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マスゲームを鑑賞したとき、眠っていた本能が目を覚ます

「ぜったいに、屋上から見てね!」

中学生の娘が、運動会で行われるマスゲームを屋上から見るよう言ってきました。マスゲーム中の移動が多いので、近くで見ても、きっと自分を見つけられないだろうという理由で。

マスゲームとは、ダンスや体操などを大人数で披露するパフォーマンスのこと。娘としては、上からマスゲームをビデオで撮ってほしい気持ちもあったようです。後日、フォーメーションを鳥目線で見ることを楽しみに。

ですので、私は娘にすすめられるまま校舎の屋上に向かいました。眼下には、総勢で600名以上の子どもが整列しています。

曲に合わせて子どもたちが行進するさまは、圧巻!フォーメーションが次々と変わります。円形になり、大きな星をつくり、ところどころで組体操を披露。拍手がわき起こりました。

娘は体育館の西側にいると言っていたので、そちらに目を凝らします。サッカー観戦並みに、子どもまでの距離が遠いです。子どもの立ち姿は米粒並みの小ささ。みな同じ体育着。同じような動き。

なのに、しばらく屋上から鑑賞していると、娘がどこにいるか分かるのようになるのです。不思議な感覚でした。

背番号がついているわけでもないのに。

髪型うんぬんではなく、子どもの仕草や姿勢が際立っていました。遠くからでも、娘が見分けられます。すると、周りからも似たような声が聞こえてきました。

「いた、いた、いた、いた!」
「右の方にいて、後ろを向いているよ!」

周りの親たちも同じように、屋上から米粒と化した自分の子どもを見つけています。親の本能のようなものでしょうか。

ふいに野生の勘が働く感じ。実際に、親子として10年以上寝食をともにしてきました。記憶のなかの子どもの立ち居振る舞いと合致する感覚にふるえ、腑に落ちたのです。これまで子育てを通して、嬉しいことも、しんどいことも、十二分に向き合ってきました。娘の気持ちも遠くから伝わってくるかの感覚でした。

近い将来に子どもが巣立っても、きっと大丈夫と自信をもつことができた出来事でした。

※ タイトル画像は「inagakijunya」さんにお借りしました。ありがとうございます。

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