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interview JTNC6:Mark De Clive-Lowe - マーク・ド・クライブロウが語るLA音楽シーン

フライング・ロータスやカマシ・ワシントン、サンダーキャットなどなど、様々な才能がシーンを形作っているLAの音楽シーン。ブレインフィーダー~カマシ・ワシントン周辺の人脈については教師-教え子の関係などはJazz The New Chapterでも繰り返しリサーチしてきて、かなり見えてきた。一方で、NYに見られるようなライブハウスの状況や土地に紐づいたカルチャーはまだまだ見えてきていなかった。

『Jazz The New Chapter 6』ではそれについてマーク・ド・クライブロウとカルロス・ニーニョに取材して、LAのシーンの状況について語ってもらった。この2つの取材でLAのシーンのアウトラインがようやくはっきりと見え始めた気がする。

ここではその中からマーク・ド・クライブロウのインタビューを2本に分けて完全版で公開します。こちらはLAの音楽シーンについての話になります。

ちなみにマークの母親は日本人で、マークも日本語は堪能。この取材は8割日本語で行っています。

取材・編集:柳樂光隆 通訳:湯山恵子 協力:rings

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エチオピア音楽 in LA

――マークはLAの様々なミュージシャンの作品に参加しているので、シーンのことを幅広く知っているんじゃないかと思ってます。今日はマークから見たLAのシーンの話を聞きたいです。意外なところだとマークはエチオピア音楽をやっている人たちとも共演してますよね?

僕はLAで《Church》(※DJとミュージシャンが両方出演してセッションしたりするパーティー)ってパーティーをやってるんだけど、それをはじめたころに、デクスター・ストーリードワイト・トリブルを連れて遊びにきたんだ。その時に、僕らが演奏する前に、突然ドワイトがマイクをとって歌い出した。ドワイトのことはロンドンにビルド・アン・アークが来て、ライブをした時に少し話したくらいで、ほぼはじめてだった。そのドワイトのパフォーマンスが最高だったから、ライブの後にドワイトに感謝したら、「このパーティーはヴァイブスが最高だったから歌わずにはいられなかったよ」って言ってくれただけじゃなくて「自分のバンドに入ってくれないか」ってオファーもしてくれた。
でも僕は10年間ほとんどピアノは弾いてなかった。ロンドンではローズや打ち込みばっかりで、生ピアノは弾かなかったし、ジャズもやってなかったからね。でも、LAに行ってドワイトに出会ったおかげでまたピアノを始めることになったんだ。

それで僕はデクスター・ストーリーミゲル・アトウッド・ファーガソントレヴァー・ウェアとのドワイト・トリブル・コズミック・バンドのメンバーになった。最初はbluewhaleでライブをやったんだけど、スピリチュアルジャズを中心にした音楽で最高だったし、すっごい楽しかった。
そのライブをトランぺッターのトッド・サイモンが見に来ていて、すごく感動していたみたいなんだ。そのころ、トッドはエチオピアンジャズの影響を受けたバンドを作りたがっていて、メンバーを探していた。それで僕にオファーしてきたんだ。それがEthio Caliってプロジェクト。最初のライブは僕とカマシ・ワシントン、あと、ケレラ(Kelela)。実はケレラはエチオピア系アメリカ人で、当時はLAに住んでいた。エチオ・カリは音楽的にもすごく面白くて、後からそこにデクスター・ストーリーも入ってきて、デクスターがバンドの作曲をするようになって、メインコンポーザーになった。でも、いろいろ理由があって、デクスターがエチオ・カリを辞めちゃって、僕もデクスターの親友だったから一緒に辞めちゃったんだ。今、エチオ・カリはタミール(Te’Amir)がドラマーだね。
その後、デクスターはWondemというバンドをはじめたんだ。その頃、僕はエスノ・ミュージコロジーを研究し始めた時期だった。エチオピア音楽の特徴的なKiñitと呼ばれる音階があって、それが日本の音階と似ている部分があると感じて、日本とエチオピアの共通点を見つけたのもその理由だった。それをデクスターに話したら「だからお前はエチオ・カリの音楽に合っていたんだよ」って言われたよ。エチオピアと日本の音楽との類似性があることは、今回の作品『Heritage』にも繋がっているんだ。

――LAにはエチオピアのコミュニティーがあるんですよね?それもLAでエチオピアの音楽に関心を持つアーティストが出てくる理由なんですか?

