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世界の終わり #4-8 メタフィクション


          *

 午後五時。
 アポなしで訪問したにも関わらず、市民団体〈TABLE〉は、柏樹らを歓迎してくれた。
 柏樹と親しかった三枝という名の女性が対応してくれたこともあって、かなりの優遇である。
 到着した時刻が日の入り間近だったので、宿泊の準備も進めてもらえた。

「このところ筑後平野でグール化した者が多数発見されているようですし、みなさん、お忙しいのではありませんか」
 食堂として使用されている建物へ入る直前に、柏樹が尋ねると、
「たとえ忙しくても、柏樹さんからのお願いでしたら、なにがあってもお受けしますよ」三枝は薄い赤色の入った眼鏡のフレームをもちあげつつ、満面に笑みをたたえながら答えた。「柏樹さんがいなければ、わたしは罪に問われていましたから。無実を証明してくださった柏樹さんには、本当に感謝しています」
 三枝は深々と頭をさげて、出入り口の扉の前に立つ。
「例の口外できない事件ってヤツか」柏樹のあとをついて歩いていた荒木が呟いたが、声は誰の耳にも届くことなく、扉が開かれる音に掻き消された。
「どうぞ。お入りください」と三枝。
 柏樹が無言で荒木の背を押し、先に扉を通させる。


 食堂のある建物内へ足を踏み入れたのは〈TABLE〉メンバーである三枝と利塚、それに柏樹と荒木の四人だけである。
 ともに訪れた白石と天王寺は、シャワーを浴びたい、髪を洗いたい、それに洗濯もしたい、といった板野のワガママにつきあわされて、別行動をとっている。


 建物に入ってすぐの場所には、米や調味料といった常温で保存できる食品の類いが、大型のスチール棚に並べられていた。
 数歩進むとガラスで区切られた調理場があり、中では黒いエプロンをつけた男性がタマネギの皮をむいていた。
「八女で、わたしどものトラックとすれ違ったそうですね」
 食堂へ通じる幅の狭い通路を進んでいた三枝が振り返って尋ねたので、柏樹は周囲の観察をやめて顔を向けた。
 一瞬だけ口元を綻ばせ、波がひくように表情を消し去って、問いに答える。
「八女ではなく、みやま市です。瀬高駅に近い路上でした。幌が被せられていましたし、急いでいる様子でしたので、グールを保護したのではないかと思ったのですが、どうやら別のモノだったようですね」
「え?」口元を隠すようにして眼鏡のフレームをもちあげ、三枝は、大きく見開いた両目を左右に泳がせた。
「駐車場にとまっているトラックは、清掃もせず、戻ってきたままの状態で放置されていましたので、グールを保護したわけではありませんよね? しかし、みやま市で目にしたトラックの様子からして、荷台になにかを積んでいたように思えてならないのですが……いかがですか。失礼ながら、僕が言葉を重ねれば重ねるほど、三枝さんは警戒と動揺を増しているように見受けられますので、グールではない〝別のなにか〟を保護して連れ帰ったのではないかと推測しますけれども」
「…………」顔をそむけて、三枝はしばし黙りこむ。
 隣にいた〈TABLE〉メンバーである利塚も、そわそわと落ち着かない様子で視線をさまよわせた。

「やはりそのようですね。察するに非感染者ですか。このところ相次いで目撃されているグールは、上陸後に感染してしまった不法入国者ですよね? グールを保護するつもりが、あなたがたは感染していない不法入国者を見つけて、人権擁護の観点からその者を保護してこちらへと連れてきた。そう考えると、三枝さんが僕の発言に警戒心を抱かれていた理由も、みやま市で見かけたトラックが荷台に幌を被せた状態で走っていた理由も、到着後清掃作業が行われていない理由も納得できるのですが――いかがでしょうか」
 すると三枝は、肩の力を抜いて柏樹へと向き直り、諦めにも似た表情を浮かべた。
「柏樹さんに隠しごとはできませんね……」そういって、続けざま利塚へ、「マヒロちゃんに、例のバッグをもってくるよう、無線で伝えて」と消え入りそうな声で命じた。

