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interview Jasmin Godoy:クルビ・ダ・エスキーナと現代ジャズが融合した傑作『Show Me The Way』(8,000字)

2023年、ジャスミン・ゴドイというアーティストの音源が送られてきた。それは聴いた瞬間引き込まれるような素晴らしい内容だった。ブラジルの音楽、特にミナスの音楽の要素はある。だが、それだけでなく、2010年代以降、グローバルに同時進行で進化し、流布していった現代のジャズとその周辺の要素もある。2010年代以降、ミナスのコミュニティからはアントニオ・ロウレイロらが出てきて、2010年代末、ブラジル北東部のペルナンブーコからアマーロ・フレイタスが出てきた。ブラジル人たちがどんどんオープンになり、世界中の音楽を取り込んでいったことで大きな注目を集めることになった。僕はなんとなくジャスミン・ゴドイもそんなひとりなのかなと思っていた。

Jasmin Godoy - Show Me The Way(※Japanese version Artwork)

だが、調べてみても彼女に関する情報はとにかく無い。こんなに高いクオリティの音楽を作っているのに彼女の情報はほとんど無かった。僕に彼女の音楽を聞かせてくれたディスクユニオンのA&Rがどうやって見つけたかというと「ハファエル・マルチニの推薦」だという。そんな中でもわずかに入手できた情報は彼女がブラジルにルーツを持つものの、オランダで生まれたということ。そして、オランダの大学で音楽を学んだ後、ブラジルのミナスに移住。現在はミナスのコミュニティで活動しているとのこと。最終的にほぼそのくらいしか情報が得られなかった。これじゃどうしようもないので彼女に簡単なインタビューを行った。

それによって彼女のことをようやく知ることができた。ここではそのインタビューを公開することにする。

取材・執筆・編集:柳樂光隆、編集:江利川侑介、協力:ディスクユニオン


◉10代のころの影響源

――まずあなたが10代のころによく聴いていた音楽を教えてください。

私は 11 歳でギターを弾き始めました。ビートルズの曲なら弾くことができました。そこから自分の曲を書くことに興味を持ち始めました。 父が音楽家だったので、家には毎日音楽が溢れていて、父の好みがそのまま自分の好みになりました。

10代の頃はビートルズスティーヴィー・ワンダージャヴァンマイケル・ジャクソンジルベルト・ジルカエターノ・ヴェローゾボブ・マーリー、そしてクルビ・ダ・エスキーナ(ミルトン・ナシメント、ロー・ボルジェス、ベト・ゲヂスなど)をよく聴いていました。

◉ブラジル音楽との繋がり

――ブラジル音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

それはごく自然なことでした。ブラジル音楽は私の外にあるのではなく、私の中にあると断言できます。 私は非常にリズミカルな手と足を持って生まれました。これはブラジル人の祖先によるものだと思います。そのため、子供の頃からこの音楽が私の周りにあり、私の中にありました。
 
その中でも 10 代の頃、クルビ・ダ・エスキーナの曲、特に ロー・ボルジェスの曲に衝撃を受けました。私は常にアップダウンがあって激しい人間なので、この非常にプログレッシブなロック音楽に感動しました。そして、ブラジルに移住することに興味が高まり始めました。でも、インスピレーションの源としてブラジル音楽に夢中になったのは、ほんの数年前からですね。

――特に影響を受けたブラジルのミュージシャンがいたら教えてください。

カエターノ・ヴェローゾは神秘的で穏やかで心地よい声が好きです。彼の声を極限までコントロールする姿は、いつも私にインスピレーションを与えてくれます。 彼の両性具有性、そしてパフォーマンスのクオリティーも。

ジャヴァンはリズミカルなギターと言葉のフレージングに惹かれました。いつも私を激しく魅了してきました。

ロー・ボルジェスは彼のハーモニーや進歩的な不規則なリズムです。非常に「ミネイロ」(ミナス的)なサウンドで、ある種の乱雑で不完全なところが私は好きです。

ベト・ゲヂスは父の故郷であるモンテス・クラロス出身。とても深いミナス・サウンドの持ち主で、いつも私に感動を与えてくれます。

ミルトン・ナシメントは彼の声のトーン、音域、素朴さ、彼の音楽の神秘的でスピリチュアルな深さ、信じられないほどのパートナーシップとリーダーシップの資質を持っています。

――ブラジルに移住して何が得られたか教えていただけますか?