リトル・エチオピアもあるし、エチオピアの系の人はけっこういるけど、そのコミュニティはDCの方が大きいと思うよ。LAはDJのシーンがあって、そのシーンではムラトゥ・アスタトゥケのことはみんな知ってるんだ。ロイ・エアーズのことをDJがみんなを知っているのと同じ感覚でね。もしかしたら、B+とか、モチーラとか、DJのシーンの人たちがムラトゥの音楽を紹介してきたここ20年くらいの流れも影響しているかもしれないね。

――B+とかモチーラとかはなんでムラトゥとかにハマったんでしょうね。

彼らはブラジルのアルトゥール・ヴェロカイとかも好きだったし、ミュージシャンっていうよりはDJ的な関心じゃないかな。ヴァイナルが好きだしね。でも、ムラトゥのことはみんな好きだよね。だって、北アフリカのファンキーなスピリチュアルみたいじゃん。

――じゃ、アルメニアはどうですか?LAにはアルメニア・コミュニティもあるんですよね。

うん、アルメニア人のコミュニティはけっこうデカいよ。僕はあまり知らないんだけどね。でも、アルティオヌ・マヌキアン(Artyom Manukyan)ってチェロ奏者とは一緒にやってるよ。僕は彼のアルバムに入ったし、たまにライブもやってる。アルメニアの音楽は聴いたことがないけど、彼のメロディーのセンスがアルメニア音楽からきているのは僕にもわかるよ。

Venue in LA:Blue Whale

――LAのジャズ・シーンだとBlue Whaleってライブハウスが重要だって聞いてますが、どんな場所なのか教えてもらえますか?

リトルトーキョーにあって、200人くらい入ると満員くらいの規模。ブルーホエールはみんなが音楽を聴くために行くところなんだ。日本だったらそれが当たり前でしょ?ジャズのライブハウスに行くならうるさい話とかしないじゃん。でも、海外はちょっと違うんだよ、みんな喋っちゃう。でも、ブルーホエールはそういうルールが決まってる場所、つまりちゃんとしたジャズクラブだね。ちゃんとピアノがあるしね。でも、ブルーノートほどおしゃれじゃなくて、もう少しカジュアルなんだ。

――音楽を聴いてもらえる場所だと。ブルーホエールはいろんなミュージシャンが集まって、アーティストを見つけたり、出会ったりする場所にもなってる感じですか?

そうだね。週末の遅い時間になると、みんなが来るよ。カマシ・ワシントンとか、ロナルド・ブルーナーJrとか、そういう人が観に来る。いろんな世代がやってて、ベニー・モウピンみたいなベテランがやってたり、カタリスト(Katalyst)みたいな若手も出演する。ケンドリック・スコットがやってたり、NYから来る人もブルーホエールでやるんだよね。LAにはカタリーナスって場所もあるけど、そこはもっと昔からのジャズって感じなんだよね。ライブハウスは場所も関係あって、カタリーナスはウエスト・ハリウッドにあって、雰囲気が足りないんだよね。リトルトーキョーは場所も文化的にもいい場所なんだよ。若いミュージシャンも集まってるから、そこで新しいミュージシャンを探す人もいる。でも、今のLAのいいミュージシャンはたいていカタリストってコレクティブのメンバーなんだけどね。ブルーホエールはすごくいいヴァイブスがあって、演奏もうまくいく。僕がルイス・コールとジェイソン・リンドナーとの変則的なトリオでライブをやったことがあるんだけど、そういうのもなぜかうまくいくんだ。

☞ Katalyst - WhatsAname (Live at Voltiv Sound)
☞ Katalyst - Fitted (Live at Voltiv Sound)

でも、ブルーホエールはブッキングをとるのが難しい。僕やミゲル・アトウッド・ファーガソンは毎回ソールドアウトだから融通が利くけど、普通は5か月前くらいからオファーしないとやらせてもらえない。NYのミュージシャンからブルーホエールのブッキングの人を紹介してほしいって連絡が来るけど、それは無茶なんだよ。だから、コンペティティブな場所でもあるんだよね。

Venue in LA:Zebulon

――LAに他にいい場所ってありますか?例えば、NYから移ってきたゼビュロン(Zebulon)とか?

