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interview Nik Bärtsch:禅、合気道、浪人、儀式、ミニマル、ジャズ、ファンク(16,000字)

《ジャズ+ミニマル・ミュージック+ファンク+ECM》

これまでに誰も考えなかった不思議なコンセプトを体現し、しかも、ECMからデビュー。ニック・ベルチュはすぐにヨーロッパの現代ジャズ屈指の人気アーティストになった。

そのうえ、バンド名はRONIN=浪人、曲名にAWASE=合わせ、アルバム名にRANDORI=乱取り、などとついていれば、日本人なら気にならざるを得ない。

そんなニック・ベルチュに一度くらいは日本人が日本からの影響の話を聞いておくべきだと思い、今回、取材することにした。

タイトルにも書いたが、ニックはを学び、合気道をしていて、音楽のコンセプトには日本的な儀式からのインスピレーションがある。一方で、ジャズ・ミュージシャンとして即興もするし、めちゃくちゃグルーヴィーなファンクを奏でもする。それがどう結びつくのか、そもそもそれらの日本の文化をどんな意味で使っているのか。今回はひたすらその話をしている。

久々の来日、しかも東京、神戸、福岡を回る日本ツアーを前にぜひ予習として読んでもらいたい。

▼ 7/8  久留米シティ・プラザ C-BOX
 ▼ 7/9 - 7/10  神戸100 BAN HALL
 ▼ 7/12 - 7/13 青山Baroom

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:渡瀬ひとみ | 協力:S/N Alliance


――まずはすごく基本的な質問からしてもいいですか?

オッケー。基本的な質問は好きだよ。全てが構築されていく上で、基本というものは大事だからね。日常のトレーニングみたいなもので、僕は常にベイシックトレーニングは欠かさないから。

◉影響源:ジャズ・ピアニスト

――「ジャズ」の部分ではこれまでにどんなピアニストを研究してきましたか?

・セロニアス・モンク

まず最初に、セロニアス・モンクだ。

彼はジャズの審美的にとても重要な人物ではあるけど、僕にとっては、コンポーザー、インプロヴァイザーとしてとても大事な存在だった。

そして、彼の即興はコンポーザーのようなインプロヴィゼーションなんだ。マテリアルにものすごくフォーカスしたプレイで、ある意味ミニマリスト的なプレイヤーでもあり、ミュージシャンだ。コンポーザーとしても、インプロヴァイザーとしてもね。彼は、“間”にとても意識を持っていた人で、フレーズを何処に置いていくか、とても深く考えていた。彼はオン・ビートでも、オフ・ビートでも同じフレーズを多様していたね。このフレーズ、パターン、リズム、を音楽的に詳細に探究していく方法にはとても影響を受けたよ。コンポーザーとして、そして、インプロヴァーザーとしてこの繋がりは、とても大きなインスピレーションになった。今でも僕の研究材料だよ。

・レニー・トリスターノ

二人目のピアニストはレニー・トリスターノ

彼は、ポスト・バップピアニスト。彼はおそらく最初にジャズでポリメトリック(多拍子の)の探究をした人だと思う。彼の「Turkish Mambo」は、初期の頃に変拍子、または拍子を多重に録音した作品であり、デイヴ・ブルーベックが変拍子を有名にする前のことだった。レニー・トリスターノは彼の遥か前からそういった変拍子的なものを研究していたからね。

そして、彼はバッハとかバロックといったクラシック音楽でよく使われる対位法手法を実践していた。彼のバップ的なプレイ奏法は、リズム的なセンスに溢れていて、対位法的な手法はリズムとか、ベースラインに反するものだった。だから、これらの高度なインプロヴィゼーションの手法、形式的に音楽を捉える方法にはとてもインスピレーションを受けたし、今でも影響を受けている。

中でも最も影響を受けたのは、「Turkish Mambo」だね。初期の頃の彼の作品で、彼は自分のプレイを多重録音などし、より高い音域に移調したりしてピアノの音色で実験していた。

それに彼は、テーマもないような曲で実験していたんだ。メロディがなく、ただのインプロヴィゼーションから曲を発展させたりしていた。これらは変拍子で、テーマも存在しない。それにはとてもインスピレーションを受けたよ。どうやって楽曲を作っていくのか?っていう意味でね。