究極の共同体意識と帰属意識があります! 私はオランダで生まれ育ち、メディアや学校を通じて世界中の多くの偉大なアーティストにアクセスでき、またショーに行くことができたことにはすごく感謝しています。それに私はヨーロッパのフォーク/ロックシーンが大好きなんです。

でも、私はいつも自分の音楽はどこかヨーロッパと完全に「一致」しないと感じていました。ブラジルで音楽仲間やブラザー&シスターに会ってから、私の中にある(オランダの音楽には欠けていると感じていた)激しさが、実はブラジルから来ているものだったってことに、本当にピンと来たんです。 深さ、激しさ、リズムなど、音楽で表現されているミナスジェライス州の山々が形成する谷、一体感、そしてお互いに助け合う感覚。 これらすべてを私はブラジルから感じています。

ブラジルで私の音楽が本当に充実したものになり、さらに広がっていく可能性を感じます。ブラジルに来てから本格的に音楽を始めたばかりですが、そこでバンドのメンバー、パートナー、プロデューサー、音楽を愛する仲間たちにも出会いました。そして、もちろん、アフリカや先住民族の先祖をルーツに持つ音楽は、ブラジルでしか見つけることができないものばかりです。そういった文化と繋がることはディープでスピリチュアルな旅でした。私にはまだ学ぶことがたくさんあると思っています。

◉ミナスジェライスへの移住

――なぜブラジルの他の州ではなく、ミナスジェライス州の音楽に惹かれたのですか?

そこが私のルーツだからです!ミナスに引っ越してきて、自分の音楽がなぜこんなにもミナスの音楽と合っているのかを理解することができました。面白いことに、私はオランダに生まれながらも、常にミナスジェライス州と大きな神話的なつながりを持っていました(おそらく赤ん坊の頃からここに来ていたからでしょう)。今ではより深いものになっていると思います。 

ミナスジェライス州はブラジルの中心部にあり、植民地時代のポルトガルと奴隷貿易の歴史があるため、様々な音楽の影響を受けている地域です。しかし、私はミナスの自然、谷や山、そしてより内省的で温かい性質こそが、ミネイロの音楽を特に知的で、深く、調和的で、メロディアスで、リズミカルなものにしているのだと思っています。 それはすべての黄金比のようなもの。私が住んでいるベロオリゾンチで、ハファエル・マルチニアントニオ・ロウレイロなど、日々出会うたくさんの新しいアーティストから常にインスピレーションを受けています。

――あなたがコラボレーションをしているMoonsやLeonardo Marquesらの音楽の魅力を聞かせてください。

レオナルド・マルケスの作品で私が何よりも惹かれたのは、細部と繊細さに対する目でした。 彼は、主にアナログ機器から得られる「Good Sound」に心酔しています。彼はヴィンテージの機材やマイクを収集するのが大好きで、アナログな方法でエフェクトを作成することも好きなんです。あたたかみがあって、バランスのとれたヴィンテージ・サウンドを作り出す彼の耳は、彼のプロデュース・ワークで聴くことができます。それに加えて、彼は信じられないほど親切で穏やかな人で、非常にプロフェッショナルかつ効果的に仕事をすることができます。彼に初めて会ったときに私が衝撃を受けたのはその部分もですね。

