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哲學思想日記 2023-W50/52 — オシャレの中庸・部分的に大きな政府・死の翌󠄁日の科學的發見

※加筆修正してPDF化󠄁しました↓


哲學

科學においては私の死んだ翌󠄁日に新事實が發見されるかもしれない。それなら生きて科學的知識を追うことに何の意味があろうか? 明日死ぬかもしれないのに。

ハイデガーは抹香臭󠄁い。

分析實存哲學とかあってもいいよね。というかもうありそうだけど。

哲學は誰の役に立つのか?

「現前の形而上學」って「タテ問題」のことなのかな?

デカルトの方法的懐疑の眞理條件が「夢ならば僞」なのが引っかかる。

カントの第一批判の目的は「形而上學はいかにして可能か」だった。そして「形而上學は數學や自然科學と同樣アプリオリな綜合判󠄁斷」だから「アプリオリな綜合判󠄁斷はいかにして可能か」が論點になった。しかし「數學が綜合判󠄁斷」であるとか「自然科學がアプリオリ」であるとかの、それ自體で簡單には受け入れ難い命題(分析哲學誕生の要因の一つとすらなった)がほぼ自明のごとき前提となっているから、「アプリオリな綜合判󠄁斷を基礎付けることで形而上學を基礎付ける」という論法自體に魅力を感じづらい。

カントは、アプリオリな綜合判󠄁斷がいかにして可能かを硏究しているの?それとも、經驗がいかにして可能かを硏究しているの?

倫理

人類を皆❌ししてAIに置き換えてはなぜいけないのか?

諸學

『重要な文法から順に學ぶ古典ギリシア語入門』みたいな敎科書があればいいと思う。

學問の永久の進󠄁步という理念が信じられない。或る學問における問題が解決して󠄁終󠄁了する場合にも進󠄁步が止まるし、問題が問題のまま停滯する場合にも進󠄁步が止まる。そしてその進󠄁步の無い狀態が人類最後の日まで續くかもしれないのに。

社會

「大きな政府」と「小さな政府」だけではなく「部分的に大きな政府」とか「特定の仕方で大きな政府」とかを目指す政治的立場があってもいいのに。

藝術󠄁

『ギルガメシュ敍事詩』には「個人」がいる。死に直面し、不死を求めた個人が。

オシャレさにも中庸ってあると思う。ダサ過ぎずキメすぎていない感じが一番ファッション良くないですか?

人生

歲をとったのか、近頃日本民謠を聽くと意外といいなと感じるようになった。

高校生くらいの男子が2人と小学生くらいの男子が2人で歩いていて、そのうちの一人の男子高校生(?)が一人の男子小学生(?)の肩󠄁を抱󠄁いて頭をめっちゃなでなでしていたのだが、あれはいったいなんだったのだろう。


2024-01-15
Image by Annette Meyer from Pixabay
今日の一曲:As with Gladness Men of Old / Konrad Kocher, William Chatterton Dix


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