・ラン・ブレイク

もう一人好きなピアニストがいて、それはラン・ブレイク

彼は特別でサード・ストリーム・ミュージック畑の人。クラシック・アブストラクト・モダンニズムとジャズの間をいく人で、伴奏者としてとても優秀な人だったと思う。彼がジーン・リーと一緒にやったことは結構気に入っているんだよね。彼も“間”に対する意識を持っているし、ジャズの伝統でのプレイはするんだけど、モダンなコード使いとアブストラクトなインターバルの使い方をするんだ。シンガーの歌もちゃんと聴いているしね。そういったところにインスピレーションをとても受けた。彼はとても洗練されたミュージシャンなんだけど、あまり多くの人たちに知られていない。トラディショナルな音楽にモダンで現代的なサウンドのピアノを乗せてプレイするという意味で彼はとても影響を与えた人物だと思う。

・ジョージ・デューク

そして、まったく違うタイプのピアニストの話をしたいんだけど、それがジョージ・デューク

フランク・ザッパとの共演で良く知られている人だよね。とてもグルーヴィーでポップな音楽で知られている人ではあるんだけど、彼のフレージング、音をどういったところに配置していくか、レイドバックされたジャズプレイヤーとして、そして、グルーヴの中にフレーズを入れ込んでいくという意味ではとてもインスピレーションを受けた。彼の手法はいつも気に入っていた。

それに彼はブラジル音楽にもとても影響を受けているんだ。僕らは色々なブラジル音楽のバックグラウンドに影響を受けている。僕のバンドで一緒にプレイしているドラマーのカスパー・ラスト(Kaspar Rast)は、ティーンエイジャーの頃からあらゆるブラジリアン・バンドでプレイしてきた人でね。ブラジルにも行ってたし。彼はブラジル音楽に対して天賦の才能とフィーリングを持っている。僕はこういったバンドで演奏する機会をもらったりしていた。たとえば、シコ・ブアルキ『Construção』は素晴らしアルバムでリズムに対しての考え方という意味で、僕にとても影響を与えてくれた。オンタイムのものと変拍子のものと両方でね。

・シャーリー・ホーン

これら以外だったら、シャーリー・ホーンにも影響を受けた。

彼女が弾くピアノのアブストラクト的な要素、そして、僅かな音を使ってフレーズを色付けるのにはとてもインスピレーションを受けた。マイルス・デイヴィスとの作品もそうだけど、なるべく削ぎ落としていくという観点から影響は受けたね。

・デューク・エリントンとカウント・ベイシー

あと、二人、ビッグバンドのバンドリーダー、オーケストラのリーダーだったピアニストの話をしたい。それはデューク・エリントンカウント・ベイシーだ。

彼らはピアノをオーケストラ的な楽器として使っていたから。ピアノをサウンドとブレンドして、色付けるために使っていた。ピアノを僅かな科学的要素として取り入れて使っていた。日本絵画のような手法。いくつかのものしか描かなく、空間を見せていく。いくつもの線を描いて埋め尽くすのではなくてね。

・クリスチャン・ヴァルムルー

そして、現在の僕にとって一人重要なピアニストがノルウェーのクリスチャン・ヴァルムルー

彼は美しいプレイヤーでもありコンポーザーで、ジャズ、モダン・ミュージック、フォークミュージック、ミニマル・ミュージックの間をいく。彼の音楽はとても洗練されていて、インテリジェントで、音色を混ぜていく手法はとてもユニークで、リズミックの変換がとてもスマートなんだ。

◉影響源:クラシック/現代音楽

――「クラシック/現代音楽」の「ピアノ」の部分ではこれまでにどんなピアニスト、コンポーザーを研究してきましたか?

まず、僕はドラムからプレイをし始めたんだ。8歳の時にブギウギとかブルースとかをピアノでプレイするようになって、10歳ぐらいの時にジャズスタンダードとかを勉強していた。そこからガーシュウィンバルトークを聞くようになって、クラシック音楽に流れついたんだよね。リズミックな観点からストラヴィンスキーとかバルトークにハマるようになって、リゲティにもいった。それ以外にはバルカン半島のフォークミュージックも聴いていたね。それから本格的にクラシック音楽を勉強するようになって、クラシック音楽の伝統を学ぶようになった。主に西洋のクラシック音楽だね。やはりクラシック音楽はピアニストとして、テクニックなどを身につけるためには役に立ち、最終的には学ばなければと思ったんだ。形式的な知識を身につけようと思った。

