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Special企画 えりぃの物語「摂食障害からの今」

こんにちは、『じゅえりぃ』のえりぃです🦄

電子書籍の出版について

実はわたしの相棒、じゅんこたんがこの度大人気の『じゅんこたん ご飯講座』のテキスト版を、初の電子書籍として出版します!!
10/1から予約を開始、10/16じゅんこたんのお誕生日の日にリリースです👇

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ココロも体も元気になるじゅんこたんご飯のススメVol.1

【発売:10/16】

👉予約はコチラから👈

ちなみに電子書籍(Kindle)とは、Amazonが運営する電子書籍プラットフォームのことで、スマートフォンやPCで手軽に本を読むことができるものです。

コレに先駆けた訳ではないのですが(無いんかいw)現在開催中の『じゅんこたん ご飯講座』の中で、実際にわたしが長年摂食障害を患っていたこと、じゅんこたんご飯と出会い、じゅんこたんご飯でどんな変化があったのかをストーリー仕立てにしてお伝えしています。
どうしてこんなことを始めたのかというと、今のわたしを見ても「本当に摂食障害だったの?」と疑問に思うほど元気だからです😂(実際に良く言われますw)

また、講座を重ねる度にこれほどまでに「食べるのが、太るのが怖い人が居るんだ」とビックリしたことと、わたしの経験が講座を超えて少しでも必要な方へのメッセージや参考になるかも✨と考えnote版にしたものを公開することにしました。

一部センシティブな内容も含まれておりますが、ご了承ください🥰

わたしが何より伝えたいのは「どんな状況にあっても大丈夫」ということと「じゅんこたんご飯は優しいよ」ということです。
こうして話せるようになるまでに20年以上費やした過去供養のようなものですが、決して誰かを責めるものではありませんし、既にわたしの中で整理のついていることですので誤解の無いように♪


①いつから摂食障害に?

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生まれた時から「食べること」そのものに全く興味が無かったようでw赤ちゃんの頃からミルクもまともに飲まない子でした。
当然痩せこけていて発達も遅かったので、小児科のお世話になりっぱなし、親はネグレクトを疑われていたそうです。

理由はわかりませんが食事に対して「怖い」という思いがありました。メルヘンチックな話ですが…食べ物全てに顔や性格・感情がある気がして🤣
「生きているものを殺してまで生きなくちゃいけないなら自分が死んで命をあげます」って本気で思っているような子供でした。

『食べるのが当たり前』と始めから理解してもらえないことが何より辛かったのと、「お百姓さんに失礼だ」「食べ物を粗末にするんじゃない」「屠る(ホフル)ことを理解しなさい」そう言われる度に孤独感と辛さに加え、自分の存在が農家や食べ物に迷惑をかけていると感じてますます食べることが怖くなっていきました。

小学校1年生の給食の時間が辛かったのを今でも覚えています。体が小さく普通の子と同じ量はどうしても食べられない、それでも食べきれない給食を前に毎日居残りをしなくてはいけなかったのが当時のわたしにとっては拷問でした。
ある日、乳頭不耐症でどうしても飲めない牛乳を担任の先生に無理やり飲まされ嘔吐してしまったのですが、まさかの床の吐物を口の中に押し込まれる事態に思わず気絶してしまったことがあります。
「食べることは辛いこと」「辛い思をするなら食べ物なんて要らない」幼いながらに強く感じ、その後の拒食症の大きな引き金になっていきます。

当時のわたしは朝礼で必ず倒れる典型的な虚弱体質。遠足の日は足手まといになるからと保健室登校でした。
アレルギーも沢山あったため皮膚はいつもボロボロ、お腹の調子も常に便秘と下痢を繰り返し、ストレスも感じやすかったようで円形脱毛症と白髪が多量にありました。


②習い事と第二次性徴

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憧れていたクラシックバレエを始めてのめり込んでいきました。バレエではスリムな体型が求められるため痩せていたわたしはいつも褒められていました。褒められることで「痩せていることが良いこと」だと知らず識らずの内に認識するようになっていきます。第二次性徴が始まる同級生を尻目に、一向にセの字も起きないことにむしろ優越感すら感じていました。

