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善き羊飼いの教会 #2-10 火曜日

〈柊シュリ〉



     *

 調査の一環なんてのは〝表向き〟の口実で、スルガさんは、のみたかっただけなんじゃないかって思ってしまう。ガールズバーに行きたかっただけじゃないかって。そう考えてしまうのは、見るからに楽しんでいるからだ。〈DORMOUSE〉のカウンターにいるユイという名前の女性店員と会話しながら、本当に楽しそうにのんでいる。
『鈴鹿さんのお気に入りである、カノさんに会いに、〈DORMOUSE〉へ行ってみよう』
 スルガさんがそう提案したのは、追加データをサーバにアップしている途中でかかってきた筒鳥署の金子さんからの電話を取り次いで、十分ほど経過したころだった。
『これは調査の一環だよ。カノさんは間違いなく、有益な情報をぼくらに与えてくれるだろう』
 作業を中断して、寝癖を直して、意気揚々とでかけたスルガさんではあったが、〈DORMOUSE〉店内にいる女性店員の中に、カノさんの姿はなかった。
『カノちゃんは週末しか働いてないんですよ』
 教えてくれたのがユイさんだ。歳はおそらく二〇代の後半。すらりとした長身の綺麗な人で、髪の色が明るい。店員の中で一番年上に見えたので店長だろうと思ったけれどもそうではなく、店長はいつも夜九時すぎに出勤するとのことだった。
 時計を見て時刻を確認すると、九時までまだ二時間近くあった。
「お姉さん、なにか作りましょうか?」
 これは回想ではなくて、リアルタイムの問いかけ。ユイさんが空いたわたしのビールグラスを指差している。
「柊さんはビールしかのまないんだよね?」とスルガさん。
 そんなことはないけれどもそうですと答えて、いつの間にのみ終えてしまったんだろう――空になったビールグラスを差しだし、おかわりを注文する。異なる種類のお酒を胃の中でミックスすると悪酔いしてしまうことを、身をもって知っているからだ。
「すぐにおもちしますね」
 ユイさんは空いたグラスをもってカウンターから姿を消した。
 よし。
 いま。
 いまだ。このタイミングを逃すわけにはいかない。
 スルガさんの肘を小突いて注意する。声は潜めて。
「なに楽しんでるんですか。時間を浪費してますよ」
「仕様がないじゃない。カノさんが休みだったんだからさ。というよりも柊さん、おかわり注文したよね?」
「注文しましたけど――」長居しようと思っての追加注文ではなかったと反論したかったが、おっくうなので話題をかえる。「そういえば、金子さんと明日会う約束をしていましたよね? ついに筒鳥署の人たちも、三人の捜索に動きだしたんですか」
「関心はもっているようだね。明日ラボにきてもらって、サーバにアップしたものと同じデータを見て……あぁあ、となると住居侵入したことがばれちゃうな。仕様がないか」
「仕様がないって」いいのだろうか。本当は問題なのだが、表面にださないようにしているだけかもしれない――酔って判断が鈍っているだけという気がしないでもないけれども。「何時にくるんですか。早い時間であれば、わたしも早めに出勤して、分析を手伝います」
「そう? 助かるよ。金子さんは昼前に顔をだすといってたから、そうだな、十時を目処に出勤してくれればいいかな。それよりも早い時間だと、ぼくがいないかもしれないからさ」
「いない?」
「あの廃屋に行って、追加検査を行うつもりでいるんだ」
「またひとりで幽霊屋敷に忍びこむんですか」
「朝イチで現場作業を行って、終わり次第ラボに戻って分析、で、十時くらいから柊さんに手伝ってもらって……うん。いいんじゃないかな。午前中のうちに結果は得られるだろう。あとは柿本さんたち三人に関する情報をどれだけ入手できるかだ。問題はそこだな。詳細な交友関係」
