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#2 ドローン (2章全文掲載)

 飛行機と電車を乗り継いで、中岡はようやく目的地の改札機にICカードをタップした。

改札を出ると、車椅子用のスロープを跨いで、一本道が見える。高い建物がなく、道の奥まで見通すことができる。真正面には、丸みを帯びた山が二つ重なりあっていた。中岡にとって初めての香川県は、真言寺駅から見える鮮やかな緑が心に刻まれた。

 一本道に吸い寄せられるように、スロープを降りると、並木に沿って駐車してある白のワンボックスカーが見えた。リアガラスには、『FC MARUGAME』のステッカーが貼ってある。どうやらチーム車で迎えにきてくれたようだ。車の側まで寄っていったが、運転席に金丸の姿は見当たらない。窓越しに中を覗きこむと、後ろから突然肩を抱かれた。振り返ると、金丸が缶コーヒーを差し出してきた。
 「長旅ご苦労さん。ようこそ香川県へ」
 「7時間以上かかったのに、手荒なお出迎えだな。俺のスーツケースに入った、お前が大好きな、かりんとう饅頭までビックリしたようだから、中から出てこないかもな」
 「それは困る。最高のうどんを食べたらご機嫌を直して出てきてくれるかな?」
 「その一言を待っていたよ。わざわざ駅弁も抜いてきた。遅めの昼食だ」
 「お任せください」缶コーヒーでの乾杯のあと、二人は車に乗り込んだ。

 コインパーキングに停車し、住宅が立ち並ぶ道を2分ほど歩いたところに、大きな病院が見えた。四国でも最大規模らしい。FC MARUGAMEの選手も入院していたことがある、といった話をしながら少し歩くと、「手打ちうどん小川製麺所」の文字が目に入った。看板がなければ民家と見紛うほど、周囲の家々に馴染んでいた。「地元の人間じゃないと来られないぞ」金丸が得意げに言った。中岡は少し悔しくなったが、その通りだとも思った。

 店内に入ると、中岡は呆気にとられた。入ってすぐに大量の天婦羅コーナーがあり、奥に目をやれば、入り口に背中を向けて作業をする人々の傍らから湯気がのぼる。どうやって注文してよいのか迷う中岡に、「ニュースマートホテルよりは簡単だよ」と、金丸が囁く。どうやら最初に器を選び、選んだ器を奥の店員に持っていくと、麺と出汁を入れてもらえるシステムのようだ。他の客の動きを観て、中岡はようやく理解した。中岡はトッピングにきつねを選び、ぶっきらぼうな店員からうどんを受け取った。透き通る黄金色と無垢な白さのコントラストが美しい一杯だ。中岡は、席に座るやいなや夢中で麺を啜った。エッジの効いた麺に、いりこが香る出汁が絡む、まさに絶品だった。
 「美味い・・・正直、うどんなんてどこで食べてもそこまで変わらないだろと思っていた過去の自分をぶん殴ってやりたいよ。ここに来ないと食べられない味だ・・・」
 「やっと理解ってくれたか。嬉しいよ。やっぱり、土地のものを食べるって最高だよな。今でこそスポーツツーリズムなんて言葉もあるけど、俺は選手たちの遠征でも、必ず土地のものを食べてもらうようにしてる。本物を知っているって大事な経験だよな」箸を止めて語る金丸の言葉が、中岡の心に沁みた。胸のあたりが熱くなったのは、慌てて食べたうどんの影響だったのかは、中岡にはわからなかった。


