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ボランティアから教わったこと

明けましておめでとうございます。
おめでとう、と言えない状況の方もいらっしゃると思いますが、それでも今日という日を迎えられているということは、それだけで安心してほしいと思うし、まだわからない未来の可能性に繋がっていきますので、絶望しないでいきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

「ボランティア」っていうのをみなさんやったことあるでしょうか。
わたしはひねくれているので、ボランティアって言わないと人の助けにならないのかというその言葉の響きが好きではないのですが、そういうアレコレ考えずに行動を起こせる人の方がよっぽど褒められるべきだと思います。
あと、わたしは普段から自分のことで精一杯な人間ですので、心身ともに疲れ果ててしまったり、自分って何の役に立つんだろうかって思い詰めてしまったりしたときに、コンビニで募金をして気を紛らわしています。
募金をお賽銭みたいに捉えていてすみません。

そんなわたしでも、これは「ボランティア」と呼べるだろうものに参加したことが何回かあります。

一度目は高校生のとき。
部活動とは別で「ロータリークラブ」というのに入りませんかというのを年度の初めに確認されていました。
1年生のときはよくわからなかったし、強制でないんだったらやらなくていいんじゃない、と思って入らなかったのですが。なんかクラスの半数以上が入っていたみたいだったので、あとそういう活動をしていた方が推薦入試とか有利かなあと思ったりもして、2年生からは入ることにしました。
基本的には終業式とか早帰りのときに、地域のイオンとかで出入り口に立って、募金活動をするといったことをしていました。
動機がこんなかんじだったので、学校の延長でやることができたみたいな感覚で、奉仕的な想いはそこまでなかったと思います。

二度目は大学生のとき。
「ボランティア経験があると就職や教員採用試験に有利らしい」そんな噂に近い話を聞いて、わたしは冒頭に書いたようにアレコレと考えて、自分のためにするボランティアが果たして社会に何かもたらすだろうか的なこととかを、考えて二の足を踏んでいたのですが。
一応なんとなく調べていたときに、東日本大震災の被災地へ行くボランティアを見つけました。
その団体は名前に堂々と「ボランティア」と入れていたのですが、命名の理由はわかりやすさだと話していたのを覚えています。変にかっこつけるより、わかりやすいのが大事。
そのときには震災からもう5年くらい経っていたのですが、宮崎で生まれ育ち、その頃愛知に住んでいた私は、東北地方に行ったこともありませんでした。「経験だ」と思い、参加することにしたのです。

夕方に集合し、窮屈なバスにみんなで乗って宮城県の「十八成浜」というところへ向かいました。
一人で参加しましたので、周りが友達同士だったり、毎回参加している人だったりして、孤独感を抱いてしまったものでした。

活動としては午前中、地域のお宅へ訪問しお弁当を届ける、ということをしました。
住んでいるのはご高齢の方ばかりで、見渡すと景色は広い空と道、そのなかに家がぽつぽつとあるくらいで、ちょっと買い物に行けるようなところがない。
だからこうした活動をしているのだと思いましたが、当時のわたしは若かったので、こんなことでいいのだろうか…と拍子抜けしたような気持ちになったように覚えています。
しかも、各訪問先の方と少しお話してから移動するのですが、行く先々でみかんとかお菓子とか、いろいろなものをもらうのです。グループ行動ではありましたが、孤独感を抱いていたわたしにはとても温かい時間でした。
こちらが与える立場なはずなのに…恐縮してしまいます。

そうして訪問しながら道を歩いているとき、すぐそばに海と砂浜を見ました。
そのときにわたしは、何とも言葉で言い表せない気持ちを抱いたことをすごく覚えています。
夜行バスでここまで来た、という補正もあったかもしれません。
「そこで何をするか」というよりも「ここに来ること」こそが何よりもわたしに対して意味があったように思います。
あの震災のとき「これが現実で起こっていることなのか」と信じられずただテレビで見ているだけだった人間が、その場所に立って自然を目の前にして、多くの人が今を過ごせなくなった中で日常を生きようとしている人たちと出会えている今がある。
何もしない・しなかったことの言い訳をしようと思えばできてしまうけど、5年っていう期間が空いてもこうやってできることがあった、ここに来られたことの達成感、ありがたさ。
あえて言葉にするとしたら、そんな感じだったと思います。

午後は公民館みたいなところでお話を聞いて、帰路につきました。
こうして思い返してみると、やはり記憶は薄れていくもので、更新していくべきなのだろうと思いますが…
やはり「やろう」「やりたい」と思っていても、今すぐに何かすることはできず、気が向いたときにだけコンビニに募金をする日々です。

「ボランティア」って言えばわかりやすいから、言えばいいと思います。
でもそうやってかしこまらなくても、何かできることがあればやればいいと思います。
できるときにはタイミングが、ご縁があるんです。
ちょっとでも自分にその意識があって、日々を過ごしていたら、環境と時期が合わさったときに、できることがあったと見つけることができます。
見つけたときに、ためらわず行動できる勇気と潔さがあったらいいのかなと思います。後悔しないから。
それ自体はボランティアと呼べるようなものではない、自分にとってメリットがあるとか、楽しいものかもしれません。
それでも大丈夫、むしろ自分が嬉しくて相手も嬉しいほうが、嬉しい人が多いほうがいいですよね。

そんなことを、ボランティアの経験から学びました。
宮城県も、石川県も、いつか訪れたい土地がたくさんあります。
そのときに出会う方々がいれば、どうかよろしくお願いします。

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