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8/2 Drive

人は、しらずしらずのうちに変化していく生き物なのかもしれない。

高校を卒業して大学に進学するために引っ越しをした。実家から金沢まで車で高速片道約4時間。なんやかんやで3往復くらい父母の車の助手席に乗って移動した。長かった。いやあ、長かった。飽きること飽きること。どうしようもなくツイッターを見たり、どうしようもなくカーステレオの選曲に精を出したりした記憶がある(確かMOROHAを流して、父を「何だこの音楽は…?!笑」という表情にさせた)。

大学の1年生の夏休み、自動車の免許をとった。後に日々車を運転するようになるのだが、免許をとったあとの世界は見え方が全く変わっていった。まるで村上春樹を初めて読んだときのように。

「村上春樹」ときくと読みにくそうなイメージを持つ人が多いと思う(自分もその一人だった)が、一度村上春樹を読めばすぐにそうでないとわかる。むしろその逆なのだ。くだけた言葉、洒落た会話、回るレコード。どれもが読者のそばにあり、読者に寄り添いながらも、「小説的」な世界を広げていく。きっと村上春樹は小説界にパラダイムシフトを起こしたのだろうし(文学部ではないので詳しくないが)、読者の中でも確かにパラダイムシフトを起こしてくれる。彼は僕の中でもパラダイムシフトを起こしてくれたし、その感覚が人々をハルキストにするのだと我が身で実感した。

自分で車を運転することができるようになったことも、僕の中で1つのパラダイムシフトであった。どうしようもなく塞ぎ込んだ気持ちになったとき、僕は車を走らせる。春先や秋口に、運転席の窓を開けて走るのが好きだ。車の窓から見える海が好きだ。誰かをのせて走るのもいい。一人の夜のドライブもいい。物思いに耽って、夜の高速道路を実家に向かって走るのもいい。きまってどうしようもない夜に向かうのは、お気に入りの本屋か、お気に入りの無印良品か、なのである。

18歳のあの日、退屈していた助手席から見ていた世界とは160°くらい違う世界がそこにあった(もちろん今でも運転に飽きるときはあるので160°とした)。僕はそれを楽しめるようになった。ドライブは大人の特権だ。大人の特権は僕たちに見えやすく変化をもたらしてくれる。

大人の特権というと、お酒とかタバコとかをイメージする人が多いのかな。でもお酒とかタバコとか、免許とか、そういう年齢によって区切られたものだけじゃなくて、今日話したこととか、今日見た映画のワンシーンとか、小説のなかのあのセリフとか、そういう小さな刺激・経験によって、僕は変化させられうる人間であると思うし、そうでありたいな。うん、そうでありたいよ。変化と認識できなくても、そういった小さな出来事を心に留めて毎日を過ごせたらいいな。

隣町の隣町から自分の街へ、車を走らせながらおもっていた。

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