 再び車に乗り込んだ。車内ではレッド・ホット・チリペッパーズの音楽が、控え目なボリュームで流された。金丸は昔からレッチリが好きだ。楽曲によって様々な表情を見せるところが気に入っていると、学生時代に話していたことを金丸はふと思い出した。小川製麺所から30分ほど走ったところで、少し広めの空き地にワンボックスカーを停車させた。これでも月極駐車場らしい。駐車範囲もよくわからないが、互いの信用で成り立っているのだろう。歩いて5分ほどのところに、中岡の新居となる一軒家があった。
 「ここが今日からの俺たちの共同生活の場、フットボールマンのシェアハウス、TOKIWAだ」金丸が道中に話してくれた家だ。かの有名な漫画家である手塚治虫をはじめとして、多くの巨匠を産み出した「トキワ壮」にちなんで命名したらしい。「海外の強豪国に勝つためのアイデアを持つフットボールマンを輩出する」とのコンセプトのようだ。白い壁に、黒みがかった屋根の日本家屋風の佇まいは、厳かなスタジアムと、サッカーボールを想起させた。扉を開けた金丸に続いた中岡は、沓脱のところで驚いた。靴箱の上部に広がる白壁に書かれていたのは、スペインのビッグクラブや代表や活躍し、現在は日本でプレーしているレアンドレのサインだった。「レアンドレがここに来たのかよ・・・」中岡が口を開けたまま金丸の方を見ると、金丸は「お忍びでな」とだけ言い、スリッパを静かに床に用意してくれた。最初に案内されたリビングに、中岡は自分の目を疑った。そこに広がる景色はまるで大学院の研究室のような場所だったからだ。「驚いただろ?大学院の研究室をイメージして作ったんだ」金丸の言葉に、中岡は自分の心が読まれているのではないかと思った。
 「イメージも何も、そのまんまって言っていいぐらい立派じゃないか」中岡は言った。
 「これであの時の残りの1年間を取り戻せるだろ?思う存分研究してくれよな」金丸は少し照れ臭そうに笑った。嬉しさのあまり、中岡はうまく言葉を返すことができなかった。


 20畳以上はありそうなリビングの一角には、人工芝が敷き詰められていた。

鮮やかな緑のうえには、ゆったりと座れる3人掛けのソファが置かれ、壁にかけられたテレビからは海外の試合映像が流れている。脇に目をやると、ビデオカメラやタブレット用の三脚が並んでいた。どうやら、選手向けの配信用の動画をここで撮影しているようだ。壁に沿ってパソコン用の机が2台並べられ、天井に埋め込まれたスピーカーからは車内と同じレッチリが流れている。そのまま反対側に目を向けると、ダイニングテーブル越しに、オープンキッチンが見えた。挽きたての豆の香りがこちらまで漂ってくる。金丸がコーヒーを淹れてくれている様子だった。中岡がダイニングテーブルの方へ歩みよると、キッチンの奥の扉が開き、青年が顔を覗かせた。
 「こんにちは、中岡さんですね」青年の名は萩中慎吾といった。丸亀大学に通う、大学3年生だ。高知県の高校を卒業後、真言寺駅近くにある丸亀大学に入学し、社会学を学んでいるらしい。落ち着いた話口調で、にこやかな顔で中岡に握手を求めてきた。
 「コーヒーが入ったぞ。まぁ、来たばっかりなんだから、ゆっくりしてよ」ダイニングテーブルに並べられたカップに掌を向けながら、金丸がいった。中岡と萩中は互いに会釈をかわし、席に着いた。
 少し苦みの強いマンデリンは、中岡の好みだ。金丸が淹れるマンデリンは特に苦みが効いている。現役時代に滅多にコーヒーを飲まなかった金丸だったが、今ではケトルでドリッパーに丁寧にお湯を注ぐ姿が絵になっている。
 「萩中くんは信じられないかもしれないけど、大学院入学の頃金丸はまったくコーヒーを飲まなかったんだよ」初対面の青年との会話のきっかけになると思い、中岡が口を開いた。
 「俺がプロになった当初は、今と違って、コーヒーは体に悪いって言われてたんだよ。その時の言葉が残って、結局引退後までほとんど口にしなかった。今ではカフェインでパフォーマンスが上がるって言われてるけどな」金丸が椅子に腰かけながら言った。
 「何がきっかけで飲み始めたんですか?」萩中が両者の顔を交互に見ながら聞いた。
 「大学院の入学初日で研究室で飲んだ一杯だよ。先輩が淹れてくれた」金丸は当時を思い出すかのように少し遠い目をしてこたえた。
 「そうだったな。河村先輩が淹れてくれたコーヒーは格別だった。俺のマンデリン好きも先輩の影響だ。そこから研究室でも自分たちで豆を挽くようになった」中岡が金丸を見て言うと、金丸は深く頷いてこたえた。「人生が豊かになった瞬間だったな。ほんの些細な幸せの大切さがわかったよ。随分と研究の疲れを癒してくれた」
 「本当にな」中岡は、金丸とコーヒーを手に向かい合う時間に悦びを感じていた。時間は流れたが、共有した思い出は色褪せることはない。コーヒーを一口啜り、そんなことを考えていた。
 