ただ、残念ながらその時はやってきたのです…。
中学3年生の時に爆発的第二次性徴到来!今まで食べることに何の興味も無く、親が作ったお弁当は理由を付けて片っ端から全て捨てていたわたしが…とにかくハイカロリーでオイリーなものが異常なほど食べたくて「アブラがタベタイ」いつも呟いては実際隠れて調理油を飲んでました😂

急激にカラダが丸々して体重が恐ろしいほど増え、バレエの先生に減量しなさいと叱られるようになり次第にバレエに対し”楽しい”と感じる気持ちが無くなっていきました。
挫折を経験し、別の生きる道を模索する中で幼少期に憧れた看護師を目指すことに。受験勉強を本格的にスタートさせても食欲は変わらない、当然動かないのでどんどん太り思春期ニキビが顔中を支配、抗うことすら諦めるレベルの肌荒れでした。

この時期に見境なく食べる快楽を覚え、過食スイッチを知ることになります。元々学校生活でお手洗いに行くのが苦手なこともあって便秘気味、容姿を指摘される度に心の中で傷ついては自分を「バレエで挫折した人」として責め立てて、遅かった初潮すら喜ぶことができずにいました。


③仕事のストレスで加速

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受験勉強の甲斐あって看護大学に入学することができたものの、全くついていけず追試の嵐wヤケになって親の目が無いことを良いことに夜な夜なクラブに入り浸っていました。
多くのダイエットに関する情報も一気に増えて興味本位で片っ端からやってみるのが楽しみのようになっていました。この頃から自分を被験者にする癖があったようですw
当時の流行りは特定のものだけを食べる方法、例えば「りんご・玉ねぎ・お酢」など正直言って謎なもの沢山ありましたが、「痩せる」と聞けば飛びついていました😂

診断名が付く拒食症になったのは20歳の頃…。
耐えられないストレスに何も喉が通らなくてほとんど飲まず食わずで過ごしていたら、胃がんを心配されるほど急激に痩せてしまいました。でも、拒食症の特徴でもあるのですが鏡の中のわたしは至ってぽっちゃりなのです…。
何故こんなに心配されるのか理解できず改善しようという気持ちにはなれませんでした。当時のわたしの容姿はというとお肌はシワくしゃ・カッサカサ、髪の毛もパッサパサでよくお婆ちゃんに間違われてました☺️爆

間もなく看護師として病院勤務となり…慣れない環境や先輩からの嫌がらせに即メンタル崩壊w不規則な生活というのもあって不眠症から投薬治療を開始しますが、どんどん状況は酷くなる一方でした。
この時のわたしの食事はとても極端で「わたしのカラダの9割はアルコールなんじゃないか!」というくらいのアルコール漬け、かと思いきや1食に幕の内弁当6個とかおやつにパン2斤をぺろりと平らげたり、1日カロリーメイト1箱だったり拒食と過食を何度も行き来していました。
体重は今のプラマイ10㌔を行ったり来たり。付いたニックネームは「風船」でした😂


④薬物依存にどっぷり

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看護師になって5〜6年、毎年300人近くを看取るハードな職場環境に相変わらずの嫌がらせもあり不眠症、不安神経症、うつ病、逆流性食道炎、胃炎、低血圧、投薬の数は年を経る毎に増えていきました。

とうとう腱鞘炎から日常生活すら送れない状態まで悪化し、結婚を逃げ道に退職するも立派なモラハラ夫へ成長させてしまい😂自立も兼ねてある大手の美容外科へ就職(看取りが無い職場に行きたかった)そこではモデル体型のスタッフばかりでわたしは毎日のように「デブ」と言われ続けて、生活の中心が「痩せること」になっていきました。

一度目の離婚後、自責から自傷行為を繰り返すようになり、ますます心療内科の薬が増える中、当時勤務先のクリニックで流行っていた「食欲を抑える薬、食べた油を出す薬、利尿剤」にとうとう手を出してしまいます。
面白いくらいに体重が減って食べ物を見るのも嫌になって、あっという間に生理は来なくなりました。もうココまで来ると生理が止まったことがどういうことかを考えることもできず「もっと痩せなくちゃ」「何をしたらもっと痩せられるだろう」そんなことばかりしか考えられない状態になってしまいました。