ゼビュロンは最初は音が悪かったんだけど、最近は良くなってきたよ。デクスター・ストーリーのリリースライブはそこでやったかな。ゼビュロンのお客さんはヒップスターが多いから、お客さんはけっこういるんだけど、音楽が目的って感じじゃない人も多いかなってイメージだね。

――ヒップスターね、わかりやすい表現(笑)ゼビュロンはNYではアフロビートとか、そういう音楽の拠点だったって聞いたことありますけど、LAでもそんな感じですか?

そうだね。僕の周りで出てるのは、デクスター、タミール(Te’Amir)。あとパン・アフリカン・オーケストラも月一くらいでやってる。

Venue in LA:World Stage

似たような会場だとワールド・ステージ(World Stage)もあるよね。ワールドステージは歴史的に意味がある場所にあるのも重要なんだ。ビリー・ヒギンスカマウ・ダウドワイト・トリブルホレス・タプスコットがいたレマート・パークにあって、それはNYで言うとハーレムみたいな感じ。会場自体はすごくベーシックなジャズクラブだね、アルコールはあまりないから、音楽だけが好きな人ならワールドステージはいい感じ。ブラックLAの拠点って感じで、ドワイト・トリブルはたまにブルーホエールでライブやるけど、ほとんどがワールドステージ。リリースパーティーもワールドステージだったね。

――マークがやってるイベント《Church》はどこでやってるんですか?

チャーチはDJ向けだから、ダンスホールがあった方が良いし、エレクトロニックなことがやりたかったから、ブルーホエール以外を探す必要があるんだ。だからチャーチはいろんな場所でやってるんだよね。LAにはNYほどいい場所はないんだ。

Venue in LA:Piano Bar

カマシ・ワシントンが『The Epic』をリリースする前にレジデンスをやっていたピアノ・バー(Piano Bar)って場所があって、そこは会場的には物足りないことはたくさんあるんだけど、雰囲気は良かったんだ。その頃、カマシたちもみんな演奏したくてしょうがなかったから。場所はどこでもよかったって感じだったのもあるんだろうね。

Venue in LA:Del Monte Speakeasy

ベニスビーチにデル・モンテ・スピークイージー(Del Monte Speakeasy)って場所があって、そこはカルロス・ニーニョがブッキングしている。ヴェニューっていうよりはライブミュージックがあるバーって感じで、お客さんは音楽のために来ているわけじゃない。カタリストが週に一回、ライブをやってる。カタリストみたいな若いバンドは沢山演奏したいし、そこが練習でもあるし、そういうバンドにとっては完ぺきな場所だと思う。僕もデルモンテ・スピークイージーでチャーチをやったことある。その時はクリス・デイヴのドラムヘッズが出演した。ピノ・パラディーノ、カマシ・ワシントンもいたね。シャフィーク・フセイン、エチオ・カリ、デクスター・ストーリーとか、僕の周りはみんなそこでやってる。それはカルロスがブッキングやってるからだね。でも、ここは場所的には不便な場所なんだ、ダウンタウンとかイーストLAから行くのは大変なんだよね。

カルロス・ニーニョとは

――カルロス・ニーニョってLAでどういう存在なんですか?