それから素晴らしい先生についたんだ。彼女はDINU LEPTI(ディヌ・リパッティ)の継承者として知られていた人。ディヌ・リパッティは良く知られたルーマニアのピアニストなんだけど、残念ながら若くして亡くなってしまってね。彼は腕の重さから解放されて、流れの中で、なるべく力を入れず負担がかからないようなプレイを提唱していた人。この手法はアルトゥール・ルービンシュタインマウリツィオ・ポリーニのプレイでも見られると思う。音楽を無理矢理演奏するのではなくて、プレイを自然に促す方法。こういったクラシック音楽の要素を僕は気に入っていて、これらの複雑な音楽がとてもオーガニックで普通になっていく様が好きなんだ。

RADU LUPU(ラドゥ・ルプ)からもこれらの手法は学ぶこともできる。彼もルーマニアのクラシック・ミュージシャン。これらのピアニストは主に彼らがプレイする時の姿勢、そして彼らのプレイのスタイルに影響を受けている。姿勢というものは、ピアノに寄りかかったりしているのではなく、リラックスして座っている、という意味。まるで乗馬している時の座り方。身体の体幹からプレイする方法だ。

◉影響源:ミニマル・ミュージック

――「ミニマル・ミュージック」に関してはどうですか?

60年代のモダンのミニマリズム系の音楽はとても重要な影響元だね。音楽学校では、ミニマリズムの講義を受けていた。スティーヴ・ライヒフィリップ・グラスジョン・アダムズテリー・ライリー

僕にとってはスティーヴ・ライヒの音楽が一番の影響だったね。形式的だったし、オーケストレーションが整い、リズム的な構築にハーモニック的な構造が最も興味深くて、軽さと、現代的なアブストラクトなカラーが感じられて、今でもとても、官能的だと思う。

他に影響を受けたのは、還元主義者(Reductionist)たちだね。ミニマリストだけが重要っていうわけではない。たとえば、モートン・フェルドマン。彼は、アブストラクトな場を作った人で、“間“を駆使していた人。また例えに出すけど、日本の伝特的な絵画のようなものだよね。数小節の”間“が生まれる。

もっとモダンなミニマリストにも影響を受けていて、リゲティ、そしてクリスチャン・ヴァルムルーは僕にとってとても大事なコンポーザーだね。これが僕がミニマリストで主に影響を受けてきた人たちだけど、ミニマリストの要素を持った(ミニマル・ミュージックではない)人たちにも影響を受けている。主にストラヴィンスキーの音楽には影響は受けているね。特に初期の頃の「The Right Of Spring」(春の祭典)「Les noces」(結婚)だね。僕にとってストリング・ミュージックは大切だったんだ。なぜかというと、小さな形式でパターンを多用していたから。それに彼はダンスミュージックをよく作っていた。彼の現代的なバレエの音楽はすごく興味深いんだ。


◉還元主義としての日本の音楽

日本の音楽にも、ミニマリズムや還元主義的な音楽の要素を感じられる。リズミックでラフな感じなんだ。たとえば、“能”はミニマリズムとは言わないけど、極限までに削ぎ落とされた音楽だよね。とても、パーカッシヴな音楽で、パワーとかエネルギーという意味においてはとても力強い音楽。でも、同時にとても“間”を感じられる音楽。そのほかの世界では聴くことができない音楽だ。全ての世界の洗練された音楽は、だいたい儀式的な要素が感じられる。日本の“能”のような伝統的な音楽にもそんなことを感じる。

日本の現代音楽にもその要素は感じられる。たとえば、武満徹「In An Autumn Garden」(秋庭歌一具)は、雅楽オーケストラ用の音楽なんだけど、モダンなサウンドを伝統的な手法の中に聴くことができる。他では聴けないような“間”が配置されている。パーカッションの空間の使い方という観点からも日本の音楽以外には見つけることができないものがある。無の“間“からのパワーとかエネルギー、そしてサウンドのブレンドの仕方という意味では伝統的でもありとても現代的。他には聴くことができない音楽だ。

僕にとって日本の音楽はミニマリズムというよりも還元主義的なんだ。削ぎ落とされている感じ。それはいわゆるマーシャルアーツで全てが一場面で行われる感じに近い。それは、世界中に見つかるようなものではないんだ。
たいていは伝統が洗礼されると《名人芸》になってくる。西洋のクラシック音楽はとっても名人芸的だし、ジャズもそうだよね。いいプレイヤーたちは多くの音符を用いて自分たちのスキルを証明する。でも、日本の伝統音楽、特に“能”の打楽器を叩いている人は名人芸的なことはしないんだ。彼らは全ての音を正確に当てることにより、最大限のエネルギーを注ぐことができる。それにはとても影響を受けたよ。

◉影響源:ファンク

――「ファンク」の部分ではこれまでにどんなコンポーザーを研究してきましたか?