2番目の夫になった人の協力を得て少しずつ食べられるようになったものの、お酒を飲んでる方が好きでしたwお酒の量は毎日ビール1㍑に角瓶1本という軽く伝説になったほど😂
2度目の離婚をした辺りからメニエール病と過敏性大腸炎が酷くなってオムツをしないと電車にも乗れない、そもそも真っ直ぐ歩けない状態が続き「病院のベッドが似合うね」と言われるほど入院していました。

心療内科の先生に「あと100gでも減ったら強制入院ですよ。」と言われて我に返った時には、わたしの血液データは末期がん患者のそれよりもかなり悪く働いているのが謎なほどでした。
「何かこのままじゃ死ぬな」感覚的に感じて、メンヘラもやり切った感があって←少しずつ自分と向き合うようになっていきます。

紆余曲折あって薬の量は減ったものの最後の最後までやめられなかったのは睡眠薬と利尿剤。わざわざネットで海外から取り寄せるほどのジャンキーっぷりでしたw

そんな時に出会ったのが白石裕太という人でした。
”Facebook Live”を通じてセルフコーチングや起業について学ぶ中で、今のビジネスパートナーでもあるじゅんこたんと出会うことになるのですが...。
初めてあった日のことは今でも鮮明に覚えていて、喫茶店でそれはそれは美味しそうにお上品にケーキを食べるじゅんこたんがあまりにも可愛くて衝撃を受けたのです。
「食べる行為自体がとても卑しいもの」という認識が強かったわたしにとって、じゅんこたんのケーキを頬張る姿に神々しさすら感じたのでした。


⑤じゅんこたん ご飯との出会い

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衝撃的なじゅんこたんとの出会いから「じゅんこたんみたく美味しく食べたいな。」と自然と思うようになっていきました。じゅんこたんは健康食育という今の講座の基盤になるインストラクターの資格を持ち、人に教えられると聞いて話しを聞いてみることに✨
じゅんこたんの話し方は、ロジカルな話でもとてもわかりやすく話してくれるから、勉強嫌いなわたしでも聞けるんじゃないかなと感じたのです。

とはいえ…話は聞きたかったのです、が!実は実践する気は更々ありませんでした🤣何故なら「お米は太る」って思っていたし、そもそも料理嫌いだし、難しそうだと思っていたので実践するには「拷問かも」と内心は本気で思っていましたw
だけどよく良く話を聞いてみると「アレ?もしかして簡単なんじゃない✨?ていうか、理にかなってて凄い‼︎」軽く感動したのを覚えています。
何故お米である必要があるのか?何故一汁一菜一膳なのか?不覚にも腑に落ちてしまったのです😂←

ちょっとだけお試しのつもりで本当に仕方なく作ってみたらじわじわと感動しました😭「わたし和食好きだったな。」「素朴な味が1番ホッコリするな。」「”茶色いご飯はダサい”昔言われたことを気にしていただけだったんだな。」
色々な気持ちがスルスル溶けていきました。料理嫌いのわたしでも難しい工程が無く簡単にできたこともとても誇らしく感じて、不覚にも(2回目w)続けてしまったのです😅

ただ、どうしても料理が苦手でお恥ずかしい話、未だにお味噌汁を作るのに1時間は軽くかかってしまうことが負担に…続けたいけどしんどい「じゃぁ、どうしよう?」いかに手を抜いて無理なく続けられるか色々考えました。
通常一汁一菜一膳ご飯が基本スタイルですが、わたしはその中の一汁一菜を併せてお味噌汁にする「ぶっ込みスタイル」を確立しました🙌
毎日作るのも絶対嫌なのでwこれでもかってくらい大量に作るなど不覚にも(3回目w)自分に優しい方法を工夫していきました☺️
※基本スタイルの詳細は『ココロと体が元気になるじゅんこたんご飯のススメVol.1』にて解説しています。「ぶっこみスタイル」の詳細はご飯講座でお伝えします。


