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世界の終わり #6-6 メメント モリ


〈 フォレストホテル正門前 〉


「とんでもないものを引きあててくれたな」
 フォレストホテルの正門前へ到着した二宮ら広域捜査官四名は、現場の状況を目にするなり、銃を抜いて臨戦態勢に入った。
 おおよその話は柏樹から電話で聞いていたが、惨状は想像を超え、建物のほうからは銃声と思われる轟音が鳴り響いている。
「推理ショーを開くんじゃなかったのか?」
 嫌味をこめて二宮が問うと、トラックにもたれ掛かっていた柏樹は苦笑して返した。
「勘弁してくださいよ」
「ここにいる連中と、きみのところのアシスタントは、どういった関係なんだ?」
「板野さんの元彼が……失礼。一度顔をあわせているので、板野さんのことはわかりますよね。彼女の元彼が、なんらかのかたちで関与しているようでして、その元彼から話を聞こうと考えて、板野さんがここへきたのは間違いなさそうです」仏頂面で柏樹は答える。
「元彼の名前は」
「松坂涼(りょう)。植物の松に、坂道の坂。涼は、さんずいに京です。涼しいの涼」
「すぐに調べさせよう」
 二宮はほかの捜査官を呼び寄せ、二、三こと言葉をかわしたのちに柏樹へと向き直った。
「中にいるのは何人だ?」
「ハッキリした数はわかりませんが、〈TABLE〉の者が一名と、僕のアシスタント三名が入っているはずです」
「ほかには?」
「銃をもった連中が何者であって、何人いるのか、そのあたりのことはまったく」
「……わかった。きみは車内に避難しろ。詳しい話はツカハラが聞く。ツカハラ、彼を車の中に。小林も残って保護し、応援要請を頼む。谷沢はわたしと敷地内へ」
 二宮の指示を受け、捜査官が散り散りに動きだす。

 細い銀縁眼鏡をかけた男性捜査官が、柏樹を車の後部座席へと案内した。
 荷台の扉を開いた別の捜査官は、黒い防弾チョッキをふたつ取りだし、ひとつは自分が着て、もうひとつは二宮に手渡した。
「危険と判断した場合は迷わずに撃て」
 二宮はそういうと、防弾チョッキを着た捜査官とともに敷地内へ向けて駆けだした。

 柏樹は深い溜め息をつき、捜査官らが乗ってきた車の後部座席に腰をおろして、洟をすすりながら建物を見つめた。
 銃声が、いまはやんでいる。
 その静けさが逆に恐ろしく感じられ、柏樹は身体の震えをとめるべく、腕を組んでシートに身体を預けた。



〈 フォレストホテル敷地内 〉


 SUVの運転席で絶命している柏樹のアシスタントを確認し、フォレストホテルへ通じる緩やかな坂道に横たわった男性二名の遺体、及び頭部を破壊されたグール一体を確認した二宮と谷沢は、正門横のプレハブ小屋の前で一旦足をとめ、すぐそばで血を流して倒れている男性の元へと駆け寄った。
「——グールに襲われたようですね。〈TABLE〉のメンバーでしょうか。意識はあるようですが、おそらくは、もう」
 屈んで男性の容態をみていた谷沢がかぶりを振り、囁くような声で告げる。
 プレハブ小屋の中を確認したのちに、倒れている男の元へと戻った二宮は、黙祷を捧げるように数秒目を閉じ、「敷地内に入るぞ。警戒を怠るな」力強くいって、鉄条網が途切れている正門へ歩を進めた。
 谷沢はイヤホンタイプのワイヤレスヘッドセットを使って簡潔に状況報告したのちに、腰を屈めた姿勢で二宮のあとに続いた。正門は三分の一ほどが開かれており、鉄柵のあちこちに泥と血の混じった手形がついていた。

 見通しのいい広大な駐車場を挟むようにして、敷地の右側に小売店鋪が建ち並び、左側には荘厳なフォレストホテルが聳えている。駐車場や小売店鋪側の路上には、感染者の死体と思しき横たわった者の姿が複数確認できたが、二宮は躊躇うことなくフォレストホテルのほうへと足を向けた。状態確認を後回しにしたのは、銃を手にした何者かの標的になるのを怖れてのことである。
 屋外に備えつけられた避難階段に一旦身を潜めたのちに、周囲を警戒しながらホテルの裏手へ回りこむ。くすんだガラス窓の向こう側に白い丸テーブルと椅子の並べられた大広間が見えたが、凍りついているかのようにすべてが静止していて、人の気配は感じられなかった。
 さらに歩を進めると、元は庭園だったと思われる荒れ地にでた。
 厚みのある巨大なガラス越しに中の様子を窺う。
 高級なソファーが目にとまる。
 以前は庭園を眺めるラウンジとして使用されていた空間のようだった。
 二宮は一定の距離を保ってあとをついてきている谷沢へ目配せしたのちに、割れたガラスの隙間から身体を滑りこませて、ホテル内へ侵入した。
 ややあって谷沢もホテルに侵入し、自身の左腕の上を這う数匹の蜘蛛を払い落としながら、周囲の様子をくまなく窺う。
 床には菓子の袋と空き缶が散乱していた。
 足元に転がった缶の飲み口からは昆虫の触角らしきものが顔を覗かせていて、ゆっくりと、左右に、風にそよぐかのように揺れていた。
「声が聞こえます」と谷沢。
 二宮の耳にも、低音の男性の話し声が聞こえていた。
「少なくとも、生きた人間がふたりいるな」
「えぇ。男性二名。歳は若くなさそうです。警戒している様子はありませんね」
「そのようだな——行こう」
 ラウンジ脇にある売店跡らしき空間を通って、広いホールへでる。
 左手奥にフロント。通路を挟んでエレベーターホールがあり、その横にも同じ幅の通路が奥へ向かって伸びている。
 男性の話し声は通路の先から聞こえていたように思えたが、両通路ともに、正面のレストランを避けて外側へ折れ曲がっているので、奥の様子は窺えない。
「二手にわかれるか」
「そうですね。上手くいけば挟み撃ちにできるかもしれません」
「念のために、一〇メートル進む毎にボタンで合図を送りあおう」
「はい」
「行くぞ。気をつけろよ」
 谷沢が右へ。二宮は左の通路を選択して、薄暗いホテルの通路を進む。
 二宮は風除室と記された部屋の前を通りすぎると、ガラスで覆われたレストランに注意を払いながら左に曲がり、すぐさま右に折れた。
 カビの臭いが鼻腔を刺激する。
 咳こみそうになるのをどうにかおさえる。
 だんだんと暗くなる通路を二〇メートルほど進んだところで足をとめ、谷沢へ合図を送ったのちに、耳を澄まして、目を凝らした。
 かすかに音が聞こえる。
 通路の先に何者かがいる。
 おそらく、複数。シルエットらしきものの動きをかろうじて捉えることはできたけれども、対象との距離がかなりあるため、何者であるかの判断はつけられない。
 二宮は音をたてぬよう姿勢を低くして前進し、避難階段横に設置された男子トイレの入り口へ身を潜めた。
 僅かに顔をだして通路奥を再確認する——と、三人。どうやら背中を向けて歩いていると思しき人影が、三つ見て取れた。歩調は緩やかで、対象との距離は約十五メートル——もう少し離れているかもしれない。
 二宮は銃のグリップを握り直して、鼻から静かに息を吸いこんだ。
「…………」
 一旦、息をとめ、
 唇を僅かに開いて、
 ゆっくりと口から息を吐きだそうとしたとき、音もなく近づいてきた何者かに、背後から口を塞がれた。

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