僕にとってファンクはとても美しいバンドの伝統を表す。ファンクっていうとだいたいジェームス・ブラウンのような個人を特定するかもしれないけど、いつもバンドが存在しているんだよね。ジェームス・ブラウンの場合、ずっと同じバンドでやってきたけど、70年代に入ってバンドを変えたりしたし、常に同じリズムセクションを起用したりして、ドラマーが二人いた時期もあった。

僕の音楽に最も影響を与え続け続けてきたバンドで、ニューオーリーンズのミーターズがいるけど、彼らの音楽は本当にバンドミュージックだよね。ファンク・バンドのサウンドというのは、もう少し角が取れたというか、相互に連動し合う音楽だ。例えば、ゴーストノートを何処に入れるかなど、僕らに多くの影響を与えてくれ、今でも影響を与え続けている。プリンスの音楽だって常にバンドサウンドだよね。彼は時期によって色々なバンドを起用していたと思う。

つまり僕はファンクのバンドサウンド、フレージングの作り方に影響を受けている。まず、とてもリズム主体の音楽だから、日本の音楽のようにとてもダイレクトな音楽。削ぎ落とされたものでもあるけど、とても力強い音楽だ。その一方で、バンドプレイという意味においてはとても、複雑で精巧な音楽だと思う。

ビル・ウィザースのライヴの時のバンドもそうだった。バンドのプレイの仕方はファンクミュージックそのものだ。こういったバンドがやっていることは譜面に書き起こせないんだ。きっちり示せるものではなく、バンドの中で作らなければ成り立たないもの。プレイヤーそれぞれのキャラクターも活かされている。

それは僕らのバンド、RONINにとっても大事な要素なんだ。僕が音楽を作曲をしているんだけど、多くの対位法が出てくるし、相互に連動し合う要素や、変拍子もいっぱい出てくる。循環するフレーズや、形式みたいなものもいっぱい出てくるけど、それぞれのプレイヤーが貢献する部分も多い。バンドメンバーそれぞれのフレージングもある。バンドの有機性みたいなものが一番大事なんだ。音楽の中でもっとも美しいところは、他人と演奏する部分だと思う。バンドで一緒にプレイすることに意義があるんだ。

◉禅ファンクとは

――次は《Zen Funk》というコンセプトについて聞かせてください。

この名称を選んだのには、いくつかの理由があるんだ。僕が《Ritual Groove Music》と呼んでいる音楽があるんだけど、これを《ミニマル・ジャズ》という名称にするとあまりにも混乱を招くので、そう呼びたくなかった。リチュアルという言葉には「常に働いている(constant work)」「連続して行う」「やっていることに対して精神的にも集中していく」という意味を持たせている。チューリッヒのクラブでやっている日常的な自分のコンサートの真剣なライヴってシリアスで儀式的で集中した作業なんだ。そして、その核心にはグルーヴがある。

これらの背景を見つけた中で、RONINの音楽はもう少し細やかに精密に取り組んでいく必要があった。そして僕らがやっていることは、それに対してパラドックス(逆説)的な要素がある。音楽の部分は“間”や空即是空(Emptiness:仏教用語。この世のすべての物事は実体がなく「空」であり、その「空」であるものがこの世のすべてであるということ)的な要素を持っている。そこには瞑想的な集中力がある。その一方で、高い感受性みたいなものがあるし、グルーヴのパンチが効いているし、ファンクの伝統を持ち合わせている。

これをどう表現するか。最初にこの音楽を作り始めたとき、みんながその感覚は持ち合わせてはいなかった。彼らの探知機にはこういったものはなかったってこと。瞑想的なアンビエントとも言えるような音楽をやりながら、グルーヴのある音楽を作るというのはありえなかった。ワークしないんだ。ファンクかアンビエントかのどちらかだったと思う。

――そうだったと思います。

でも、僕は両方好きだし、両方の要素を取り入れたかった。両方のエネルギーが必要なんだ。瞑想的な集中した要素を必要としているんだけど、その一方でグルーヴ、アタックが効いた遊び心に溢れる要素も必要。僕の音楽は実際にその要素を組み合わせたもの。組み合わせるためにそれらの要素を溶かし込んでゆく。