⑥少しずつ改善していく体調

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ロクに食べもしないのに負けん気だけは人一倍強かったものだからw看護師時代どんなに体調が悪くても仕事していたし、早くスキルアップしたくて勉強も練習も欠かしませんでした。(39度までは平熱だと本気で思ってたw)
でも当たり前だけれど、人は悲しいかな歳を取るし、無理がどうやっても効かないそんな状況が重なっていくもので…。
何度も思い直した「つもり」、改善した「つもり」、やった「つもり」、小手先だけで何とか凌いできた「つもり」だったけれど『今までの正攻法では太刀打ちできないんだ』と認めざるを得なくなっていきました。

じゅんこたんご飯を始める時に1つ自分に約束したことがあって、それは『ゆるくても継続する』ということ。
じゅんこたんの講座を受けた時、理論的にパンパンになることは容易にわかったけれど一時的だということも理解できたので、とにかく続けてみようと自分を被験者にすることにしました♪

これには理由があって、一度壊れた体の機能を回復させるには壊れるまでに要した期間の約3倍は時間がかかるということを医療現場で見てきたからです。わたしの場合30年以上かけて体を壊してきたから回復には60年以上かかる…。
つまり残りの人生全部を掛けるということwだからこそ「数年やそこらパンパンでもいいや♪」と…思ったというか、必死で言い聞かせました😅
パンパンになる怖さより、これだけ膨大な時間を自己の破滅に使っていたことをやっと認識した時にとてもショックで自分に対して申し訳ない気持ちになったからです😖

じゅんこたんご飯講座では必ず『講座を受けるキッカケ』や『受けてどうなりたいか?』を明確にすると同時に節目で確認作業をしてコーチングしているのですが、セルフコーチングとして自分自身にも同じことをしていきました。
ココさえ決まれば、ココさえ決め切れば多少不安になってもブレることは無いので行動することに躊躇することが少なくなるのです👍

肝心な体調はどうなったかというと…酷い生活をしていたから「見た目若いのに体力おばぁちゃんだね。」と良く言われるほどで、夜勤の度に寝込む、出勤しただけでゲッソリ・グッタリ、階段なんか無理無理!!とてもじゃないけど登れない、年2回はお約束のように入院。
絵に描いたような病弱な人でした…。
他にも薬は手放せない、お休みの日は問答無用で廃人、メンタルは常に不安定で絵に書いたようなメンヘラでした😂

だけどじゅんこたんご飯を続けて数ヶ月ある時ふと気付いたのです💡夜勤の後も元気、動いても疲れてない、階段好んで登ってるけど息切れしない、持病が一切悪化してない、寝込む回数も格段に減った、薬の量は自然と必要無くなり勝手に減量成功、何よりメンタルが安定して睡眠の質も上がっていきました。
わたしにとっては一生縁が無いと思っていたようなことが起こって戸惑ったほどwじゅんこたんご飯の特徴は体の土台を整えるので、簡単に言うと症状に対しての対処ではなく根本的なアプローチをするので、気になる症状が自然と起こらなくなってくるのです。

案の定体型は一時的にパンパンになりましたが、それも一定期間を経ると自然に適正になってきて今あなたが知るわたしになりました。
最後の最後まで止められなかった利尿剤と睡眠薬も気付いた時には何ヶ月も飲んでいないことに気付いて捨てることに成功。それからリバウンドすることは一切ありませんでした。


人生経験を活かして

『人は食べたもので出来ている』大嫌いだった言葉が、今ではお気に入りの言葉になり、何年も死にたいのに死ねなくて苦しかった日常から『食べることは生きること』だからこそどう生きていこうか?と考えられるようになり、今のコーチの仕事にも活かされています。
じゅんこたんご飯に出会わなければきっと一生カロリーや糖質やあらゆるものを制限して遅くない時期に大病していたと思います。そんな制限からも開放されて好きなものを好きなだけ食べられる喜びを知った時「わたしは生きたかったんだ」と気付くことができました✨

この体験と簡単な理論を、制限や太ることが怖い、より健康になりたい、そんな方々へお伝えしたいと一念発起して講座を作りました。

どうぞ、そのテキスト版からぜひお手にとってみてください!
あなたのよりパワフルなハッピーライフのバイブルになりますように🌈



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