カルロスはゴッドファーザーだね。彼は20年間LAのラジオ局KPFKでSpacewaysってラジオ番組をやっていた。カルロス・ニーニョ無くしてはLAのシーンは存在しないと思う。彼はラスG(Ras G)を発見しただけでなく、サポートをしてラスGが作品をリリースするところまで持って行った。もし、ラスGがいなかったら、ブレインフィーダーは存在してないと思う。
カルロスが始めたビルド・アン・アークはレジェンドの集まりだけど、レジェンドたちはみんな既にLAにいた。カルロスは既にLAいた人たちをまとめ上げて、完璧な形でリプレゼンテーションをしたんだ。
それにカルロスは演奏もするよね。すごい不思議なパーカッションを演奏するんだ。普通のパーカッションだったらリズム要素が強いし、バンドのリズム面を強化したりするけど、カルロスはそうじゃなくて、加えるとご飯がおいしくなる“ふりかけ”みたいな演奏をする。もちろんちょっと高級ないいふりかけだよ(笑)。それにカルロスがステージにいるだけでエネルギーが湧いてくるのもあると思うんだ。彼はブッキングもやってるし、レコード・プロデュサーもやってるし、DJもやってるし、演奏もやってるし、いつも面白いことをやっていて、いつもアイデアがあるんだ。

――カルロス・ニーニョはDJであり、演奏もするし、DJとミュージシャンの世界をつないでいる存在でもあるんでしょうか?

そうだね。

――DJとミュージシャンのカルチャーが近い感じってNYにはあまりないけど、LAにはかなりありますね。

それはブレインフィーダーが関係あると思うよ。ブレインフィーダーがオースティン・ペラルタ(Austin Peralta)を出した時にはみんなびっくりしたんだ。いきなりジャズ・アルバムが出たらびっくりするよね。でも、その前にはビルド・アン・アークがあったから、そこが始まりだったのかもしれないね。LAにはドワイト・トリブルもいたし、ライフ・フォース・トリオもあった。と考えると、全部カルロス・ニーニョじゃんってことになる。カルロスはいろんな人と仕事をするし、いろんな人を知ってるのもすごいよね。
最近、カルロスはソロのライブもやるんだよ。アンビエントのパーカッション・ミュージック。そういえば、マカヤ・マクレイヴンとも一緒にやってたね。

――カルロスの音楽はニューエイジみたいですよね。

カルロスはもともとああいう人だからね。ヒッピーみたいな人だからだよ。

――ドワイト・トリブルってどんな人ですか?

ドワイト・トリブルは音楽を愛している人だね。ドワイトは僕をバンドに誘ってくれたんだけど、それは今までに彼が見たことがないアプローチを僕がやってたからだと思うんだ。彼は新しいことが好きで、同じことを繰り返すのは嫌だっていつも言ってる。そして、ドワイトは自分の気持ちよさややりたいことを優先する。通常のレコーディングはセパレートされた部屋で音が被らないように録音するけど、ドワイトは必ずバンド全員が同じ部屋で録音する。だから、彼のアルバムは少し不思議なサウンドになる。僕はボーカル・ブースを使うことを勧めるんだけど、彼は「音楽を感じたいから」って僕らと一緒に歌うんだよ。彼はヘッドフォンじゃなくて、自分の耳で直接聞きたいんだよね。ドワイトは「普通の伴奏をしなくていいから好きにやれ」って言ってくれる。「君がクレイジーになったら、僕はもっとクレイジーになるから」ってね。そうやって合わせてくれるんだ。そこがすごいね。

LAジャズ・シーンのレジェンド

――ドワイトやホレス・タプスコットなどワールドステージ周辺以外だと他にどんなレジェンドがLAにはいますか?

ベニー・モウピンエイゾー・ロウレンスの2人はLAのミュージシャンって感じだね。
あとはアリス・コルトレーンJディラもLAって感じ。ディラはデトロイト出身だけど、最後はLAにいたからね。アリスはLAのレジェンドだけど、若い人にとってはフライングロータスのファミリー。カマシたちの音楽を聴けば、その音楽のルーツにアリスやフェラ・クティがあるのはすぐにわかるよね。
アリスは長い間、LAにアシュラム(Ashram=ヒンドゥー教の僧院)を持ってた。彼女のアシュラムは火事にあって燃えちゃったけど、アシュラムの存在も重要なんだ。LAと言えば、ヨガやメディテーションみたいなスピリチュアルなことが生活の中にある人も少なくないから。アリスのアシュラムもメディテーション・センターとして人気あったんだ。元々LAがそういう場所なんだよね。

同じ日にやった以下のインタビューも併せてどうぞ。

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