合気道の世界では《合わせ》と言ったりするんだ。合わせは日本語の言葉で、「何かを混ぜ合わせる」という意味がある。僕にとって“禅”の伝統を研究することは実践的な学びだ。瞑想的なこと、集中して、最新の気配りを払っていく、ポイントを付くように削ぎ落としていく、これは“禅”の伝統なんだよね。

――ふむ。

2003年から2004年まで僕は妻と一緒に神戸に6ヶ月住んでいた。京都にも数回行って、妙心寺などにも行ったよ。真剣な伝統的な形での瞑想をそこで始めたんだ。日本に行く数年前に母から瞑想は教わっていてね。母はヨーロッパで禅を勉強していたからね。母は禅の瞑想を毎日やっていた。僕はこういったエネルギーは音楽の中で大事なんだと思ったんだ。フリーのミュージシャンとしての自由さみたいなものに恐怖を持たないように、こういった精神統一は大事だと思った。

――なるほど。

日本の歴史からご存知のように”浪人“というのは「主君を持たない武士」、もしくは「大学受験に失敗した人」。これらの人たちが表すのは、アウトロー的な人であったり、変わり者、変人だったりする。でも、この中にも宮本武蔵とか、与えられた自由に対してちゃんと責任を持って行動する人も出てきたでしょ? 自分の道を歩んでいく、という意味においては、僕にとってこういった精神性を持つことは大事だったんだ。ちゃんと信じて取り組んでいくことは大切だった。”禅“の精神というものは、徹底的にあることに集中するということでもある。そして、その定義というものはとても、パーカッシィヴと言う意味合いにおいても大事で、Zen Funkって呼んでいたんだよね。

それは逆説的でもあり、「漢字」みたいなものでもあるんだ。漢字は2、3の違う意味を持っていたりするでしょ? 西洋だったら「一つの言葉は必ずあることを意味しなければならない」って言葉の概念と違って、「漢字」は解釈によって意味が変わってくる。そういったものがすごく好きなんだ。

◉合気道からのインスピレーション

――さっきも名前が出ましたが、「合気道」はあなたの大きなインスピレーションですよね?

まず僕はティーンエイジャーの頃とても平和な青年だった。全ての暴力に対して反対だった。そして、スイスでは、軍隊廃止運動(※1989年11月26日、スイスで実施された軍隊廃止の是非を問う国民投票とそれを巡る運動のこと)があった。日本の人たちは理解していると思うけど、第二次世界大戦の後、そういった動きがあり、軍隊がとても危険視されていた。君たち日本の憲法にもあるように、平和を保ち、自衛をするための目的としての軍のようなものは必須だったんだ。スイスにも自衛するための軍が存在する。憲法にはちゃんと記されていると思うけど、平和を保ち、自衛をしていくことは大事なことだよね。そして80年代まで軍はとても貴重なものとして存在していた。今は、またあらゆるところで戦争が起きていることによって、また軍が再度注目を浴びているけど。

80年代ティーンエイジャーだった僕は軍隊廃止運動に参加していた。実際に軍なんて無くなればいいと思っていた。スイスでは法案提出権みたいなものを持つことができ、それは国民によってもたらされるものだから、それに対して投票することができたんだ。法案提出権で、軍隊を廃止する法案を提出できた。コスタリカみたいにね。この法案は実際には通らなくて、36%の国民しかそれに対して賛成じゃなかった。80年代はそんな時代だった。

20代になって、僕にとって戦争、暴力みたいなものはリアリティのあるものだと感じるようになった。自衛のことを考えるようになった。それに僕は弱かった。恐れていたんだ。そんな時に武道は日常のトレーニングの中に秩序を保つ方法としてとてもいいと思ったんだ。自分自身をちゃんと保っていく、自分の健康をちゃんと保つ。ステージ上での物腰にもいいからね。とはいえ、格闘技の中でも日本の武道でも、人を殺すためのトレーニングを行ったりする。例えば、空手で相手を殺めることもあるし、柔道はスポーツではあるけど、場合によっては相手を投げて怪我を負わせたりすることもできる。今はスポーツとしてこれらのものはあるけど、相手に勝つまで、相手を投げたりすることもあるわけだよね。

