見出し画像

善き羊飼いの教会 #2-8 火曜日

〈柊シュリ〉


     *

「もちろん、水を使う必要があったからさ」
 スルガさんがモニターの前に座って写真を一覧表示にきりかえ、まずはこの写真を見てほしい――といった直後に、所内の電話がけたたましく鳴った。
 断りを入れて電話にでる。
 受話器から聞き慣れた少しハスキーな声がわたしの名を呼ぶ。最後に疑問符をつけて。相手は名乗らなかったが、おそらく、所員の黄山さんだ。
「柊です。よかった、連絡を待っていたんです。黄山さん、もう島をでたんですね?」
『そちらはどう? 新規依頼は入ってない?』
 わたしの問いを無視して質問で返す。
 やっぱりそうだ。黄山さんだった。
「新規の調査も問いあわせも、いまのところ入ってはいません。昨日と今日は――」
『だったらいいの。所長が気にしている様子だったから』
「あ。はい。調査は終わったんですか? 所長に電話をかけたんですけど、ぜんぜん繋がらなかっ――」
『島内の電波状況が悪いのよ。電波塔に問題があるらしいの』
 わたしが喋り終えるよりも早く答えが返ってくる。こうした反応も黄山さんらしくて、しょっちゅうあること。
「黄山さんなの?」スルガさんが受話器をもつジェスチャーをして、問うてきた。
 頷いて返し、電話を代わってほしいのかと思って一歩前に踏みだしたところで首を横に振られる。
『柊さん、聞いてる? 聞こえてる?』
「聞こえてます。これから戻るんですよね」
『まだよ。所長とイチイくんは島に残ってる。島民が非協力的で調査が難航してるの。わたしひとり、船で島をでて、市内の警察署を訪ねたところなの。夕方には島に戻る予定よ』
「警察署に? 協力を求めて、ということですか」
『協力というより情報と資料集めね。ネット回線を使わせてもらいたかったし。予定どおりにことが進んでないから、調査終了の目処がたたないのよ。なにかあった場合は、わたしのスマホに電話して。ただし、正午から夕方の六時までに。その間は電波の届くところにいるよう努めるから』
「わかりました。スルガさんにも伝えますので、少し待ってもらえますか」
 送話口を手で押さえて、聞いた話をスルガさんに伝える。スルガさんは椅子から立ちあがって手を伸ばしてきた。今度は電話を代わってほしいようだ。受話器を渡す。わたしは後退する。そばにあった椅子に腰掛けて耳をそばだてる。
「スルガです。黄山さん、いまネットに接続できます? イチイさんに確認してもらいたい画像データがあるので、DLしてほしいんですが、ノートパソコンかなにかもって行ってますよね。手元にあります? 点数が多いので、研究所のサーバにまとめてあげておこうと思って――え、いえ、まだアップしてません。これからです。五時? 六時の船で島に戻るんですよね。だったら……あぁ、はあ。そういうことなら……わかりました、五時までに終えます。や、大事ですよ。大事なデータですよ。はい? えぇ、もちろん。報告書は仕上げましたし、GC/MSのデータベース登録も、いい感じで進んでいますから。は? わかってます。だから、わかってますって」
 だんだん声のボリュームが大きくなっている。交渉は難航している様子だ。
 それもそのはず、スルガさんがお願いしているのは私用の調査報告データの受け渡しなので、黄山さんが難色を示すのも無理はない。しかし、イチイさんが関わっている事柄でスルガさんが引きさがるはずはないので、了解を得るまで交渉は続くだろう。どんなに時間がかかろうとも。
 わたしは立ちあがって給湯室へ向かった。コーヒーをいれようと考えて。