◉ヴォーカリストとしての影響源

――ヴォーカリストとして特に研究しているミュージシャンがいたら教えてください。 

若い頃はエラ・フィッツジェラルドに惹かれていました。その理由は、彼女のストーリーを語る方法と、彼女の声の温かさとビブラートだったと思います。音の持続を自然に聴こえるような歌唱が大好きなんです。なぜなら、それは本当に内側から出てくるものだと思うからです。エラはその点ではとても優れたシンガーだと思います。

その後、音楽を学んでいるときにベッカ・スティーヴンスの音楽に出会い、彼女からたくさんのインスピレーションを受けました。彼女がリズムとメロディーを駆使して、自身の声をとても軽やかな羽のように聞こえさせる方法から、私はインスピレーションを受けました。 彼女は私と同じようにポリリズミックな歌を愛するので、声とギターの関係の部分も興味深いです。

――器楽奏者として特に研究した音楽家がいたら教えてください。

私はギターという楽器に常に直感的に触れてきました。11 歳のときに 1 年間ギターを勉強したんですけど、音符にはまったく興味がないことに気づき、自分はただ創作したかったってことがわかったので、ギターを学ぶのはやめました。まず私はギターのアームや弦のことを調べ始めて、次第にチューニングを変えるようになり、コードがより広く、よりオープンに聞こえるようにしました。それによって演奏しやすくなっていったと思います。

これは誰かにインスピレーションを受けてやったわけではないんですが、16~17歳くらいになったころ、素晴らしいフィンガー・ピッキングスタイルを持ったアーティストを何人か発見したのを覚えています。私が好きになったフォークスタイルのアーティストだと、オーストラリアのリオール(Lior)がいます。 彼はイスラエル人でもあるので、アラビックな音階も多く取り入れていて、そこも私が気に入った理由でした。あと、子供のころから聞きまくっていたビートルズは私のギター演奏の基礎になっていると思います。また、右手のリズムに関して大きな影響を与えた存在として、ブラジルのジャヴァンがいますね。

◉作曲家としての影響源

――作曲家として特に研究した音楽家がいたら教えてください。

深く研究したことはないんですけど、サウンドに影響を受けるようになるまで、何度も何度も繰り返し聴いたアーティストだったらいます。いつも家で流れていたクルビ・ダ・エスキーナもそんな例だと思います。その結果、成熟した今、私の音楽はロー・ボルジェスによく似ているとみんなから言われます。私はそれにたいして怒ったりはしません。なぜなら私にとって彼は天才だから。

それ以外には、私が夢中になった現代的なバンドがいくつかいて、ハイエイタス・カイヨーテはそのひとつです。彼らのハイブリッドなところ、特にフロント・シンガーのネイ・パームは常に私にインスピレーションを与えてくれます。ネイが声を楽器として使う方法は、間違いなく私に影響を与えていますね。ハイエイタス・カイヨーテの音楽は常に有機的に進化していて、既存のルールには従ってないんです。私はリスナーを席の端に追いやってしまうような感覚を与える、ある種の複雑な音楽が好きで、彼らもそうなんですけど、同時に彼らがやっているのはそれを有機的で、極めてナチュラルな音楽として聴こえるようにしていますね。それに関しては、ベッカ・スティーブンスやピアニストのティグラン・ハマシアンも同様です。私はそういった進歩的なところに共感するんですよ。そこに加えるとしたら、レディオヘッドにも衝撃を受けたこと、でしょうか。

◉デビュー作『Show Me the Way』

――デビュー作『Show Me the Way』のコンセプトについて教えてください。

『Show Me the Way』(=道を示して)という概念が私に実際に浮かんだのは、サンティアゴ巡礼(ローマ、エルサレムと並びキリスト教三大巡礼地のひとつとされる、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼)を終えてほぼ 1 年も経たないうちでした。 28日間、たった一人で歩きました。タイトルは、巡礼路を歩いているときの気持ちを表現したもので、最終的に優しい子守唄へと結実しました。頭の中で「この声に従っている」という感覚があったんです。それは、私を「正しい」方向、つまり「道=The Way」へと導き続けてくれました。

