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觀想生活日記 2024-03-11/17—「ドイツ語のR」の發音

ネットって知りたい情󠄁報がほとんど出てこないことで有名だから、オレはドイツ語の口蓋垂ふるえ音 [ʀ] (口蓋垂摩󠄁擦音じゃなくて!)の發音の仕方を知りたいのに日本語と英語でググってもずっと發音の方法が出て來ず、それどころか、ただ發音の実例を収録しただけの動畫や(ドイツ人もYouTubeで „Ich weiß gar nicht wie. Wie ich mache das denn?“ とか言ってるし)、「口蓋垂摩󠄁擦音でも十分通󠄁じますよ」「現代標準ドイツ語ではほとんど口蓋垂摩󠄁擦音ですよ」みたいな不必要な意見ばかり出て來て(オレは「十分通󠄁じ」る別の音を知りたいんじゃなくて、まさに口蓋垂ふるえ音そのものの發音の仕方を知りたいのだが? そして、いざというとき、例えば ⟨R⟩ の音を強調󠄁するときや、ゆっくり格調高く讀みたいときや、口蓋垂ふるえ音で ⟨R⟩ を發音する頻度の高い地域に行ったときなどのことを考えると、口蓋垂ふるえ音を發音しないことと發音できないことはまるで異なると思うのだが?)困っていたのだが、初めて『ドイツ語発音の森』でそれが見つかった。

[ʁ] → r が表す子音の音です。音節の頭, 子音の後, 語中の短母音の後の r の音です。舌先を下の前歯の裏につけた状態で軽く口を開け,「ラー」と声を出すと [ʁ] の音が出ます。前舌を上あごにつけずに発音するのがポイントです。うまく音が出せないときは, 指先を舌の上に置いて発音してみましょう。

ドイツ語発音の森

[ʀ] → [ʁ] を出すのと同じ口の形で「ラッ」と強く声を出してみましょう。うがいをするときのように呼気で口蓋垂 (ノドビコ) が震えて [ʀ] の音になります。

ドイツ語発音の森

重要なのは「舌先を下の前歯の裏につけ」ることだと思う。また、舌の後ろを高くして(軟口蓋の真ん中から後方らへんを触る感じ)、ガラガラうがいを意識しながら何度も ⟨rot⟩ ⟨Fahrrat⟩ と唱えて練習󠄁すると、口蓋垂ふるえ音も出せる(正確には「まだ完璧ではないが確かにこれは口蓋垂が震えているという實感が持てる」)ようになった。

私も誰かに發音が合ってるか確かめてもらったわけではないので保證はできないが。

なんで『エヴァ』ってあんなにモンスーンのようにジメジメしたアニメなんだろうね。ジメジメした作品って物凄く苦手だ。まあ物語ってだいたいジメジメしてるけど。だからカラッとしている學問が好きだけど、哲學者󠄁にもジメジメした輩がいるから油断ならない。

修道󠄁院、ナーランダー僧󠄁院、大學院。

愛する人は命題の複合體にすぎないのか?

愛する人とは、世界樹の茨に咲󠄁く花󠄁である。

初夜權って何の爲にあるんだろう? そもそも結婚制度って財產相續の處理の円滑化󠄁が主たる機能だと思うのだが、初夜權なんかあったら、(初夜權がある社會って避妊技術󠄁とかまだ無いだろうし)誰を父とする子供が生まれたのかまるでわからず、繼承爭いとかが頻発する大變な社會になってしまいそうだけれど。

たしかに物理學の「人間原理」も全󠄁くの無意味だとは思わないが、その原理を受け入れてもなお、「なぜ人間がこのような性質のとき宇宙を觀察可能であるという法則があるのか」という問題は殘る。

ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου!

ὡς χαλεπὸν τὸ μίαν γλῶτταν μανθάνειν!

生き方について私は何が言えるか。現世において希望󠄂を捨てる者󠄁は、來世において絕望󠄂を捨てる。

私はしばしば、たとえば街を步きながら、「セックスにおいて性器󠄁插入は本當にそれほどまでに重要なのか」と疑問に思うことがある。セックスってもっと家族的類󠄀似性・多樣性のあるものでは?

