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善き羊飼いの教会 #1-7 月曜日


〈柊シュリ〉



     *

 庭にでると視界が一気にひらけたこともあってほっとした。
 そこに第三者の姿はなく、人の気配すら感じられなかった。
 スルガさんの見間違いではなかったのだろうか。勘違いでは? そう思いたいのだけれども、もっと安全な場所へ移動するまでは気を抜けない。
「駄目だ、繋がらない」スルガさんがいった。
 スルガさんは手にもった携帯端末を睨んでいた。誰に電話をかけたのだろう。所長か、それとも崇拝しているイチイさんだろうか。「イチイさんですか?」近づいて尋ねてみる。
「ああ。電源を切ってるはずはないから、電波状況の悪い場所にいるみたいだ」
「そういえば」所長との通話時に妙な切れかたをしたことを思いだす。「所長から電話がかかってきたとき、音声がブツブツ切れていました。イチイさんも一緒に行動しているでしょうから、多分――」
「仕様がないな」続きを遮って吐き捨てるようにいい、スルガさんは耳のうしろを掻きながら鈴鹿さんへ身体を向けると、低い声で尋ねた。「今日の行動を誰かに話しました?」
「はいっ?」
「筒鳥署を訪ねて、そのあと研究所へ行ったことを誰かに話しました?」
「い、いえ……」答える鈴鹿さんは明らかに動揺していた。
「そうですか。まあ、いいや。とりあえず車まで移動しましょう」
 素っ気なくいって、スルガさんは歩きはじめる。質問の意図が気になるけれども、緊張と怖れから上手く頭が働かなくて、わたしは右に左に後方に目を配りつつスルガさんの背中を追った。遅れて歩きはじめた鈴鹿さんがわたしを追い抜く。最後尾にされてますます後方が気になったが、誰かや、なにかに出会すことなく、車まで辿り着けた。
「一旦、この場を離れたほうがいいように思うので、調査は中断します」とスルガさん。
 ドアロックが解除され、扉が開かれる。
「乗って」
 指示されるがまま後部座席へ乗りこんだ。
「鈴鹿さんも、早く」
 鈴鹿さんは助手席へ。
「周囲に目を配っていてくださいね」
 本当に誰かが建物の陰から覗き見していたのだろうか。安全に思える〝車内〟という空間に入ることができたからか、スルガさんの言動を疑う気持ちが強くなってきた。実は誰もいなかったのではないのか。調査を中断させる理由が欲しくてついた嘘だったのではないだろうか。だとしたら、どうして嘘を? 理由を考えようとしたところへエンジンがかかり、車が動きだす。敷地の庭でUターンすると思いきや、スルガさんはバックで国道へとでた。そうだ――タブレットのカメラで録画していた動画。動画を確認すればわかる。真相を知ることができる。
 タブレットを操作して、録画していた動画を再生させる。
「どうですか、柊さん。映ってます?」
 ミラー越しにスルガさんから尋ねられた。わたしの行動はチェックされていたらしい。助手席に座る鈴鹿さんが身体を捻ってわたしを見たけれども、視線を無視してタイムバーを操作。
 ティスプレイに表示された、やや傾いだ風景動画。
 ――あぁあ。いる。
 映っている。
 そこに、建物の陰から覗きこんでいる何者かの頭部が映っていた。
「映って……」
「み、見せてくださいッ」
 鈴鹿さんにタブレットを奪われた。
『――無断で侵入を試みる者を、好ましく思わない人物がいてもおかしくはない』
 わたしは顎を引き、両手を膝の上に載せてシートの背もたれに身体をあずけた。
 思いだす。
 思いだしてしまう。
 玄関先でスルガさんが口にした言葉が、頭の中によみがえってくる。
『――所有者でも、管理者でも構わないけど』
 何者であるのかはわからないが、実際にいたのだ。覗いていたのだ。
 その者はわたしたちが建物への侵入を試みようとしていたことを知っていた。気がついていた。
「どうです。映ってますか」スルガさんが問い、
「映ってはいますが……」答える鈴鹿さんの声に動揺がみられた。気持ち背中が縮こまっている。「ピントが別のところにあっているので、顔まではわかりません。でも、います、たしかに、顔をだして、こちらを見ています」
 いやだ。いやだ、いやだ、いやだ。
 見るんじゃなかった。
 確認するんじゃなかった。
 聞きたくない。聞いていられない。こんな会話、耐えられない。
『――殺人を犯して敷地内のどこかに』
 思いだしたくないのに、スルガさんの口にした言葉が脳内再生されてしまう。まさか。そんな。そうなのだろうか? あの建物で。幽霊屋敷で。かつてあの家に住んでいた者の身に……そして行方不明になっている柿本さんたち三人の身にも――
「鈴鹿さんの知っている人物ではありませんか」
「はい?」
 知っている?
 知っている人物?
 問われた鈴鹿さんも不審げな顔で返している。
「覗いている人物の顔をよく見てください。知っている人物ではありませんか?」
 なにを訊いているのだ、スルガさんは。
「ち、ちゃんと、映っているわけではありませんから」
「知人の誰かに似ていませんか」
「スルガさん?」たまらずわたしは口を挟んだ。「知っているはずないでしょう、だって、覗いていた人は――」いやだ。いやだ、また思いだしてしまう。殺人者の話を。そんな馬鹿な話があるものかと否定していたけれども、見てしまった。映像に映っていた何者かの姿をこの目で見てしまった。
「覗いていた者の正体ついては、ひとまず置いておきましょうか」とスルガさん。不安を取り払おうとしてくれているのか、声のトーンが微妙に高く、軽くなった。「今日のところは引きあげますが、今後の調査プランについては明日……できるだけ早く電話でご連絡します」
「え? あ、あの、まだ、まだ続けて調べていただけるんですか」鈴鹿さんが驚きの声をあげた。
「もちろん、そのつもりです。改めて出直しましょう。鈴鹿さんは、明日は大学には?」
「行きます、けど、明日ですか? 明日……明日は、時間によっては電話にでられないかもしれないので、そのときはメッセージを残してもらえれば」
「わかりました。遅くとも夕方までには連絡します。その間に、柿本さんたちが無事に姿を現してくれればいいんですけどね。ぼくが連絡するまで、くれぐれも廃屋には近づかないよう――それだけは絶対に約束してください」
「……は、はい」

