らが乗った車は走行してるのか」
 荒木が問うと、柏樹は視線だけを向けて浅く頷いた。
「八女市のどの辺りですか——広川? あぁ、まだ八女市内には入っていないんですね。えぇ、そうです、お願いします。僕も信じたくはないのですが、その車に乗っている板野という女性が、事件に巻きこまれる可能性があるんです。わかるでしょう? 二宮さんなら。えぇ、そうです、そうですよ。不吉な偶然が重なりはじめているんです」

 電話越しに話しているふたりの頭には、共通した映像が浮かんでいるのだろう。以前の九州上陸時に体験した、忌々しい事件の映像が——荒木がそのように想像した直後に、通話は終了した。

「天王寺くん、再度Uターンして、八女市を目指してくれ」
 携帯端末をポケットにしまいながら、運転席へ向けて柏樹が指示する。
「待て、ちょっと待てよ!」SUVの減速を阻止するように荒木が口を挟み、叩きつけるようにしてアームレストへ手を載せた。「板野の乗った車が移動してるってどういうことだ? しかも八女って。かなり移動してるじゃねぇか!」
「速度からして、目的をもって移動しているようだね」
「目的って、どこを目指してんだよ」
「その質問は僕ではなく〈TABLE〉のドライバーにしてくれ」
「あ? あぁ。クソッ、どうなってんだ。〈TABLE〉のドライバーが板野らを連れ去ったっていうのか。なんであいつらがふたりを——」話の途中で口を閉ざし、荒木は表情を引き攣らせて落ち着きなく目を泳がせはじめる。
「——どうした?」
 不審に感じた柏樹が問いかけた。
 荒木は黙ったまま、黒目だけを忙しなく動かした。
「おい。どうしたんだ? 急に黙って」
 必要のないウインカーを点滅させながら車体は中央線を越えて、時計回りでUターンする。
 アクセルが踏みこまれる。
 タイヤが鳴った。
 太陽光が後部座席に乗るふたりの顔をはっきりと浮かびあがらせた。
「荒木くん?」
 シートへ押しつけられるGによって、荒木の顎が意図せずもちあがる。
 荒木は眉根を寄せた険しい表情をみせると、重く、悔いに満ちた声で応えた。
「板野だ。板野の意志だ。目的地を変更させたのは板野だ」
「板野さんが?」
「板野ならできる。というよりも、板野にしかできないんだ。誰も板野には逆らえないんだからな。〈TABLE〉のドライバーが板野を脅して、連れ去ることは絶対に不可能なんだ」
「なに? なんだ、どういうことだい?」
「渡したんだよ。スタンガンを板野に渡したんだ。なにかあったら困るだろうと思って、棒タイプのスタンガンを渡しておいた」
「あ。あぁあ……そういうことか。誰かが脅して目的地を変更させたとすれば、板野さん以外にはあり得ないってことか」
「くそっ。板野のやつ、どうして勝手に行き先を」
「彼女の目的はなんだ?」
「おれに訊くなって」
「長いこと一緒に行動してきたんだろう? 些細なことでもいい、八女方面へ向かう心当たりはないのか」
「それこそ路上で元彼と出会して、一緒に八女へ逃げようとしているとかじゃねぇのか」
「この場所を、この時間に通ることが、元彼にわかっていたはずはない」
「おいおい、あんたが力説する〝起こるべき事件〟と〝偶然の再会〟の話は似たようなものじゃねえか」
「似たような? どこが」
「一緒だろ。一緒だろうが」
「だから、どこが」
「あ、あの。柏樹さん——」ここで、「柏樹さん、すみません」
 ハンドルを握っている天王寺が、申しわけなさそうに割って入った。
「どうした?」柏樹が応え、
 荒木は鋭い視線を運転席へ向ける。
「あの、ひょっとして。ひょっとしてですけど、僕たちが最初に出会ったときから、こうなる運命は決まっていたといいますか、そこへ柏樹さんが〈TABLE〉の本部に向かうというアイデアをもちこんだので、運命がうしろにずれたのではないかって考えたんですけど……」
「うしろに?」
「は? なにいってんだ」
「で、ですから、あの、変わったんじゃないかって思うんですよ、運命が。変わったというか、うしろにずれたんじゃないかって」
「ったく、なにいってんだ」
「シッ、黙って、荒木くん」柏樹が制し、天王寺に続きを語るよう促す。
 天王寺は何度も何度も頭を下げ、それでいてしっかりとした口調で続きを語った。
「は、はい。あの、荒木さんに襲われたとき、僕たちは撮影地を目指していたじゃありませんか。本来ならばあの直後に、いま、直面しているようなことが待ち受けていたのかもしれません。生じてしまったズレが、ここにきて修正されようとしているとしたら、どうでしょうか。だから訊きたいんです。あ、あの、荒木さん? あなたがたは、僕らの車を奪って、そのあと、どこに向かうつもりだったんですか?」
「どこに? どこにって……」勿体ぶった間を開けたのちに、荒木は柏樹の表情を窺いながら問いかけに答える。「車が故障した場所から一〇キロほど先にある商業施設だ。温泉があるって耳にした憶えがあったんでな。うるさかったんだよ、板野が、温泉のある場所に連れて行けって駄々をこねてさ。そこなら場所が山の中だし、軍の連中にも見つかることはないだろうって思ったから——」
「南関のインターチェンジの近くに作られた商業施設か?」柏樹が言葉を遮って尋ね、
「あ? あぁ」困惑しつつも、荒木は頷いて返した。
「ゴルフ場と隣接している施設だな」
「そうらしい。なんだ、やけに詳しいじゃねぇか」
「なるほど。繋がったようだ」満足げな笑みをもらすと、柏樹はポケットの中にしまっていた携帯端末を取りだしてシートに身体を埋めた。
「おい、繋がったって、なにが?」
「天王寺くんがいったとおり、僕の下した判断と行動は、未来を先延ばしさせる結果しか生まなかったようだ」
「あ?」
「結局、避けることはできなかったってことか。残念ながら、きみらの目指していた温泉は、施設がオープンした翌々年に涸れてしまっているよ。行ったところでお湯には浸かれなかっただろう」
「え……そうなのか?」
「たしかな情報だ。詳しく調べたから間違いない」
「調べた? 調べた、って」
「九州入りする前に念入りに調べたのさ。僕が撮影を予定していたフォレストホテルは、きみらの目的地であった商業施設の一角に建っているんだ」
 柏樹は携帯端末を操作して、二宮捜査官の番号を表示した。
「急ごう。彼女はなんらかのかたちで、元彼がフォレストホテルにいることを探り当てたに違いない」
「冗談だろ」
「疑っても構わないよ」携帯端末を耳にあてて進行方向を睨みつけ、柏樹はひとりごちるように言葉を継ぐ。「だが〝方向的〟にはあっている」

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