 ほどなくしてショートヘアの若い女性が白いバッグをもってやってきた。
 三枝は女性からバッグを受け取るなり、中身を次々と取りだして、通路の脇に置かれた木製の折りたたみテーブルの上へ並べはじめる。
「仰るとおり、不法入国者を保護しました。このバッグは発見した不法入国者が所持していたものです。所持品の中には身分証も含まれていますが、写っている顔写真は別人でしたので、盗品のようです。その者は――あぁあ、すみません、説明もなしに。それもこんな場所で」
「構いませんよ。人目につかないところのほうがよかったのでしょう?」
「え、えぇ」
「どうぞ、続けてください」
「……はい。見つかった者は二〇代前半と思われるインド系移民の男性でして、現在、正門横の建物の中で休んでもらっています」
 テーブルの上に、財布ふたつと、腕時計が三つ並べられる。
 時計はいずれも時間がずれていた。
 そのほかにも高価な装飾品が次から次へと取りだされて、地味だったテーブルは瞬く間に鮮やかな色で埋め尽くされた。
「随分沢山のものを所持していたんですね。これらの品を見て、僕に推理を働かせろ――と、そういうことでしょうか?」
「いえ。わたしはただ、柏樹さんの意見が聞きたかったといいますか、おかしな点が幾つもあったので、どうしても気になって……」
「ははは。やはり推理してくれということではありませんか。いいんですよ。喜んで引き受けましょう」柏樹は財布を手に取り、中から運転免許証を取りだした。「なるほど。たしかに妙ですね。盗品であるのは間違いなさそうだが、九州内の空き家から盗まれたものでは〝絶対にない〟」
「えぇ。発行日が去年になっていますので……」
「市民団体の者から奪ったのかもしれませんが、となると、時計がオメガとロレックスであることが気になりますね。普段から高級時計を身につけている市民団体のかたを、どなたかご存知ですか」
「いえ。誰もいませんよ。少なくとも〈TABLE〉にはいません。たまに顔をみせる〈九州復興フロンティア〉にも、いないと思います」
「そうですか。となると――」
 柏樹が時計のひとつを手に取った瞬間、背後に設置されている白くて大きな厚手の扉が勢いよく開かれ、内側から冷気が流れだしてきた。
 冷気をかきわけるようにして、厚い革製の上着を羽織った男性が姿を現し、
「あれ? 柏樹さんじゃありませんかァ!」銀色のケースに入れられた豚ロースのブロックを手にもって登場した男性は、親しげな口調で声をかけた。「いやあ、嬉しいなあぁあ。どうも、柏樹さん。お久しぶりです。いつ着いたんですか、こちらに」
 扉が閉じられる際に、冷気で満ちていた空間が食料を保管する冷蔵室であると見てとれる。
「つい、さっきですよ。到着したばかりです」と、柏樹。
「そうですかァ。いやぁあ嬉しいですよ。またこうして柏樹さんとお会いできるなんて。何度お礼をいってもいい足りないくらい柏樹さんにはお世話になっ……あ、そうだ、もう二日ほど早ければ代表の羽鳥がいたんですが、いろいろあって九州をでてしまったんですよお。残念だなァ。柏樹さんを代表に紹介したかったんだけどなァ」
「それはどうも。お会いできず、残念です」
「そうだ、これ、代表が運んできてくれた豚ロースなんですけど、霜降りの稀にみるいい肉でしてねェ。どうですか? 凄いでしょ? 豚でこれほどまでの霜降りは、はじめて見ましたよお。柏樹さんはこれから食堂に行くんですよね。腕を振るいますから、どうぞ、ゆっくりして、腹いっぱい食べていってください」
「ありがとうございます」
「おもてなししますよ。柏樹さんですからねェ、そりゃぁもう。やはははは」
 と、
 ここで、
「あれ……? ない」
 きょろきょろとまわりを見ながら、利塚が声をあげた。
「どうした」革製の上着を羽織った男性が首を伸ばして、利塚の顔を不安げに覗きこむ。
「いえ、あの、あれ……おかしいな」
「だから、どうしたんだ」
「なくなっているんです」
「なにが」テーブルのそばに立っていた荒木と入れ替わるようにして、革製の上着を羽織った男性が前に進む。
「テーブルの上に並べていた品なんですけど――おかしいな。たしかにあったのに」
「だからなにがだよ」
「ブレスレットです、銀色の。ブレスレットがなくなっているんです」

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