 どういうつもりなのか。
 スルガさんは独自の判断で調査続行を決め、鈴鹿さんと連絡先を交換すると、口数少なく車を走らせて、鈴鹿さんを自宅まで送り届けた。
 所長にはなんと説明するのか。調査料はどうするつもりなのか。鈴鹿さんが車から降りて視界から見えなくなるのを待って、わたしは尋ねた。「――スルガさん?」矢継ぎ早に質問する。部下という立場ではあるけれども、黙って見すごすわけにはいかなくて。
 調査のこと。調査料のこと。
 問いに対し、スルガさんは妙に落ち着いた口調で答えた。
 その回答で、わたしはますます混乱してしまう。
「エンブレムの情報を提供してくれたお礼に、可能な限り力になってあげるよう、イチイさんからいわれているんだよ。だから調査は続けるよ。とはいえ、依頼どおりの調査を行うかどうかは、半分YESで、半分NOといったところかな。NOの理由はシンプルで、鈴鹿さんが〝真実を語っていないから〟だ。嘘をついているね、鈴鹿さんは。そもそもおかしな話だろう? お金を心配に思う気持ちはわかるけど、ひとりで警察署を訪ねるなんてさ。無二の親友だからとでもいってくれれば、まあ、頷かないでもないけど、行方不明になっている三人とは、さほど親しい間柄ではない様子だしね」
「ちょっとまってください。鈴鹿さんが、嘘を?」
「登場人物は全員疑ってかかるべし――ミステリーの鉄則だよ。依頼人は自分にとって都合のいいことしか話さないものだからね。車内でタブレットの動画を見ていたときに疑問を抱かなかったかい? 鈴鹿さんの反応に対して。建物の陰からぼくらを覗き見していた人物に心あたりがあるんじゃないのかな、鈴鹿さんは」
「鈴鹿さん……が?」
「酒坂二丁目辺りを走っているとき、ミラー越しに柊さんと何度か話をしたよね。そのときに、うしろを走っているタクシーが、あとをついてきていることに気づいたんだ。尾行されていたんだよ。ぼくら……というよりも、鈴鹿さんがつけられていたんだろう。筒鳥署、研究所、そして廃屋と、ずっと尾行され続けていたんじゃないかな。建物の陰から覗き見していた人物は、その尾行者だと思うよ。私道までタクシーで追いかけるわけにはいかなかったので、おそらく国道でタクシーを降りたんだと思う」
「ま、まってください。国道で、タクシーを? わたしたちは幽霊屋敷の場所がどこなのかもわからない状態で――」最初に目についた山道へ入り、たまたまそこが〝あたり〟の道であったのだ。もしも間違った道へ入っていれば、尾行者は尾行に失敗し、国道に取り残されるはめになっていたはずである。
「移動にタクシーを利用していることからして、尾行者は追跡し慣れていない素人だろうね。準備不足が否めないのに、今日このタイミングで鈴鹿さんの尾行を決行したことを考えると、鈴鹿さんが筒鳥署へ相談に行くことを直前に知ったんじゃないかと思う。相談に行くことは、鈴鹿さんが口にださなければ誰も知るはずないことだから――だから訊いてみたんだ、鈴鹿さんに」
「覗いていた人物の顔に見覚えがないかって?」
「そう。柊さんはどう思う? 柊さんの目に、鈴鹿さんの反応はどう映った?」
「焦り……というか、動揺していたように――」映ったけれども、かくいうわたしのほうが何倍も動揺してように思う。「鈴鹿さんは覗いていた人物に心あたりがあって……あ。ちょっと待ってください、ということは、殺人者がいるかもって話、あれはなんだったんですか」
「え? あぁ、ははは。どうだろう。実際にいたら怖いよねぇ、殺人者A」
「スルガさんッ?」
「ごめん。そんなに怖い顔しないでよ。ま、過去にあの家になにがあったのか、どうして廃屋になったのか、幽霊屋敷と呼ばれるようになった経緯すらわかってないんだから……あぁあ、ごめん。悪かった。本当に悪いと思ってるよ。これから研究所に戻って、撮った映像を確認しよう。それと玄関に貼られていた宗教団体のステッカーについても調べておきたいんだけど、柊さん、調査員として手伝ってくれるかな」
「え?」調査員?「い、いや、でも、電話で所長が――」
「頼むよ。柊さんが頼りなんだ
「は? あ、あ……頼り、ですか?」参った。参ったぞ。所長からいわれた言葉が薄れていく。重みが失われる。駄目だ。そんなことじゃ駄目だとわかっているんだけど、「あ、あの……」頼られると弱い。
 それは長いこと誰にも頼られなかったどころか必要とすらされなかった期間がわたしにはあって、使えない者であるとの認識が、不要な者であるとの認識が強まって、どんどんどんどん強まっていって、気がついたらわたしは家からでられなくなってしまっていて、塞ぎこんでしまっていて、そんな経験の反動から感情が揺れているのだとわかってはいるけれども、
「手伝ってくれるかな?」
「もちろん、お手伝いします」大きく首を縦に振って答えた。
 あぁあ。
 答えた。
 答えてしまった。
「ありがとう。普段の業務とは違う、調査員としての仕事になるけど、よろしく頼むね」
 調査員としての仕事――その言葉にも弱い。わたしは無意識にまた頷いて返している。
『――柊さんが頼りなんだ
 緩んでいる頬を指先で押さえて、口角を隠す。
 押し下げても、押し下げても、頬はあがってきた。