「だったら、どうして鈴鹿さんに訊かなかったんですか。電話で話をしたのに」筒鳥署の金子さんと話したあと、スルガさんは鈴鹿さんへ電話をかけた。明日の夕方、研究所へきてほしいと伝えたようではあるが、会話は短く、通話時間は一分にも満たなかったように思う。「鈴鹿さんが鍵を握っているみたいな話、スルガさんしてましたよね? いろいろと訊けたんじゃありません? 交友関係について尋ねるとか、知らないのであれば、ほかに誰か詳しそうな人を紹介してもらうとかできたじゃないですか。それに――」
 いや、
 待て。
 本当にそうだろうか?
 鈴鹿さんに問うて、望む答えは返ってきただろうか。
 鈴鹿さんは〝依頼人〟ではあるが、〝信頼できない人物〟でもあるのだ。
 鈴鹿さんは隠しごとをしている。
 嘘をついている。
 調査依頼の際に、わたしたちに話してくれなかったことがある。
「実は、鈴鹿さんに対して、少し思うところがあってさ……」口ごもってしまったわたしへ救いの手を差しだすように、顎に手を添えつつ、スルガさんが口を開く。「電話で金子さんがいっていたんだけど……話を聞けば聞くほど、ぼくの立てていた仮説が正解であるとしか思えなくなってきてね」
「仮説?」
「鈴鹿さんは誰かの代理で動いている節がある」
「は?」
「柿本さんたちの行方を心配して、探しているように装(よそお)っている可能性が高い」
「え。な、なんですか」
「さて、ここで問題。鈴鹿さんが断ることのできない、代理を頼むことができるような相手というのは――」
「カノさんだっていうんですか?」混乱しているところへの唐突な問いかけだったが、すぐに正解と思しき名前が思い浮かんだ。「鈴鹿さんは、カノさんに頼まれて、三人の行方を探しているっていうんですか」
「早いよ、答えるの。最後までいわせてよ……まあ、そう、正解。人物名は正解だけど、鈴鹿さんは探しているのではなくて、探しているふり、ね。三人の誰ともさほど親しくはなかったようだし、ツイッターのアカウントを最近フォローしていることからして、鈴鹿さんが廃屋までの実況ツイートをリアルタイムで見ていたのどうかも怪しいところだね。だからこそ、カノさんがどのような女性であるのか、目で見て確かめておきたかったんだけど……ま、こんなこともあるよな」スルガさんは顔をしかめて、グラスへ手を伸ばした。「ユイさんが戻ってきたら、柿本さんたち三人について尋ねてみよう。行方を心配している〝本当の〟人物がカノさんなら、三人の中の誰かとカノさんは、かなり親しい間柄であるはずだからさ」
「……そうか。そうですよね。とすれば、その誰かは〈DORMOUSE〉へ頻繁に顔をだしていますよね、絶対に。そうだ! 話をスムーズに進めるためにも、三人の顔写真を表示しておきます」スマホを取りだして電源を入れる。
 アプリを起動し、画面に顔写真が表示されるのを待っていたところへ、
「おまたせしました」
 店員がビールを運んできた。
 運んできたのはユイさんではなく、髪をうしろでひとつに束ねた、小柄で、色白の女性だった。
 たしか『りっちゃん』と、ユイさんから呼ばれていた。
 りえ? りか? りな?
 そういえば――妹のアカリがまだ小さかったころ、親戚がみな揃って『りっちゃん』と呼んでいたことを思いだす。アカリ、なのに『りっちゃん』だなんて。最初にそう呼びはじめたのが誰だったかは思いだせない。
「ありがとうございます」
 礼をいうと笑顔で返された。
 スマホをカウンターの上に置き、運ばれてきたグラスへ手を伸ばす。触れるか触れないかというところで着信音が鳴った。誰だろう。画面に表示されているのは知らない番号だった。グラスではなく、スマホを手に。電話にでる。「――柊です」
『佐倉めぐみといいます』
「…………?」
 名前を聞いてすぐにピンとこなかったが、わたしが送っていたメッセージを読んで電話してくれたのだと気づくなり、「ちょっと待ってください」スマホを顔から離して送話口を塞ぎ、スルガさんの肘を小突いた。
「連絡がきました。めぐねえさんです!」
 返事は待たずに、椅子から立ちあがってお店の出入り口まで移動する。
 めぐねえさんと、じっくり話すために。