その後、パンデミックの最中にブラジルに移住しました。2021年12月 、いつか録音するために貯めていた膨大な曲をすべてポケットに入れてから決行したブラジルへの移住は私の癒しの旅のステップのひとつであり、「本物の自分」へと進化するために必要なものだと気づきました。このアルバムのコンセプトが実現する場所はブラジルしかありえなかったと思います。そして、私はブラジルで多くのインスピレーションを得て、レオナルド・マルケス、カリル(私と一緒にすべてのアートワークを担当した)、私のバンドなど、ともに取り組むべき人たちにも出会うことができました。それにより「道」のコンセプトはコレクティブなものになりました。「道」は「人生」と「あなたの道を横切るすべての人々」の比喩です。光に対して心を開いていれば、共に美しいものを生み出すことができるんです。

『Show Me the Way』は、本当の自分になるための招待状のようなものです。これは「道に迷った少女の自伝的物語」なんです。彼女は自分を助けてくれるスピリット・ガイドに助けを求めます。 彼女は「道を教えてください…自分自身に」と尋ねます。 しかし、彼女は自分だけではそれを成し遂げることができないことに気づきます。彼女が自分自身になるためにはトライブ(tribe)そして集団性(collectiveness)が必要だったんです。 もう一方は鏡になるだけでなく、あなたの精神的な成長をもたらす器にもなります。 音楽は自分自身の内側をより深く掘り下げるための招待状です。 「魂の暗夜」に立ち向かい、感情の水から浄化されて、スターとして浮上する勇気を持つこと。

◉『Show Me the Way』に参加したアーティスト

――アルバムに関わった主要アーティストの貢献について教えてください。

結局ミナスジェライス州の人々とだけ演奏しています。彼らはそれぞれ独自の青写真を持っていました。

ベト・ロペスはベロ・オリゾンチの非常に有名なベース/ギター奏者です(面白いことに、彼は私の父マルセロ・ゴドイの最初で最後のCDもプロデュースしています)。彼は本物のクルビ・ダ・エスキーナのサウンドを、私の音楽に加えてくれたと思います。なぜなら彼はトニーニョ・オルタやミルトン・ナシメントとよく演奏しているんです。彼はスタジオで雷に打たれたようにメロディーを思いつくんです。あれは本当にかっこよかった。

ルカス・ヂ・モロはベロオリゾンチの神童です。彼はピアニスト兼プロデューサーで、アルバムではピアノとシンセを演奏しました。 彼のバイブスとアトモスフィアを生むタッチが、アルバムの多くの曲を結びつけてくれました。 彼はただピアノを叩くこともあれば、レオナルドが鍵盤にかけるエフェクトに夢中で取り込んでくれることもありました。

シラーノ・アルメイダは父の故郷モンテス・クラロス出身。彼は多くの「アシェー(Axe)」、つまり生命力と祖先のエネルギーをもたらしてくれたと思います。彼はアフリカ系ブラジル人宗教で使う打楽器に精通していて、ミナス北部地域から特別なドラムも持ち込んでくれました。彼はトニーニョ・オルタとも共演しており、クルビ・ダ・エスキーナの曲を独自の方法で演奏することができるベロオリゾンチの数少ない若いドラマーなんです。

◉『Show Me the Way』におけるハーモニー

――自分の声を何度も重ねるボーカルがあなたの音楽の特徴であり、「Show Me the Way」の魅力でもあると思います。 ボーカルアレンジに関してインスピレーションがあれば聞かせてください。

私が以前に録っていた私の声で作ったハーモニーのレイヤーがアルバムのアレンジへのガイドのようなものになっていました。ラップトップで音楽を録音できるようになって以来、私はデモをたくさん録っていたんです。今回、それをレオに聴かせたら、それが私たちの制作のガイドのようなものになりました。