 ――そして夜。
 もっとも重要なポイントである〝調査員〟としての仕事を終えて、わたしは夜の十時すぎに帰宅した。研究所にいたのは七時くらいまでだったが、食事がてら調査の一環で某飲食店を訪れたから、十時すぎになったのだ。樫緒科学捜査研究所で働きはじめてから四ヶ月経つが、今日ほど帰宅時間が遅くなったことはない。はじめてのことだ。
 玄関の扉を開けて、家に入るなり、リビングでテレビを見ていた母に注意された。
 うるさい。
 扉は静かに閉めなさい、と。
「アカリちゃんが寝てるから、静かに歩いて。え。なに。お酒臭い。ひょっとしてのんできたの? 明日もバイトなのに、なに考えてるのよ。誰? 誰とのんできたの? まさかひとりでのんで――ほら、静かに。静かに歩きなさいっていってるじゃない。部屋でテレビを観るなら、音量は最小にまで絞るのよ。ちょっと、聞いてる? 聞いてるの、シュリ? 週末の疲れがとれるようにゆっくり休ませてあげたいから、アカリちゃんに気を使って、静かにね。わかった?」と母。
 声はださずに頷いて答えて、自室まで忍び足で移動する。
 我が家ではアカリが中心だ。アカリを中心にして我が家は動いている。
 部屋に入るなり、倒れこむようにしてベッドにうつぶせた。お風呂にはいらなきゃ。でも寝そう。寝てしまいそう。眠たい。急に強烈な睡魔が襲ってくる。そうだ、アカリからもらったDVDを観なきゃ。でも観たらうるさくしてしまうかもしれない。アカリを起こしてしまうかもしれない。
 静かに。アカリを起こさないように――

 調査員としての活動、初日。
 わたしの意識はここで途切れる。

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