 デスクへ戻ったタイミングで通話が終わり、
「手伝ってくれるかい?」スルガさんはモニターの前へ戻った。望むかたちで話はまとまったようだ。
「イチイさんに見てもらう写真をセレクトするんですよね?」
 電話での会話は給湯室にまで聞こえていたので、文倉家の玄関前で撮影したエンブレムの写真だけではなく、家の中で撮った様々な写真も研究所のサーバにアップするとわかっている。写真を閲覧するアプリに表示されていた総数は二百を超えていたので、セレクトだけでもそうとう時間がかかりそうだ。
「タイムリミットがあるから、話の続きはまたにして、先に分担して片づけてしまおう。セレクトはぼくがするから、柊さんはタブレットで撮影した動画データと、昨日集めてくれた〈善き羊飼いの信徒〉に関する資料を同一フォルダに入れて、ぼく宛てに、エアドロップで送ってくれるかな。それが済んだら、柿本さんたち三人と、その友人のツイッターのページをPDFとして書きだしてほしいんだけど、やりかたはわかるよね? 友人のページは、リプライしている数名で構わないよ。ウィルソンさんと、東条さんの姉は忘れずに書きだしておいて」
「わかりました」
 どうやらスルガさんは知り得た調査データすべてをアップしようと考えているようだ。果たしてタイムリミットである夕方五時までに間にあうのだろうか。そんな心配をよそにカタタタタタタと軽快なクリック音をたてて、スルガさんは写真のセレクトを進める。不要なものは削除。気になった写真はトーンカーブを弄って、見易く明るさ調整する。圧縮劣化しない形式で新規別名保存。オリジナル画像は消去。見る間にセレクト作業は進んで行く。いけない。見惚れている場合じゃない。自身のデスクへ移動し、わたしはわたしの作業を開始した。
 スルガさんとイチイさんの間でどういった会話がなされたのかわからないが、鈴鹿さんの依頼には決して手を抜かずに取り組む姿勢であるようだし、これまでに得ている――もしくは得られそうな情報の中からでも、いなくなった三人の行方に繋がる手がかりはつかめるものと確信している様子だ。
 柿本さんたちはどこにいったのだろう。
 幽霊屋敷の玄関で写真を撮ったあと、三人の身になにが起こったのだろう。
 屋内で破壊行為に及んだ者がいたようだが――それにしては置物の類いが綺麗に並んでいたけれども――どうしてそのような行動に及んだのかは、暴れた本人に訊く以外知りようがないように思う。
 ここで、ふと、スルガさんが口にした〝殺人犯〟の話を思いだしてしまった。
 スルガさんは否定したが、本当に〝殺人犯〟と呼ぶに相応しい第三者が存在しているとしたら? 柿本さんたちを追って幽霊屋敷へ侵入し、三人を襲ったのだとしたら? リビングの壁についていた傷やガラスの割られた収納棚などが、格闘のあとだったとすれば、すでに三人は……あぁあ、いやだ、嫌な考えが次から次へと浮かんできてしまう。
 だけど覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
 調査の甲斐なく、最悪の結果が待ち受けていることも頭の片隅に――念のために。

