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世界の終わり #6-5 メメント モリ


〈 小売店鋪前 〉


「うわぁ……あぁ。こいつ、菊池興産の次長じゃねぇか」
 足元に転がった死体を見おろして、熱を帯びている銃を手にしたナマセは忌み嫌うようにいった。
 次長と呼ばれた男性の頭部には小さな穴があいている。
 皮膚は灰色に変色し、一目見てグール化しているとわかる。
「——ああ。次長だ。ますますカマキリっぽくなってるな、こいつ。っていうか、これでほぼ確定したようなもんだろ。飯田の野郎がしくじって、参加者全員感染しちまったってところだろうな」
 隣に立っていたコウラが、諦めを含んだ口調で語る。
 コウラの手にも黒く輝く重厚な銃が握られている。
「ったく。今後のツアーは中止だなぁ、これじゃあ」
「別にやめることはねぇよ。お前が飯田のあとを引き継げばいいじゃねぇか」
「馬鹿いうな。誰が好き好んでゾンビツアーなんか継ぐか」
「金になるのに」
「なら、お前が継げって。こんな連中に諂(へつら)って仕事するなんてごめんだからな。どんなに報酬がよくても……なんだ、こいつ、時計してねぇじゃねえか。いつも自慢してた高級時計はどうしたんだ?」
「お前、死体から金品奪うつもりでいたのかよ」
「当然だろ。盗らねぇでどうする。どうせこいつらは腐っていくだけの——おっと」
「……!」
 小売店鋪の陰から姿を現したグールへと向けて、ナマセとコウラは同時に銃を掲げる。
 のろのろした足取りで全身を露にしたグールは、上半身が硬直しているのか、たっぷりと時間をかけて正面を向き、濁った瞳の中にふたりの姿を捉えた。
「撃っていいぞ」
「あ?」
「撃てって」
「やだよ。返り血とかかかったらいやだし」
「はあアああ? ふざけたこといってんじゃねえぞ、ナマセ。いいからお前が撃てや」
「いやだって。さっきより、ほら、距離がぜんぜん近いだろ?」
「撃てって。あぁッ、もういいよ、くそが!」
 悪態を掻き消すようにして、一発の銃声が響き渡る。
 左眼の中心を穿った銃弾によってグールはその場に崩れ落ちた。
「おおお。すげえなぁ。その調子で上手いことみんな倒していってくれよ」
「うるせえ。ったく、何体いるんだ? 敷地内に」
「知らねぇけど、一〇体そこらじゃねえのか。敷地の外にも逃げだしてるみてぇだしな。それよりも、さっきのふたりだよ。早いところ見つけだして始末しねぇとマズいぞ」
 小売店鋪の割れた窓ガラスの中を覗きながら、コウラは苛立った声を発した。
 人差し指はトリガーガードにかかっており、誤射しないように気をつけている。
「心配するなって。正門通る以外に逃げ道はねぇんだから袋の鼠だよ。しかしまぁ、市民団体のやつらでよかったじゃねえか。軍や警察だったら、洒落にならねぇからな」
「そうともいえねぇだろ。連中がどうしてここを訪ねたのかがわからねぇうちは安心なんてできるか。とっとと捕まえて、理由を聞きださねぇとな」
「聞くのか、理由」
「聞くだろ。聞かねえのかよ」
「や、どうせ店じまいになるんだろうし、どっちでもいいんじゃねぇのか。とっとと見つけて、始末してさ、できれば今日中に九州をでたいんだけど……無理かな。無理だろうなあ。や、来週の娘の誕生日までに、家に帰れればそれでいいんだけど」
「ははは。娘って。月イチも帰ってねぇくせに、どの口がいってんだ」
「だからいってんだろうが。な、なあ、見るか、うちの史緒里ちゃんの写真」
「いいよ。この前、見たし」
「違うんだって。昨日、ダンスしてる写真が送られてきてさ、それがホントに——」
「だからいいって」
「遠慮するな。すんげぇ可愛いんだから、うちの史緒里ちゃん」
「はいはい。何度も何度も聞いたんで、知ってるから」
「待て待て、ほら、昨日送られてきたのは過去最高にヤバいんだって。もう可愛さが半端なくて——」
「だから、いいって」
「見ろよ。見ろっていってんだろ。ほら、これ。この写真、ほら」
「近ぇえよ! 近すぎて見えねえ——っていうか、なんだよこれ、どれだよ。一〇人くらい写ってるじゃねえか」

 ふたりは戯れあうようにつつきあって、常に口を動かし続けているけれども、侵入者の捜索は見落としがないよう、徹底して行なっている。
 捜索は二グループにわかれて、ナマセとコウラの二名は小売店鋪の周りを、ほかの二名はフォレストホテル内部とその周辺を捜索していた。

