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「恐怖」という一人芝居は他者との世界を断絶するという体験


ここ数日ほんとにいろんなことが起きた。

自分がしでかした、ミスとか、トラブル。しでかした内容をしっかり直視して
損と害を与えてしまった相手のことを想いやり
どうあるべきだったのか
どうすべきだったか
何がいけなかったのかきちんと考えて、提示することが本当に大事だということを痛感した。

相手は私に
どうあるべきことを望んでいたのか
きちんと訊くこともせぬまま
きちんと対話することもせぬまま

ずーっと長いこと

恐怖にまみれて
私がいけないんです。私のせいだったんです。と、自分を立ち上がれなくなるほどに
責めに責めて、見るも無惨な姿になるまで自罰して。一番大事な「自分がやってしまったこと」を【具体的に】直視せずに前に進めず死にたくなる。誰とも接触したくなくなる。接触を断つ。ということを繰り返していたし、ま〜だまだ繰り返しているんだな、と気がついた。

ここ最近、ようやく少しずつこの事象を「冷静に」観ることができていて

「やってしまった(相手を怒らせた・困らせた)」=「思考停止」=「行動を抑圧or回避行動」の穴倉の中に長く閉じこもり、私のせいだ、私のせいだと暮らす=自分で自分を傷つけまくった自分の傷を癒すだけの行動が、無意味であることに気がつき始めた。

どうしても、損害を与えた相手と対峙することができなかった過去。
ごめんなさいと謝り倒してその場から消えたい。
穴を掘ってその事象を埋めて何もなかったことにしておきたい。
そうやって生きてきた。

けど、本当に馬鹿馬鹿しいことだ。こんなことは。
相手に対しての優しさも愛のかけらもないのだ。
ただの自己保身で、ただの一人芝居だったのだ。
相手への愛がないのは当然。そして自分の良さを全力で封じ込めるし
何も生み出さないし、先に進まないんだよね。
こんなこと。

トラウマという傷を自分の中で抱きしめて大事にケアするということは
これからの自分の人生を生きる上で
ただの時間潰しでしかないな。と感じてる。

だってそれは、私が与えた損害を被った人にとっては
全く関係のない話だから。ただの最大の迷惑行為でしかない。
私傷ついていたんです。って言ったって、そうですか、って困らせるだけだから。
時間を奪い、エネルギーを奪うことなだけだから。
って、こんな当たり前のことに、
気がつけない。気がつけなかった。

ここ最近も、在る森のはなしのメンバーと仕事をしながら、
そんな私を「現行犯逮捕」してもらって、
恐怖の渦からではない視点で痛感した。
怖くてブラックアウトして「観えなくなる」この「やってしまった後」
の状況を、恐怖をなくしてみることがようやくできるようになってきた。
これは何度も何度も、その都度確認することが大事で
自分のことを客観視し、相手にどんな影響を及ぼしているのか
冷静に、しっかり見極めるということが大事。と思う。
どうしても感情で抵抗するし、自分が正しいと相手を抑圧しようとする。
このプロセスを何度も繰り返してようやく少し霧が晴れてきたのだと思う。

こうして考えるとほんとに、わたしは長らく「メンタル」を崩していた。
もしかしたらはたから見たら、ふつーの健康な明るい元気な人だったのかもしれないけれど、全然ちがうんです。私健全な考え方をできていませんでしたし、ただの恐怖にまみれた迷惑な人でしかなかったのです。

ネガティブの渦に自分からダイブして「どうしたらいいのかわからない」から、
「大丈夫です私幸せですみんな大好きです愛しています」という明るい顔をして、心の底で死にそうになっていたなあ。って思う。大嘘つき女だったんだな。ごめんなさい。

問題解決は、ほんとにしっかり1個ずつ。
パニックでどうにかすることではない。
相手と合意をとりながら、進めなくては。
もう一回、やりなおし。やりなおし。

ここまで荒らしてきた過去を見て、呆然とするけれど、
諦めないし、自分の成長を信じているし、自分が成長を遂げることで
自分を生きて、関わってくださった方、関わってくださっている方と
前向きに、心でやりとりしよう。しっかり返していこうと思う、今日この頃です。