「あとはPDF書類が揃えば終了だね。書きだしているぶんだけ、先にもらおうか」
 さすがの早さで写真セレクトを終え、スルガさんはサーバにアップするデータを、ほぼまとめ終えてしまったようだ。作成し終えたPDF書類をスルガさんへエアドロップで送る。柿本さんたち三人と、ウィルソンさんをはじめとする友人のページ。まだ作業は途中だが、データサイズがまあまあ大きいので、転送にもまあまあの時間がかかってしまう。
 転送の間に書きだし作業を再開する。
 東条さんの姉であるめぐねえさんのページを画面に表示してスクロール。
 時計を見る。タイムリミットは近づいている。
「表示しているアカウントが、東条さんのお姉さん? やっぱり人気あるんだね〈フレグランス〉って」
 いつ背後に立ったのだろう。スルガさんがモニターを覗きこみながらいった。
 言葉は返さずに画面をスクロールさせて、古いツイートを表示する。
「さっきいい忘れたけど、依頼人である鈴鹿さんのページも書きだしておいてね。すべてアップし終えたら、鈴鹿さんに連絡してみようか。鈴鹿さん、首を長くして連絡を待ってるだろうね」ふふと笑ってスルガさんは自身のデスクへ戻り、シアノアクリレート系の接着剤を手にもって、作業台へと移動した。
 作業台の上には車の後部座席に置かれていた大きな鍋が載っている。上部にラップが被せられているものの、中身は空っぽの寸胴鍋だ。ピリリリリとラップの剥がされる音がしたので、気になって身体を向けた。
「なんですか、その大きい鍋」
「寸胴鍋」
 それはわかってる。なにをはじめるつもりなのか気になって見ていると、スルガさんはスポイトを鍋の中に差し入れた。鍋底に溜まった液体を採取して、分析するつもりのようだ。採取し終えると、オレンジ色のフィルターを取りつけたALSを手にもって、鍋全体をくまなくチェックしはじめる。デスクからもってきた接着剤を加熱して、気化させ、鍋の表面に吹きつける――と、浮かびあがってきた。鍋に付着していた指紋が。
「たくさんついてますね」
「あぁ。誰の指紋だろうね。比較する対象の指紋が手元にないから調べようがないけど、この指紋の人物が文倉家の水道の元栓を開けて水を使用し、雑巾がけしたのは確実だ」
「雑巾がけ?」
「いわなかったっけ、リビングと廊下の床が綺麗に拭き掃除されていたって。誰かが香りつきの洗剤を使って床を掃除した形跡があったんだ。雑巾がけとなるとバケツが必要だろう。だからこいつさ」拳で鍋の側面を軽く叩く。
「寸胴鍋を使ったっていうんです?」
「いい音が鳴ったね」
「バケツ代わりに?」
「そう。だから、必ず血液反応がでると思ったんだが……駄目だね。いまのところでてこない」
「血液反応って、誰の血液ですか」
「被害者の血液だよ。被害者の血が床に飛び散ってしまったので、加害者は雑巾掛けして拭き取った――理屈はあっているだろう? そうでもなきゃ廃屋の中を丁寧に掃除したりなんかしないって」
「ちょ、ちょっとまってください。被害者って誰です? 誰の血っていうんですか」
「誰のものかは詳しく分析してみてからだ。残念ながら鍋には残ってなさそうだが、ほかにも文倉家から拝借してきたものが数点あるからね。調べればハッキリするだろう」
「まさかまた殺人犯の話をもちだすんじゃ……」
「例の〝殺人者A〟? はは。忘れていいよ、その話は。文倉家は治水ダムに身投げしたっていったじゃない。敷地内への侵入者をおそれる何者かは存在し得ないし、なによりも、十四年以上もの月日が経過しているからね。それだけの時間があれば人に知られたくない不安材料は綺麗に消し去ることが可能だろう」
「だけど〝殺人者B〟がいるかもって話ですよね?」
「や、柿本さんたちがすでに殺害されているとは限らないじゃない。それよりも柊さん、手を休めないで」
「あ、はい。すみません」モニターへ顔を戻す。しかしスルガさんの話が気になって、気になって仕様がなくて質問を続ける。右手はマウスに載せたまま作業はちゃんと進めていますのアピールは忘れずに。
「スルガさんは、あの家の中でなにが起こったと考えているんですか」
 重く、深刻なトーンで訊いたのだが、対照的なトーンでスルガさんは返す。作業台横のダンボール箱の中に手を入れて、文倉家からもってきた小物をひとつひとつ、楽しげに取りだしながら、軽薄に聞こえてしまう喋りで。
「何者かが襲った可能性が高いように思う……柿本さんたちを、文倉家のリビングで。棒状のものを振り回して暴れた者がいるって話をしただろう? そいつが柿本さんたちを殺害したとまではいわないけど、拘束して外に運んだとすれば、リビングと廊下の床には血痕が残った可能性がある。リビングと廊下。雑巾掛けされていた場所と一致するじゃない。襲撃した何者かは、血を拭き取るために雑巾掛けしたんだよ」
「どうして拭き取らなきゃいけないんですか」
「ん?」
「だって、誰も住んでいない家なんですよ?」
 スルガさんはもっともらしく語っているけど、おかしな話だ。どうして血痕を消さなければならないのだ? 柿本さんたちを襲い、その血が床についてしまったとしても、拭き掃除までする必要はないのでは?
「血痕が残っていたとしても、人の出入りがないんですから、誰の目にも触れることないじゃないですか」
「触れているじゃない。いま、こうしてぼくらの目に」
「それはそうですけど」
「屁理屈にしか聞こえない?」作業台に並べた小物をALSで調べつつ、スルガさんはちらとわたしを見て微笑んだ。「ま、ぼくらのような者が廃屋を訪れるなんて想像すらしなかっただろうけど、万が一に備えて、手がかりになりそうなものは排除して然るべきだよ。ひょっとすると襲撃者自身も傷を負ったのかもしれない。相手は三人なんだ。大勢で襲ったとしても一気に制圧するのは難しいだろうし、少数ならなおのこと。スタンガンの類いを用意していたとしても、三人全員を沈黙させるまでは襲撃者も安全とはいえないじゃない」
「は、はあ……」襲撃者も怪我を負った可能性がある。なるほど。なるほど、とは思うけれども。
「あまり納得してない顔をしてるね」
「誰だって自身の血液を犯行現場に残して帰りたくはないですよね」
 納得はできる。
 できるのだが、丁寧に雑巾がけされていたという点に覚えた違和感を拭えない。そこまでするものだろうか。洗剤を用いて雑巾がけまで?
「この推理があたっているとしたら、襲撃者のターゲットは誰だったんだろうね。三人全員か。それとも特定の個人だったのか。断定するには時期尚早だけど、三人の中の誰かが本命で、ほかの二人は巻き添えになったのだとしたら……柊さんはどう思う? もっとも本命っぽいのは柿本さんかな。普段から迷惑ばかりかけていたうえに、金銭トラブルもあったようだし、お金を貸していた誰かが拉致して痛めつけてやろうと考えて、今回の事態になっているのかもしれないよ。東条さんが本命だったとすると、原因は女性関係のトラブルかな。雛岡さんは人に恨まれるようなタイプではなさそうだけど……ま、三人の〝人となり〟がわかればわかったぶんだけ襲撃者を絞りこめていけるだろう。怨恨による犯行ならば、襲撃者は身近な人物に違いないからね」
「身近な……人物」スルガさんのいうとおりであれば、わたしがいま行っている作業こそが、その者のあぶりだしへと繋がる。「す、すぐに終わらせます!」
 モニターに向かい、休めていた手を動かす。
 友人関係を洗いだしているツイッターのPDF書きだし作業の出来次第で、今後の調査は大きく変わるだろう。
「……なんて、偉そうに推理を語っちゃったけど、あぁあ……駄目だな。小物のどれからも血液の反応はでないや。参ったな。これって先入観をもって調査にあたるんじゃないって警告なのかもね。はは。そんなわけで、いまさらだけど、ぼくが口にした推理はあくまでも参考程度に。聞いてる? 柊さん」
 スルガさんの言葉には答えず、わたしは目の前の作業に集中した。