 気づけば日が落ちようかとしていた。思い出話だけに留まらず、大学院時代の研究のことや中退に至った経緯など、中岡は丁寧に話をした。これも初対面であり、同居人となる萩中と少しでも早く打ち解けたいという思いからだった。
 金丸は萩中に関して、「初対面の相手にも物怖じせず何でも聞くから、ひやひやするよ」と言っていたが、その顔は笑っていた。恐らく、萩中のそういったパーソナリティを気に入っているのだろう。
 「そろそろ練習に行く時間だな」金丸が時計を見て言った。
 「ついつい話しこんでしまった。俺も見学に行っていいか?」中岡が金丸に訊ねた。
 「疲れてないのか?見学はぜひ来てほしいけど、移動や気疲れがあるだろう?今日は部屋でゆっくりした方がいいんじゃないのか?」
 「問題ないよ。むしろワクワクしているから、疲れなんて感じていないさ」中岡が金丸に言うと、「さすがだ」という返事とともに、コーヒーカップを手に取って台所へ向かった。
 「金丸さん、僕が洗いますよ」と萩中が言うと、「大丈夫、大丈夫。慎吾は中岡を部屋まで案内してあげて。洗い物と指紋登録の準備をしておくから」と、金丸が少し張りのある声でこたえた。
 「指紋登録?」中岡は眉間に皴を寄せながら萩中の方を見た。
 「玄関の鍵です。あと、アシスタントにも登録しましょう」そう言って萩中はテレビの方を向き、「OK Coocle、テレビをオフにして」と言った。中岡は、ああ、と言ってスマホを開き、アシスタントデバイスにリンクさせた。ニュースマートホテルでの経験が活きたな。心の中で安堵のため息をついた。

 部屋は二階の奥にあった。今は夕暮れだが、昼間は日当たりが良さそうだ。ベッドには布団が敷かれ、机も広い。壁掛けの作戦版まで備え付けてある。引っ越しの荷物の到着は明日だが、特に心配はいらなかった。何からなにまで、ありがたい。中岡はそう思いながら窓の外へ目をやると、先ほど車を停めた空き地が見えた。空き地の裏手には小さなうどん屋がある。さすがは香川県だと、中岡は思った。
 「あそこのうどん屋さん美味しいの?」
 「美味しいですよ。金丸さんは毎朝行ってます」萩中が笑いながらこたえた。
 「えっ?じゃああいつ、今日は朝、昼とうどんだったんだ・・・悪いことしたな・・・」
 「大丈夫ですよ。金丸さん、三食うどんでもいいって言ってますから。現役時代の反動だっておっしゃっていました」
 「それは理解できるね」中岡も笑顔で返した。
 部屋にスーツケースを置き、萩中に続いて中岡も階段を下りた。中岡は、沓脱にいた金丸に、「このままの格好で大丈夫かな?」と尋ねると、「今日は練習を見ながらクラブのことや今後のことを話そう」と言い、玄関を出て車に乗り込んだ。


 練習場に到着した。萩中が通う、丸亀大学の人工芝サッカー場だ。

FC MARUGAMEが業務提携をしており、大学の部活がない時間帯は、サッカー場を含む施設の使用を許可されている。サッカー場自体はキャンパス内になく、山の中腹あたりに位置しているが、真言寺駅からは車で5分ほどの立地で、近くにバス停もある。背の低い山々が周囲を囲んでおり、麓には民家やビルなどの建物が並ぶ。ピッチ脇には立派なクラブハウスが建てられていて、シャワールームやミーティングルームも完備されている。学生にとってこの上ない環境だ。完成当初は、大学の人工芝サッカー場としては、四国初だったようだ。

