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コラム:レディオヘッドはもはや現代ジャズのスタンダード(初出 HMV 2016)

過去記事の転載です

ロバート・グラスパー、ブラッド・メルドーら今をときめくジャズメンたちがこぞってカヴァーするレディオヘッドはもはや現代ジャズのスタンダードなのだ。

そもそもトム・ヨークがマイルス・デイヴィス『ビッチェズ・ブリュー』やチャーリー・ミンガスについて言及していたミュージシャンなのは有名な話なわけだが、ジャズにおけるレディオヘッドはそんなトム・ヨークの言葉以上に大きな意味を持つ存在になっていた。テクノやヒップホップを当たり前のように聴いてる世代のジャズミュージシャンにとって、『OKコンピューター』以降のレディオヘッドのサウンドは、生演奏で再現すべき格好のターゲットとなった。

 ヨーロッパからはe.s.t.が、アメリカではブラッド・メルドーがそれぞれ高次元のテクニックとプリペアドピアノなどを駆使して、レディオヘッドがエフェクトやポストプロダクションを駆使して作った音響に生演奏で迫ろうとした。ブラッドメルドー『Largo』での<パラノイド・アンドロイド>はジャズからの回答とも呼べる驚異的な演奏だし、e.s.t.は後にエンジニアのAke Lintonを第4のメンバー的に加え、音響面を更に拡張しようとした(その様子は未発表音源集『301』などで聴ける)。レディオヘッドの音楽はジャズミュージシャンの音響への感覚に大きな影響を与えたと言えるだろう。

 また、同時にレディオヘッドほど時代の空気を反映した心象風景を描いたバンドもいないだろう。彼らの楽曲に宿るダークな質感は、バラードが表現する悲しみや切なさのような動的な心の動きだけでなく、現代的な鬱の感情にも通じる静的な沈みこんでいる状態のような感情を繊細に表現していた。現代のジャズミュージシャンたちはレディオヘッドのそんな表現力にも惹かれていった。

 ブラッド・メルドー(『Anything Goes』)やロバート・グラスパー(『In My Element』)がピアノトリオのフォーマットで<エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス>をカヴァーしたり、クリスチャン・スコットやビッグユキのようにその影響を口にするミュージシャンも後を絶たない。中でもブラッド・メルドーは1998年の『Art Of The Trio Vol.3』で真っ先にレディオヘッドの<イグジット・ミュージック>を取り上げ、その後もたびたびレディオヘッドの楽曲をカヴァーし、それをジェフ・バックリーやニルヴァーナ、ニック・ドレイクやエリオット・スミスのカヴァーと並べてみせたりもしている。最近では、ロバート・グラスパーが『Covered』で<レコナー>を取り上げたのも記憶に新しい。

 その昔、ビリー・ホリデイが<奇妙な果実>を歌ったように、メルドーやグラスパーは同時代の感情を<エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス>を奏でることによって、表現している。レディオヘッドはもはや現代ジャズのスタンダードなのだ。

柳樂光隆 2016年5月記

※併せてどうぞ。

レディオヘッドはジャズではない――彼らが同時代のジャズ作家に与えた多大な影響からジャズ評論家、柳樂光隆が検証する

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