ヴォーカル・アレンジメントのインスピレーションは前述のハイエイタス・カイヨーテの作品におけるネイ・パームで、ハーモニーに重点を置いた彼女自身のソロ作品『Needle Paw』もそうだと思います。もちろんベッカ・スティーヴンスもそう。また、「Mr. Sandman」のような曲で聴くことのできる50年代から60年代の非常にオールドスクールなジャズ・ボーカル・グループもインスピレーションを与えてくれました。あと、ボーカルアレンジの第一人者ボビー・マクファーリンもそうですね。

ここからは、私のアルバムに関する面白いエピソードを話しますね。

ーーお願いします。

◉『Show Me the Way』の制作プロセス

レオナルド・マルケスは私のアルバムをすべてテープに録音したいと考えていました。彼はサウンドだけでなく、レコーディング本来のプロセスも楽しむ人なんです。しかし、テープは非常に高価で、録音プロセスも困難になります(毎秒停止することはできません)。 そのため、彼がすでに録音したテープを再利用する必要がありましたが、それは音質に影響を与えます。それで、初日はテープのテスト、録音、試聴、テストに丸一日を費やしました。音質が安定しなかったので、最終的にはデジタルで録音したのですが、タイトル曲の「Show me the Way」だけはテープ録音で制作しています。

「Show me the Way」はアルバム用にレコーディングした最後の曲でした。私は長い間、この曲をどうすればいいのか判断がつかず、バンドを加えようかどうか、ずっと話し合っていました。でも、最も自然な方法でレコーディングすることがいいと考え、スタジオで私とレオの二人で録音をしました。ヴォーカルの録音には小さなマイクを使いました。古いカフェテリアのマイクのようなもので、おそらくかなり安いんですけど、素晴らしいヴィンテージサウンドで録ることができました。そして、その曲はテープに録音したんです。

ーーなるほど。

アルバムに関しては、すべての曲をクリックなしで録音しています。まず、すべての曲のベースとなる部分を、私の声とギターでライブ録音しました。まずは私にとっての自然な演奏方法をできるだけそのまま行うというアイデアがあったので、3日間かけて、最初にすべての曲のベーストラックを作成しました。私たちが採用したほとんどの曲は一発録りです。私の曲はとても長いので、演奏するのも歌うのも大変なので、最大でも3回までが限度なんです。そして、これは参加ミュージシャンにとっても大きな課題でした。クリックなしでやらなければならないからです。でも、彼らは驚くべきクオリティーですべてを演奏してくれました。

実はミュージシャンの参加パートについて、プリ・プロダクションや事前の編曲は行っていません。つまり、アルバムで聴けるものは、全てその場で即興的に作成されたものです。そのために私の音楽の一部をすでに把握してくれているミュージシャンを選び、事前に考えたアイデアを持ち込まずに「即興的に作曲する」ことを選びました。私はスタジオでミュージシャンたちと1日か2日セッションをし、私とレオでうまくいかなかったパートは外したりしました。とても有機的な制作方法だったと思います。

◉『Show Me the Way』に使われた特殊な楽器

ーーそれはすごい!!

あと、アルバムではシタールの一種であるスルバハール Surbahar が使われています。この曲はミナス北部の偉大な作曲家、エドサッダ Edsadda が演奏してくれました。彼に頼んで、スルバハールを持ってきてもらい、「SAY」のベーストラックとして多用しています。

またレオナルド・マルケスがテルミンを演奏しています。レオナルドは最後の最後に「Honestly」に追加しました。テルミンのサイレンのようなサウンドが、曲全体を結び付けるような役割を果たしました。

他には創作打楽器グループであるウアクチパウリーニョ・サントスにもアルバムで演奏してもらいました。彼は自分で作った楽器、例えばe tri-mi(弦が3本しかないギターを矢で弾いて弾く)、そしてガラスでできたビブラフォンを演奏してくれています。

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