「可愛さとは性奴隸道󠄁德である」という話はもうした氣でいたのだが、過󠄁去作品フォルダーを檢索しても出てこないのでしてませんでしたかね? 「かわいいね」と言われて嬉しくなってしまうのは自らの劣弱󠄁性の讚美であり、他者󠄁による評󠄁價への屈服󠄁であるという話。

君は、「どうして心神󠄀喪失の殺󠄀人者󠄁を死刑にしてはいけないの?」と尋󠄁ねるかもしれない。「國民感情󠄁はそれを望󠄂んでいるのに」と。ならば私は、「どうして人を殺󠄀してはいけないの?」と反問しよう。たとえば「國民感情󠄁」が「〇〇人は〇〇人であるが故に死刑!」という法律を望󠄂んでいたら、どうしてそれを實行してはいけないの、と。あるいは、私の感情󠄁が、「お前󠄁は、憎たらしいから、死ね!」と思っているとき、どうして君を殺󠄀してはいけないの、と。

ああ、私は白晝に燈を揭げ、街なかで「倫理學は死んだ!」と叫ばなくてはならない。

セックスとはオナニーの一種であるが、オナホにすることよりもオナホになることの方が罪深いのだ。

『哲學の歷史 9』大橋容一郎「第6章」394頁。『哲學の歷史 11』飯田隆「第10章」669頁。曰く、哲學の自然化󠄁・專門化󠄁が進󠄁行し、物理學の哲學を行うためには物理學の專門訓練󠄀が必要になり、法哲學者󠄁が法學部に所󠄁屬するようになったが、哲學者󠄁は科學・工學から文學・歷史に至るまでの特定の學部・學科に所󠄁屬して特定の分野への所󠄁屬を決められない哲學者󠄁は必要無しとして良いのかと。

ロゴスとは、とある靈長類󠄀の鳴き聲に過󠄁ぎない。

デカルト的懷疑とは一體なんなのだろう? デカルトは一體何を懷疑しているのだろう? たとえば「目の前󠄁に紙がある」ということを懷疑するとはどういうことか? まず、「紙のような表象が現前󠄁している」という現象が懷疑可能であるとは、私には思えない。つまり、「あたかも〜のように見えているという事實」は懷疑不可能であろう。では、デカルト的懷疑は、一體何をどう懷疑しているのか? 合理的に解釋する方法の一つは、「これは紙のように見えるが、これにマッチを近󠄁付けても燃えなかったり、顯微󠄁鏡で覗いても纖維が見えなかったりするかもしれない」というような假說の言明と見なすことであろう。つまり、現に今見えている現象は懷疑不可能であろうから、「未來においてたとえばその對象に何らかの操作を加えたとき、元々外見から豫期していたこととは異なる結果が生じる」ということを私は今信じる、という意味なのではないか? ならば、これは懷疑ではなく、信念 (belief) である。また、「この現實は全󠄁て夢かもしれない」と懷疑するとき、一體何をどう懷疑しているのか? 「あたかも現實のように見えるこの現象」がここにある(現に存在している)ということが疑いうると私には思えないので、つまりそれは「未來時點において覺醒という現象が到來するかもしれない」という假說の言明であろう。

ドイツ語の夢を見た。夢というよりドイツ語をひたすら唱えているディープなラーニングみたいな感じだったけれど。その言語の夢を見るというのは勉強した證だから、嬉しかった。

内田:そのころ、仏文界でジョークがあったんです。仏文の世界は3分の1がマラルメとプルーストで、3分の1がボードレールで、後の3分の1がフローベールでできているよ、という。日本にいる仏文の研究者って、ざっと2000人いるんだけど、確かに冗談じゃなくて、マラルメ&プルースト、ボードレール、フローベールに各200人ずつぐらいいるんですよ。あとの専門家は、だいたい10人ぐらいずつが、それぞれの作家とか思想家とか詩人(を研究している)。
 フランス文学って、中世から現代に至るまで、哲学とか戯曲とかを含めると広大な領域があって、ものすごい数のアーカイブが用意されているのに、日本では、その中の1万分の1ぐらいのところに、研究者がばーっと集まっているんです。


BLというのは「昔々或る所󠄁に〜」から始まる神話であって欲しい。いつだかよく分からない時代。どこだかよく分からない場所󠄁。歷史という大きな物語からの解放。妖精󠄀の戲れ。それがヤマもオチも意味も無い「やおい」の美學なのだから。

2024-06-28

今日の一曲:Dua Lipa『Illusion』


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