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世界の終わり #2-9 ギフト


          *

「この檻では――ないようですね」
 最初の檻の中を覗きながら、利塚は引き攣った笑みを浮かべて呟いた。檻の中にはぐったりした様子のグールが五体いて、恨めしそうな目で、台車を押す掛橋たちを見つめていた。
「利塚さん、檻へ近づきすぎですよ」護身用である二段式のトンファーを握り締め、台車を押す利塚のうしろにいる掛橋は、周囲へ警戒の目を光らせた。西条を襲った者がいつ、どこから姿を現すかわからない。とくに小獣舎の周りは緑で囲まれていて視界が悪いので、掛橋たちは出入り口の扉がある裏手ではなく、道幅の広い見学路を移動しつつ、グールの確認を行っている。
「ここも違いますね」
 二つ目の檻の中にいたグールの数も、昨日と同じだった。昨夜の雨で濡れてしまった床を嫌ってか、グールたちは檻の奥で身を寄せあっている。一体一体の顔を確認しようと中を覗きこんだとき、ザザ――と大きな音がなった。
 身体を強張らせてトンファーを握りしめた掛橋だったが、音を発したのは台車に載った西条の遺体だった。おおぉお、と檻の壁に手を触れて蹲っていた一体のグールが低い声をあげ、台車のうえの西条が呼応するように身体を動かす。
「食事を運んできたと勘違いしているんですかね」顔を歪めて利塚が呟く。
「次の檻を確認しましょう」
 掛橋は台車を追い抜き、三つ目の檻の前へと急いだ。
「ま、待ってください、掛橋さん。あのぅ……こんなときにすみません。どのように説明するつもりでいるのかを、お訊きしたくて、いえ、えぇっと、あの……」
「説明?」
「あちらの代表にです。〈九州復興フロンティア〉の郡部代表に」
「――あぁ」
 西条が死んでしまったことを、郡部代表へどう説明すべきかは、遅かれ早かれ直面する問題である。
「ありのまま説明するしかないでしょうが、一度、羽鳥さんの意見を聞きたいところですね」
「そ、そうですよね!」目を輝かせて顔を綻ばせ、利塚は勢いよく台車のキャスターを転がす。「わたしも羽鳥さんに指示を――えぇ、助力を仰ぐまでは、あちらの代表に真実を告げるのは待ったほうがいいのではないかと思っていたんです。やっぱり、やっぱりそうか、掛橋さんもそう思っていたんですね!」
 ひとり満足した様子で、利塚は台車を押して前へと進めた。
 掛橋は言葉を返さず、歩調をあわせて利塚の背中を追った。
 ほどなくして二人は、三番目の檻の前に立った。檻の中の様子を窺うと、先ほど目にしたグールと同様、檻の中にいるグールたちは隅のほうに集まって、柵へ背を向け、横になっていた。
 ここもまた、グールの数に変化はなかった。
「変わりありませんね」頭を揺らししつつ、利塚は檻の中を覗きこむ。
 掛橋は確認を済ませて無言で頷くと、規則正しく並んでいる小獣舎全体に目を向けた。列は三番目の檻で一旦途切れており、四番目の檻までは少々歩かなければならない。四番目の檻の中には愛娘と重ねあわせて見ていたグール、ルルカがいるはずである――檻から逃げだして西条を襲っていなければ。
「――し、さん」
「…………」
「掛橋さん?」
「……!」
「掛橋さん、大丈夫ですか」
「あ、あぁ。すみません、急ぎましょう」額に手をあてて顔をそむけ、掛橋は四番目の檻の前へと急ぐ。

 ――ルルカ、ルルカ。ルルカ、ルルカ、ルルカ。

 だんだんと歩調の早まる掛橋の頭の中は、ルルカに支配されてしまっていた。

 ――頼む。お願いだ。違いますように。グールの逃げだした檻が、ルルカたちの檻ではありませんように。

 掛橋は心の中で何度も同じ言葉を繰り返し、怖じ気づいている右と左の足を交互に、ただただ、交互に動かした。


「あぁあ、ここでもないようですね」
 耳に届いた利塚の声。
「そう……ですね。そのようだ」四番目の檻の中のグールたちも奥のほうに集まっていた。計五体。数は揃っていた。ルルカも、いる。たしかに檻の中にいた。背中を向けて。「そ、それじゃあ、三枝さんたちを待たせるのもよくありませんので、利塚さん、急いで次の檻を確認しましょう。早く特定しなくては」口元に浮かべてしまった僅かな笑みに気づかれぬよう、掛橋は五番目の檻へと向け、早足で歩を進めた。
「待ってください、掛橋さん」遅れて利塚がついてくる。
 ルルカではなかった。西条を襲ったグールは四番目の檻の中のグールではなかった――と、掛橋は安堵すると同時に、手にもったトンファーのグリップを強く握り締めた。
 五番目。
 六番目。
 七番目。
 規則正しく並んだ檻を見て回る。しかし結局、どの檻の中のグールも数を減らしてはいなかった。

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