 車から降りた中岡は、あたりを見わたし、深く深呼吸をした。なるほど空気が澄んでいて爽やかだ。点灯したばかりの6基の証明の明かりに溶け込むように、練習前の選手たちが自由にボールを蹴っている。パス交換をする選手、ゴールに向かって黙々とボールを蹴る選手、楽しそうにボール回しをしている選手もいる。中岡はこの風景がたまらなく好きだ。開放された空間の中で、自由に楽しさを発見できる。そんな選手たちの表情を見られるからかもしれない。
 数名の選手たちが、適度に距離を取りながら、物珍しい様子で挨拶をしてくる。まるで転校生になった気分だ。握手に来る選手、金丸に「新しいコーチですか?」と訊く選手、少し遠めで「新しいコーチだよ、きっと」とひそひそ話をする選手、それぞれに違った反応を見せることが、中岡には楽しかった。無理もない、思春期の中学生というのはこんな感じだ。もっとも、自分が中学生の時は、人と目を合わせるのすら嫌だったけれども。
 金丸に呼ばれ、中岡はクラブハウスに案内された。小さいが、スタッフルームもあり、練習前に金丸はスタッフとコーヒーを飲むらしい。専らその時は「カフェ・コン・レチェ(カフェ・オレ)を飲んでる」みたいだ。スタッフルームの窓からは練習場が見える。「二階建てだったら最高だったけど、これ以上贅沢は言えないな」と金丸は言った。練習はいつもタブレットを三脚に固定し、7mほどの高さのやぐらの上にセットして、全体を撮影している。新しい練習や、指導者のディスカッションに使う映像は、ドローンを使い、コーチが交代で撮影する。FC MARUGAMEのスタッフは皆ドローン空撮の資格を持っている。ドローンはバッテリーの持続時間が短いことが課題だったが、今では3時間ほどの撮影は難なく行えるらしい。

 説明を受けていると、何人かのスタッフがかわるがわるスタッフルームに入ってきた。みんな愛想がよく、活気がある。スタッフは全部で5名いる。U-15とU-14は合同で動くことが多く、監督とアシスタントコーチの2名、U-13はコーチが1名、理学療法士の資格を持つフィジカルコーチが1名と、GKコーチが1名だ。試合によって、どうしてもスタッフの人数が足りない時は、金丸がアシスタントコーチとして現場に赴くが、基本的にはクラブ代表とアカデミーダイレクターの兼業に専念している。特筆すべきは、U-15の監督のポジションに萩中を据えていることだろう。金丸の方針で、若手を監督に据え、全体像を掴む経験をさせられるよう配慮している。U-14担当兼U-15アシスタントコーチにベテランを付け、若手にありがちな、勝利のためにだけ躍起になるようなコーチングをコントロールする役割を与えている。クラブ全体の成長を考えながら、同時に指導者の育成も見据えているのだ。U-13やU-14を通じ、経験ある指導者が丁寧に選手を育成し、U-15になると若い指導者の感性と選手たちの感性が共鳴しあい、新しい発見にも繋がるのだという。

 「守破離って言葉聞いたことあるだろう?格闘技でよく聞く言葉の。あのイメージに近いかな。13歳で型を守り、14歳でもがく。15歳になるころには、学んだことを活かして自らが判断してプレーをする。もちろん、そんな簡単にはいかないけれども、育成においてはその流れを大事にしている」と金丸は話す。「指導者だって同じさ。守破離だよ。ただし、指導者は、全体像を掴まずに偏った指導をすると、抜け落ちることが多くなる。だから全体像を掴みやすいポジションを経験させるんだ。周囲には、『経験不足だ』って言う人もいるけど、経験しない限りはいつまでも経験不足のままだからな。チャレンジだよ」
 「指導者にとっても選手にとっても挑戦しやすい環境だな。ここまでの流れを作りだすまで、かなり大変だっただろう?」中岡が金丸に訊ねた。
 「ここまで浸透するまでが少しな。ただ、俺は恵まれてるよ。ベテランの指導者たちも、一番上のカテゴリーを見たい気持ちがあるはずなのに、俺の考えを心底理解してくれている。指導の面においてもだよ。大学院の時によく話した、制約主導のアプローチについて、よく勉強してくれているし、何より、選手が変わってきたんだ」
 「どんな風に?」
 「自分で決められるようになってきた。それは何気ない行動や発言からも覗える。プレー内外でも、選手主導のディスカッションが増えた」
 「それはすごいことだな。金丸が目指しているものに少しずつ近づいていっているな」
 「ああ。その通りだ。『規制された即興』を獲得できなければ、世界と伍して戦える選手は育たないと思ってる。それは選手にならなくても同じだ。指導者でも、教師でも、会社員でも、すべてに言える」
 「だからこそ、ユースの計画に着手するのか?」

 「その通りだ。そのためにお前にここに来てもらったんだ。俺たちの夢を具現化する、Cyber FCの計画をな」


# 3  GPS   https://note.com/eleven_g_2020/n/nf36045f9c0cf


【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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