「……!」
「おい」
 唐突に銃声らしき轟音が鳴り響いたのは、ナマセらが半分ほどの店鋪を見終えたときだった。ふたりは揃って足をとめると、銃を構えて周囲を見回した。
「サトーたちが見つけたのかな」とナマセ。
「いいや、外のほうから聞こえた気がしたぞ」コウラは抑揚をつけずにいい、フォレストホテル正門のほうへ目を向けて、爪先立ちする。
「外って、敷地の外か」
「正門辺りから聞こえたように思えたがなあ」
「あ。あぁあ……だったら、ツジイが撃ったんだろ。逃げたふたりかグールをよ」
「そう、かもな。あの馬鹿、考えなしに撃つからなあ」胸の位置で構えていた銃をおろして、コウラは不機嫌そうに嘆息した。「どうする。戻って確認してみるか? まあ、あと半分調べれば終わりだから、このまま続けてもいいけどな。っていうか、飯田もグール化したのかどうか確認しとかなきゃならねぇけど」
「あ、そうか。そうだな。ったく、面倒くせぇなぁ。結局、敷地内調べ尽くさなきゃならねえんじゃねえか——っと。おお。また撃ってるよ。やっぱり敷地の外だな。ツジイのやつ、安易に撃ちすぎだっての」
「それより、おい。もう一匹現れやがったぜ」
 コウラが指差した方向——扉が半分ほど開かれた小売店鋪の建物の中から、黒い布の端がちらちらと顔を覗かせていた。
 距離は二〇メートルほど。
 警戒心がまったく感じられないので、隠れているのはグールで間違いないと、ふたりは判断する。
「でてこねぇな」
「挟まってんじゃねぇのか」
「扉にか? ははは。馬鹿いうな」
「おい、不用意に近づくなって」
「あ? なんだよ、ビビってんのか。あんなナメクジ並みに鈍いやつらにビビってどうすんだよ。ほぉうら、おぉおおーい。聞こえてるかー。そっちに向かってるぞー。見えてんだよ、おめぇの裾がよぉ。逃げるんならいまのうちだからな。ははは。ヨォ、ほら、顔だせよ。化物の面ァ拝ませてくれよ」
 ナマセの呼びかけに応えるようにして、揺れていた布の端が一瞬で扉の中へと消え、続けて本体が表へ姿を現した。
 顎から下が削り取られたように欠落している二〇代後半くらいの男が、ゆらり——と、身体を揺らしてナマセの前へ躍りでる。
「うわお。ははは、すげぇな」
 小馬鹿にした声をあげて肩を竦め、ナマセは振り返って微笑んでみせた。
「…………?」
「あ、あ。おい」
「あ?」
 ナマセの背後で、顎のない男がゆっくり右手をもちあげる——その手には、なぜかコルト・ガバメントが握られていて、
「な、ナマセっ!」コウラが呼びかけるも、鳴り響いた銃声が周囲の音を掻き消して、目の前にいたナマセの右耳が爆ぜ、大量の血液が宙を舞った。
 コウラはとっさに銃を構えたが、発砲した顎のない男は、銃の反動で後ろ向きに倒れてしまっていた。握られていたコルトは遠くへ転がっていて、男はバタバタと両手を動かしている。
 ナマセはうつ伏せた姿勢で倒れ、アスファルトの上に血だまりを作っていた。頭部を地面に打ちつけて気を失ったのか、ピクリとも動かない。
 コウラは下唇を噛みながら顎のない男に近づくと、跨がるようにして男の上に立った。
「あ? こいつ……こいつ、たしか」
 男の顔には見覚えがあった。
 飯田が雇っていた韓国出身の男の顔が脳裏に浮かび、その顔が目の前で両手をバタつかせている男の顔と重なりあう。
 銃を掲げて、トリガーに指をかける。
 コウラは逡巡することなく、男の額へ向けて弾丸を撃ちこんだ。
「……くそッ。くそ、くそッ、なんで、なんでおれが」——飯田の尻拭いをさせられた挙げ句、こんな目にあわなければならないのかと、額に滲んだ汗を拭いながらコウラはぼやいて男を蹴りつける。
 ややあって、後退して地面に座りこみ、座りこんだところへ、うぐぐぐぐぐぐぅ、と、小売店鋪の中からくぐもった声が聞こえてきた。
 コウラは跳ねるように立ちあがって、小売店鋪の出入口横まで素早く移動した。
 扉の奥へ顔を向けると、薄暗い建物の中、数体のグールが身を寄せあって蠢いているのが目にとまった。
「化物どもがッ!」
 悪態をつき、半開きになっていた小売店鋪の扉を蹴り開ける。
 鼻を飛び越えて喉に突き刺さるような腐臭が洩れでてきて吐きそうになったけれども、息をとめて堪え、薄暗い店鋪内へ足を向ける。
 うぐぐぐぐぐ、ぐぐぐぅと不快な声を発するグールたちは次々立ちあがり、手や膝の上に載っていた缶詰と思しき物体が床に転がり落ちた。
 コウラはゴミの類いを蹴り飛ばして、店舗の中央まで進んだ。
 銃を構えて右側から近づいてくるグールに狙いを定めて、うぐぐぐぐぐぅ、と声をあげた左端にいる痩せたグールへ銃口を向け、再び右側のグールに狙いを定める。
「死ねや、化物」
 引き金を絞る度に、室内が明るく照らしだされる。
 銃弾を受けたグールたちは、身体を捻らせながら床へ崩れ落ちて行く。

 殺処分にかかった時間は三〇秒にも満たなかった。

 コウラは銃をおろすと、耳鳴りがしている左側頭部を手のひらで押さえて、出口へと急いだ。
 咳き込みそうになる。
 我慢して息をとめる。
 イガイガと喉に刺さっている腐臭に堪えられる限界が近づいていた。
 揺れる視界の先に光り輝いている長方形の空間へと向けて足を動かし、ようやく美味い空気を吸うことができる、と大きく息を吸いこんだ瞬間——己のすぐ横に、男性が立っていることに気がついて慌てて顔を向ける。
 長身で、体躯のいい、若い男性がまっすぐコウラを見つめていた。
「……あ?」
 見知らぬ顔だった。
 敷地内に逃げこんだふたりとは似ても似つかぬ第三者が、そこに立っていた。

 ——誰だ、お前。

 尋ねるよりも早く、コウラの身体へ二発の弾丸が撃ちこまれる。
 相手の男がなにか喋ったように思えたが、耳鳴りしているコウラの耳は、それを言葉として拾ってくれなかった。

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