「違ったんです。姉弟じゃなかったんです!」興奮していたので声が大きかったかもしれない。通話を終えて席に戻るなり、ユイさんからおしぼりを手渡された。トイレに行ったわけじゃないんだけど。というか、ガールズバーって都度おしぼりをくれるんだ? どのお店でもそうなのだろうか。〈DORMOUSE〉だけ? いやいや、そんなことよりも。「スルガさん、佐倉さんとは姉弟じゃなかったんですって」
「なに。なんの話をしてるの。サクラさんって?」
「佐倉さんです。佐倉めぐみさん。めぐねえさんのことですよ。佐倉さんは、東条さんの姉ではなくて、彼女だったんです。ふたりは半年前からつきあっているそうでして、姉弟という誤った情報を伝えた……えぇっと、誰でしたっけ。あ、そうだ、ウィルソンさん。ウィルソンさんは、めぐねえという渾名(あだな)から、東条さんのお姉さんだと勘違いしていたんですよ。ちなみに、めぐねえという渾名は、同姓同名のアニメキャラがいて、そのキャラの渾名がめぐねえだから、めぐねえさんもめぐねえと呼ばれるように――」
「ま、待って、柊さん。落ち着いて、ゆっくり話してくれるかな。や、ま、なんとなく話はわかったけど」
「佐倉さんは北杏仁総合病院で看護師をしているそうです。今日はこれから夜勤らしくて、でも明日の午前十時ごろにあがるので、それから会って話をしたいといわれました。どうしましょう」
「どうしましょうって。佐倉さんとどんな内容の話をしたの?」
「もちろん、東条さんについてですよ。連絡が取れなくなっていることには気づいてたみたいですけど、先週末に東条さんと〝大事な約束〟をしていたのにすっぽかされたそうでして、そのことですごく怒って、絶対に自分のほうから連絡はしないと意固地になってたそうです。あの、佐倉さんからはできるだけ早く会って話をしたいといわれたんですが、どうしましょう」
「できるだけ早く、ねえ。佐倉さんは、東条さんの交友関係を誰よりも詳しく知っているだろうから、金子さんが訪ねてくる前に話を聞いておきたいところだが……十時か。もう少し早い時間ならよかったんだが」こめかみあたりを掻き、スルガさんは眉間に深いしわを寄せた。「両者がラボで顔をあわせるのは、できれば避けたいな」
「避けたい?」ともに情報を提供しあえるのだから、いいことずくめのように思えるのだが。「どうしてですか。金子さんに直接訴えかければ、捜査に力を入れてくれるかもしれませんよ」
「金子さんは刑事課だから、窓口が違ってるよ。そもそも、この案件、最初から窓口を間違えているけどね。それにいきなり警察の人と話をするというのは、ちょっと、ね。実際に柿本さんたちがなにかしらの事件に巻きこまれているのであれば話は別だけど、家族や関係者をできるだけ不安にさせないよう、言葉のチョイスには細心の注意を払わなければいけないからさ」
「…………」
「目をそらさない」
「……あの」
「どんな風に話したの、佐倉さんに」
「す、すみません」
 佐倉さんとの電話での内容を思いだして、心臓がきゅっと縮小する。
 佐倉さんはそうとうの不安を覚えたことだろう――わたしは〝行方不明〟という表現はおろか〝事件〟というワードも口にした覚えがある。
 駄目だ。駄目だ、わたしは。相変わらずだ。相手を慮らずに思ったことをすぐ口にして、自分が世界の中心に立っているかのように振舞って、そして煙たがられて、迷惑がられ嫌われて――過去に犯してしまった過ちを懲りずに繰り返してしまっている。
「や、もう、いいよ。ちょっと、そんなにブルーにならないで。柊さん?」
「すみません、わたし、すぐに佐倉さんに電話して――」
「いやいやいや、待って。焦らないで」
「でもわたし、すごく不安にさせるようなことをいってしまいましたから」
「いいから、落ち着いて。ビールでものんで」
 勧められるがままビールグラスに手を伸ばす。
 駄目だ。
「やっぱりわたし――」
「そのテンションで電話したら、ますます相手を不安にさせてしまうよ。とりあえず、そうだな、金子さんと鉢合わせてしまうかもしれないけど、研究所にきてもらうってことで、返事しようか。電話ではなく、DMかなにかで伝えよう。北杏仁総合病院で働いているのなら――」
「研究所ではなく、どこか別のところで会って、話を聞いてきましょうか」
「ん? 別の? 柊さんが、佐倉さんと会って――ってこと?」
「分析を手伝えなくなりますけど、病院の近くで待ちあわせれば、十時頃には話をはじめられます」
 いいながらニッと笑ってしまった。
 慌てて笑みを引っこめる。
「まあ、それなら、金子さんとは顔をあわせないし、金子さん訪問前に必要な情報が得られる可能性は……うん、そうか。そうだね。いい提案かも。だけど柊さんに任せてしまうのは……いや、でも、柊さんしかいないしな……」
( ?)
「そうだね。柊さんにお願いしようかな。ジャクソン、じゃなかった、ウィルソンさんのときと同じように、訊いておきたい事項をリストアップするから、メモしてくれる?」
「は、はい!」
 急いで鞄に手を伸ばす。メモをとらなきゃ。わたしがウィルソンさんへの聞きこみを上手くこなせたのは、スルガさんが事前に用意してくれた質問リストがあったからにほかならない。
「助かるよ。これで東条さんの交友関係はもらさず取得できるだろうから、あとは、柿本さんと、雛岡さんだな。今日、これからもう一度、柿本さんのバイト先を訪ねて、話を聞いてみたほうがいいかもしれないね」
「これからですか。だったらわたしも――」
「ぼくひとりで大丈夫だよ。〈てらだや〉に行って、話を聞いて……と、その前に、いまするべき、ここにきた本来の目的を片づけてしまおうか」
 スルガさんはカウンター内にいるユイさんに声をかけて、柿本さんたち三人について尋ねた。わたしは急いでスマホを操作し、柿本さんたちの写真を画面表示する。
「あら、東条くん? 知ってますよ。最近はぜんぜんきてないけど。りっちゃんが仲良かったんじゃないかな。りっちゃん?」
 すぐそばに立っていた、りっちゃんと呼ばれた女性が満面に笑みを浮かべて、ユイさんに近づく。
「りっちゃん、東条くんと仲良かったわよね? 筒鳥大の東条くん」
 スマホの画面を、りっちゃんさんに向けた。さんづけはいいか――わたしと歳は変わらないように見えるし。
「以前は週に二、三回きてくれていたのに、久しく見てませんよねえ」と、りっちゃん。首を傾げてわたしのほうを見た。目があう。整った顔立ちで、歯並びが綺麗だ。歯も肌も白くて、なぜだろう――ドキリとした。ドキリとしてしまった。「お知りあいなんです? だったらたまにはのみにきてくださいって、東条くんに伝えてくれません?」
 声も魅力的だった。

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