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世界の終わり #2-8 ギフト

 駆けつけた三枝らにはグールに関する話しか口にしなかったが、掛橋と利塚は拘束用のシートで包む際、西条の左腕と胸部についた鋭利な刃物による切り傷を目にしていた。服を捲って傷の程度を確認しようとしたが、僅かに開いた口の奥から聞こえてきた不快極まりない嫌な音と臭いに臆し、慌ててシートを被せて隙間なく全身を包んだ。直後に、西条は両手足を激しく動かしはじめた。危なかったですね、と利塚。利塚のいうとおり、判断が遅れていたらグール化した西条に襲われていたであろう。結果、掛橋たちは傷の程度を詳しく調べられなかったが、腕についた傷は防御創に違いなかった。
 西条は刃物を持った何者かに襲われたのだ。
 刃物を使用して西条を襲ったのは誰なのか。喉の傷はグールによるものと思われるが、思考力の低下しているグールが道具を――それも刃物を使って西条を襲撃したとは考え難く、そもそも敷地内で刃物の入手は困難である。
 雨でぬかるんだ道を進みながら、掛橋は考える。

 ――西条は、人間とグールの双方から襲われたということだ。

 裾の部分は、跳ねた雨水を吸いこみ、変色しはじめていた。

 ――両者から襲われる、そんな希有な状況が起こり得るものだろうか。

 ひとつの遺体に残された二種類の傷跡。そのどちらかが偽装ではないかとの疑念は、すぐさま否定できる。グールは刃物を使わないし、噛みつかれていなければ、西条がグール化するはずはない。つまり西条は、刃物を手にした人間に襲われ、さらにはグールからも襲われたということである。
 西条を刃物で襲った人物として最初に思い浮かんだのは、夕刻時に西条と接触した山岡だったが、遺体を目にしたときの反応からして、加害者である可能性は低いように思われた。さらに疑問を覚えるのは、掛橋の部屋の前で西条が死んでいたことである。昨夜の激しい雨風のせいもあるが、掛橋は、争う声はおろか、怪し気な物音すら耳にしていない。西条が殺害されたのは部屋の前であったのか。それとも別の場所で殺害されて、部屋の前まで運ばれてきたのか。そのどちらであろうとも、形跡は昨夜の雨で洗い流されているので確認の仕様がない。台車のうえで動き回る西条に注意を払いながら小獣舎へ到着するまでの間、掛橋は頭を働かせ、解答を求めて推理し続けた。
 ふいに――掛橋の脳裏に、数ヶ月前に出会った〝柏樹〟という名の男の顔が思い浮かんだ。柏樹は〈TABLE〉メンバーが巻きこまれたとある殺人事件を解決へと導いた、推理小説に登場する名探偵のような男であった。

 ――もしもこの場に柏樹がいれば、数ヶ月前の事件のときと同じように、すべての謎を解明してくれるかもしれない。

 西条は誰に殺されたのか。
 なぜ掛橋の部屋の前で死んでいたのか。
 柏樹という男の手にかかれば謎は容易に、

 ――いや、なにを。

 かぶりを振って唇を歪める。

 ――なにを考えているんだ。この場に居ない男に縋ろうとするなんて情けない。わたしだ。わたし自身が真実を追求しないでどうするんだ?

 肩にかけた無線機に手を添えて進行方向へ顔を向けたとき、視界の隅に小獣舎が映った。

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