――たしかに。それは自衛のためではない感じがしますね。

合気道「勝つ」ということを目的としているわけではないんだ。そこにインスピレーションを受けた。その頃に“禅”にハマって、日本の伝統的な美学に対して深く掘り下げていってた時期だった。16歳ぐらいの頃ね。非暴力的なことがテーマになっている武道というものが存在する、と言うことに魅了されたんだ。パートナーシップというものに基づいていて、相手のエネルギーを利用しながらやるものであること。相手選手は敵ではなく、ただの対戦相手だから。

――あー、なるほど。

合気道の創始者の植芝盛平は第二次世界大戦の経験からこの武道にたどり着いたんだよね。19世紀に鎖国から開国してから日本の国はまったく変わってしまって、帝国主義になり、それから第二次世界大戦で国が崩壊してしまった。そういったものが合気道に反映されている。第二次世界対戦の後に植芝は、武道を、集中力とかのエネルギーは保ちながら、平和に行なうものに変えて行ったんだ。僕はとてもスピリチュアルで、実践的で、精神的な変換ができるものとして合気道に入れ込んだ。合気道はこれらの精神を学習していくことに導いてくれたものでもあったんだ。

実際にステージに上がると合気道と同じような作業が行われるんだ。他の人と一緒にある空間にいて、共演者と一緒にステージに上がり、一緒に演奏するけど、テンションは高い。これは勇ましい状況の中にいるんだよね。ステージの上で戦っているから。でも、平和に戦った方がいいし、自分の物腰に気を配りながらやっていく。集中力を持って、他の人との繋がりを持ちながら、呼吸をして、と言うのがステージでも基本になるよね? それをトレーニングするには合気道が一番なんだ。合気道のトレーニングではいつも他の人たちとやるから。日常のために友好的で礼儀正しく、何かを妨げるのではなくて、解決策を見つけるんだ。一緒に何かに取り組むってこと。この「合わせ」のコンセプトは中心となる考え方なので、RONINの2018年のアルバムではタイトルを『Awase』と付けんだよね。交わっていく、共に何かをやる、平和な姿勢、でも、対立を避けるのではなくて、対立と向き合っていくという姿勢だね。

◉儀式的なグルーヴ・ミュージック

――次は「Ritual Groove Music」というコンセプトについて聞かせてください。Ritual=儀式と付けたところに興味があります。

《Ritual Groove Music》とは音楽のスタイルというよりも、物事の捉え方に近いかもしれない。もう少しアティテュード(姿勢)的な、ね。音楽のリズミックな側面を見ていくってことに関しては、日本の伝統音楽の中だけじゃなくて、「The Rite Of Spring」(春の祭典)にもその要素はあるし、リゲティの音楽にもその要素はある。リズムの複雑さ、対位旋律、リズムを入念に作っていくことは音楽を観察することによって成り立つものだから。

だから、《Ritual Groove Music》「音楽を見ていくこと」ということになるんだけど、言い換えると「美的感覚を持って音を配置していくこと」でもある。日本の伝統的なアートやモダンアートでも言えることだけど、空間のあるポスターを作ったり、何かの配置を考えながら作っていくようなことだね。僅かな要素を使って、いい“間”を保ちながらものを作っていく。深さやいい透明度を持ったもの。こういうふうに物事を見る、配置する、そしてそれを経験することは、「Less is More」(少ない方がより多くを語る)という考え方、精密さ、マテリアルに細心の注意を払う。そういった全てのことが《Ritual Groove Music》なんだよ。

――ふむ…

で、「なぜそれが、Ritual儀式的なのか?」だよね。それは、リピートすることによって成り立っているから。そして日常のトレーニングに基づいているから。小さなリピートする作業によって、世界を観察し、そして、意識を持ちながら地球を守っていくこと(taking care of the world)になるから。日本の伝統にはそういったものが根強く残っている。それはスイスでも見られるし、世界中で見ることができる。

どこかにスペース、空間を作り出すために行われる儀式、何かを観察すること。たとえばそれは、あなたの小さな庭でもいいんだ。お茶を入れる時に細部に意識を持ってやる、とかね。茶道って細心の意識を持ちながら行っていくよね。それを時間をかけて行っていく。これらの全ての要素が「Ritual Groove Music」の中にある。

重要なことは細心の意識を持ってやる、ということ。そして、自分がやることを注意深く観察すること。生きていく上でそれはとても、実用的なこととも言える。僕は音楽を聴いたり、パフォーマンスを聴いたりする時にはいつもそれを当てはめてやっているんだ。僕はこれらの要素を保ちながら、何かを作っていく。つまり、音楽の形式、正式な形式、というよりもアティテュードだね。そして、美学でもあるんだ。

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