「うわあ、すごいアピール」
 思わず口にだしていってしまった。
 マウスから手を離す。モニターに表示されているのは鈴鹿さんのツイッターのページ。
「どうしたの、なにか見つけた?」
 スルガさんに尋ねられて振り返る。振り返るなり作業台に置かれた聖句に目を奪われてしまって、発しかけていた声が舌の上でとまった。文倉家の壁に掛かっていた聖句の一枚がまっすぐわたしへ向けて置かれていて、そこに記された――
「柊さん?」
「…………」
「柊さんッ?」
「え? あ。すみません」
「なにか気になるツイートでも見つけたんじゃないの?」
「ツイート? あ、はい。鈴鹿さんのツイートで……」椅子をずらしてモニターを指差す。
 待った。
 報告するまでもない、調査とは関係ないツイートだ。
 だけれどもすでにスルガさんはモニターの前に立ち、右手はマウスに触れていた。
「ほおぉ。同じ人に、ほぼ毎日、リプライを送ってるね」画面に表示されている鈴鹿さんのツイートは、特定の人物へのお世辞のリプライで埋まっている。お気に入りの相手は、〈DORMOUSE〉という店名のガールズバーで働く女性店員だ。スルガさんは@ではじまるアカウントIDをクリックして、女性店員のページを表示した。ひつじのショーンの画像を使用したアイコンの下に楓乃と記されている。「カノ、と読むのかな。本名ではなさそうだね。ガールズバーの店員ってのは、源氏名を使うものなの?」
「人それぞれだと思いますけど」
「営業用のアカウントの割に、プライベートな内容もツイートしてるね。鈴鹿さんに対してきちんと返信しているから、嫌ってはいないようだが……どうだろう。まめにリプライを送っているのは鈴鹿さんひとりじゃないし、送ってくる全員に返信していて……うぅん、どうだろうねえ。鈴鹿さんの恋が叶うかどうかは微妙なところじゃないかなあ」
「恋って……スルガさん?」
 どうしたものか。調査と関係のない〝鈴鹿さんの恋話〟をもちこんでしまって申しわけなく思っていたのだが、スルガさんは興味津々な様子で、カノさんのツイートと返信を熱心に遡(さかのぼ)りはじめた。他者の恋愛にこれほどまで興味を示すとは意外だ。
「スルガさん? あ、あのぅ、時間が迫っているので作業を続けます」
「そうか。そうだね。鈴鹿さんのページに戻るよ」
 ブラウザの戻るボタンを押して、鈴鹿さんのアカウントのページへ移動する。わたしがひとりごとをいってしまったせいで、スルガさんの時間を無駄に使わせてしまったな……との思いは瞬時に霧散。スルガさんはモニターの前に留まって、鈴鹿さんがフォローしているアカウントの一覧を閲覧しはじめた。
「あ、あのぅ、スルガさん?」
「福岡県の中学生が同級生を連れ去って監禁し、集団で暴行して殺害したあげく、遺体を山中に棄てたって事件があったんだけど知ってる?」
「え。なんの話ですか、急に」
「テレビやネットで大きく報じられていたけど知らない? そのニュースを見て、もしやと思ったんだ。柿本さんたちも同じように、身近な人物に連れ去られたんじゃないかって。そういったトラブルに巻きこまれたのであれば、彼らの周辺にいる人物の中で……あれ? このページって、最近フォローした人ほど上部に表示される仕組みだよね?」
「一覧のはじめに表示されます」
「だったら……」画面をスクロールしてアカウント一覧のトップに戻る。鈴鹿さんのフォローのページの最上部には、柿本さんと東条さん――ふたりのアカウントが表示されていた。「まるで、最近、慌ててフォローしたかのようだな。このふたりを」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?