反省と自罰は違う

自分の問題として
状況を捉えた後
大体の方が反省ではなく
自罰をして失敗します。

自罰とは
己を責めて自分で
自分を傷つけ

勝手に自己肯定感を
無くして
ボロボロになり

そのボロボロの自分を
修復することに
時間をかける行為です。

この自罰の意味のなさは
・自分の失敗原因を
 見直し変えている
 わけではないこと
 (ただ責めているだけ)
=同じことを繰り返す

・目の前で迷惑をかけた
 相手以上に勝手に
 自分で自分を責めて
 そっちに向き合っている
=相手をそっちのけに
 自分内に閉じこもる

反省とは
迷惑をかけた相手に対し
同じことを絶対にしない
自分の姿になるための

自分を切り返すプランを
考えて実行し
それが合っているか
それでOKかを

『相手から合意形成』
をもらって進めること。
になります。

こう書くと明らかに
自罰と反省の違いが
浮き彫りになると思います。

自分の過去の振る舞いを
省みて、改めようとする

その行動は独り相撲では
意味がありません。

目の前で損害を
与えてしまった相手が
何を望んでいて
どうしてほしいと
思っていたのか

そこをクリアしない限り
相手の心は満たされず
自分がやってしまった
ことは解決には
ならないからです。

自罰という行為は
相手と向き合うことを
拒絶したい心が生み出す
「反省モドキ」です。

自分勝手に反省した
空気感を臨場感
たっぷりに味わって
いる状態なので

本人からすれば
こんなに反省しました!
というボロボロの状態に
なっているのですが

迷惑をかけられた側
から見ていると
……で????という
感想にしかならない
行為に該当します。

反省とはどこまでも
相手がどうして
ほしかったのか

何をしないで
ほしかったのか

何がまずかったのか

という点を
『互いにすり合わせ』
『調整していく』
行為に該当します。

相手との間で
合意形成がなされなければ
全く意味のない
自己満足の行為になって
しまうものなのです。

この相手とのすり合わせ
向き合う行為が怖すぎて
苦手だからこそ
自罰の世界に飛び込んで

勝手に自己肯定感を無くし
さらに迷惑な人間へ
シフトチェンジしていく
のが勿体ないサイクルです。

自分で自分を責めて
(相手を無視しておいて)
めっちゃ落ち込んで

その自分に丁寧に向き合って
感情が浮上して
よ~し大丈夫!大変だった!
といってそのままの姿で
戻ってくるだけの
最大級の自己満足行為です。

#在る森のはなし
#人材育成

写真:丸山えり
※お友達を作る、の
練習中の二人

本当に相手に対して
申し訳ないと思い

ではどうすれば?と
見直す心を持っていたら
人は放っておいても
成長していきます。

組織の中で放っておいても
めきめき変わっていく
タイプの子と

どれだけ損害を出しても
変わっていかない子の
違いは

他責思考傾向の強さ
+自罰癖の強さ
という組み合わせで
分析していくことが
できます。

一番大事なのは
教えて育つ子を増やす
ことではなく

自分で学ぶ子を増やす
ことだと思うからこそ

こういった部分の
調整・育成が一番大事に
なってくるのでは?と
考えています。

だからこそ
他者への思いやり
相手の人生に損害を
出したくないと思う

といった部分を
最初に強化していく
必要があると思いますし

自分の姿を受け止めて
一生涯調整をかけていく
(誰しも完成はしていない)

ということに対し
慣れさせていくことが
必要だと思っています。

人は誰しも完成形で
生まれてきていないし
生涯かけて完成まで
いけるかどうかも
わからないからこそ

自分というものを
崩されたくないという
こわばりは
人としての前提条件に
そぐわない不自然な
感情だと言えます。

金子ひとみの言葉より

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