「君たちはどう生きるか」とはなんだったのか
映画「君たちはどう生きるか」には、大きく分けて2つの物語がある。
ひとつは転換期を迎えた家族の物語であり、もうひとつは大叔父の後継の物語になる。
家族の物語については前回の記事で色々書いたのだが、今回は大叔父の物語について記したい。
以下、ネタバレをするのでご注意頂きたい。
…以上が大叔父パートのストーリーなのだが、複雑な親子の物語のクライマックスを中盤に配置し、大叔父の物語をラストに配置しているので、主題はこちらになるのだと思う。
だが、大叔父パートは禅問答のようなやりとりがメインとなり、しかもあまり面白くないので、正直内容については理解出来ていない。
また原作の詳しい内容についてすっかり忘れてしまったため、彼らの会話については再視聴および再読の後に改めて考えたいと思うのだが…。
おそらくこれは作者である宮崎駿の「過去」と「現在」の話なのだろう。
表面的なテーマである家族の物語を最後に持ってきた方が、ひとつの物語としてはずっと収まりが良いはずなのだが、意味不明な大叔父パートがラストを飾るのは、これが「現在」の話だからだ。
私はあまり宮崎駿という人物についてさほど興味がなく、ジブリ作品は半分も観ていないような者であるので、知りもしないし知ろうとも思わないのだが「病弱な母親のもとで育ち、なんらかのコンプレックスを抱えている」「ジブリは会社として存続出来そうもない」という噂話ぐらいは目にするので、この映画は自らの人生の総括をしているのだな…という事はなんとなく理解出来る。
宮崎駿が「自分でも訳のわからない映画」と評していたというwebの記事を見たのだが、そりゃ他人の心象風景や人生の総括を映画作品として抽象的に表現されれば、第三者から見て意味不明になるだろう。
「立場は継げないが意志は拾う」と伝える真人。
真人の拒否を最初からわかっていたかのように大叔父は受け入れ、異世界から送り出し、そして世界の崩壊と共に消えていく。
これは多分、彼の遺書のような映画なのだと思う。