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猫のさんぽ🐈🐈‍⬛🐈🐈‍⬛🐈🐈‍⬛

 ねこさんぽ。
 ねこごはん。
 ねこやさい。
 ねこスムージー。
 ねこかわいがり。

「じゃあ、『ねこかわいがり』で」
「よしよし」

 仕事上がりはこれにかぎる。
 ほどよく乳酸の溜まった頭皮を頭髪の上からまずは丸めた柔らかなねこげんこつでくりくりとほぐしてくれる。

 それからこんどは子猫の首でも持って運ぶ時みたいにうなじのあたりをくいくいつまむ。

 おもむろに肩甲骨のあたりに指圧ならぬ拳圧を移動させていって痛気持ちいい感触で乳酸を拡散して無効にしてくれてるような感じになる。

 さあメイン・イベント。

 わたしの手編み風のとても高いセーターの背中をめくってそれからブラウスの布地もめくってねこげんこつがもぐりこんでくる。

「おお・・・あったかい・・・」
「だろう」

 ねこげんこつはやや硬さを増してわたしの背骨とその左右の筋肉あたりをくりくりぐりぐりと押してくる。
 セーターを外殻にして暖房とわたしの肌の直熱で温度が上昇していた空間なのに、それでもねこげんこつの方があったかい。

「はあ・・・ふ」
「よおし。応急処置終わり。帰るよ」
「うん」

 ふたりだけの貸オフィス。

 ねこげんこつの持ち主はわたしの唯一の直属の上司にしてこの医療系アプリサイト運営会社の経営者。

 唯一の社員にして直属の部下はわたしひとり。

 プライベーでも上司・部下だなんて言ったらちょっとエッチかしら。
 うそうそ。上司も部下も社長もヒラ社員もなく彼とわたしは対等なパートナーだよ。
 仕事もプライベートも。

 王子は飛鳥山公園の麓にあるテナントビルの一室を施錠した彼はわたしに訊いてきたよ。

「きょうはねこ?いぬ?」
「ねこで」
「はあ・・・やっぱりか」

 わたしはそう答えてさっさと都電の線路が湾曲する坂道を登ってせっかくだから公園の中も通って巣鴨方面へと歩み出すの。
 彼が文句を言ったよ。

「いぬの方がかわいいのに」
「ねこよ。ねこにきまってる」

 いつもの平行線の議論を繰り返しながら染井霊園の手前にあるわたしのマンションに到着した。

「ただいまっ」
「にゃあ」

 ドアを開けて真先にわたしに寄ってきたのは生後3ヶ月のこねこのペロちゃん。かーわいいんだよ。哺乳瓶でミルクをあげるとね、ペロっ、て舌を上の方に向けて口のまわりをなめるの。

「どうよ。お利口さんでしょ?いぬだとこうはいかないよ」
「そんなことないさ。ウチのシュシュだってお行儀よく玄関までお出迎えしてくれるさ」

 彼の言葉を無視してわたしは奥の部屋に居る3匹のねこたちにもただいまのよしよしをしてあげる。
 ペロちゃん以外はもう大人のねこだからゴロゴロっていうねこなで声を出す程度でわりと淡白なの。

「ごはん、どうしよ」
「トンカツは?」
「いいよ。じゃあ、今日はペロちゃん連れてく」

 彼にそう答えてお留守番をするねこたちにザラザラとキャットフードを出してあげて、ペロちゃんをバスケットに入れた。

 トンカツ屋さんはわたしのマンションから歩いて3分とかからない。そしてなぜかねこいぬ小型ペット同伴可能なお店なんだよ。でもいちど子ブタちゃんを連れてきてたお客さんがいてそれはさすがにシュールだったけどね。

「大将、こんばんは」
「おお、いらっしゃい。ケント社長は今日ミチルちゃんの家にお泊まりですか?」
「はい。ねこやしきに拉致されました」
「ちょっと人聞きの悪い」

 大塚にある彼のマンションはいぬやしき。
 巣鴨にあるわたしのマンションはねこやしき。
 恋愛関係というよりはパートナーといった方が無難な淡白なわたしたちが唯一自己主張をぶつけあうのが終わりなきねこいぬ論争。因みに彼主観だといぬねこ論争となる。

「へい、お待ち!」
「わあ・・・いつみても見事ね」
「うん。変わらぬおいしさだ。いただきます」

 ペロちゃんが入ったバスケットはカウンターの膝あたりにあるペット専用のラックに置くことができて、少し視線を落とせばペロちゃんとわたしは目が合う。

「大根たべる?」

 トンカツ定食には豚汁がついていて、そこに入っている大根を一切れつまようじに刺してペロちゃんの口元に近づけてあげた。彼女はとても賢いねこだから、ねこ舌がダメージを受けないように十分に冷ます時間を取る。もういいだろうってふんぎりついたら、ぱく、と口に含みこんで、それから舌を、ペロ、って出す。

「たしかにペロはかわいいなあ・・・」
「そうでしょそうでしょ。ケントの家にいるいぬ全部リストラしたら?」
「おいおい。冗談でもそんなこと言ったらミチルをリストラするよ?」
「わあ、セクハラだ」
「パワハラと言ってほしいな」

 食べ終わる頃には何組かのお客さんがそれぞれのペットと一緒に食事をしていた。ごちそうさま、って言ってわたしたちが店を出たら降っていた小雨は上がっていて一番大きな状態の満月が空に昇っていた。

「ふう。満腹満腹。ケントくんよぉ、お月見でもどうだい?」
「ほ。いいねえ。お月見は墓場でかな?」
「そのとおり!」

 わたしたちは墓場でどうしたこうしたという出鱈目な歌を歌いながらまずは未だに銭湯の横に設置されているビールの自販機で500ml缶を2本がこがこと調達して染井霊園の中に入っていった。駒込方面に向けて少し上り坂になっている霊園内の道を歩いて、この霊園が発祥の地だというソメイヨシノの木の脇に一席だけ置かれたベンチに並んで腰かけた。

 しぱっ、と缶のプルタブを開けて、ガコン、と缶のままぶつけ合う。

「おつかれ」
「うん。おつかれ」

 ジュル・グビグビ、と飲んでふたり同時に、ぷは、と声を出すと思わず笑いも漏れた。

「うまいなあ」
「おいしいよね。一日の終わりにビール・・・あ。そうだ」

 わたしはベンチの上に置いたバスケットを開ける。ペロちゃんを膝の上に乗せた。

「にゃあ」
「よーしよしよし・・・」

 オフィスで退勤がけにケントがしてくれたマッサージのようにペロちゃんを掌でしっとりと撫でてあげる。
 目を閉じてよろこんでる。

 抱き上げていつもみたいにふざけて彼女の両手をつまみバンザイ三唱のポーズをとらせようとすると、するん、てわたしの掌から滑り出た。
 とっ、とベンチから飛び降りて霊園の中央部に向かって走っていく。

「ペロちゃん」

 わたしも立ち上がって走り出した。
 ケントは少し酔ったのか、わたしに無言で手を振った。

 とても狭いストライドなのに回転が速くってペロちゃんはどんどんと霊園の中心部に向かって駆けていく。
 3分ほど追いかけてようやくわたしがしゃがみ込むようにして彼女の背中を捕まえた時、気配をかんじた。

「ぎにゃ」

 ねこに関する大抵の経験を済ましてきているっていう自負がわたしはあったけど、しっぽがギザギザのその大きなねこの鳴き声はやっぱりこわかったな。咄嗟にわたしはペロちゃんを胸に仕舞い込むように抱きしめて大ねこの視界から隠そうとしたもん。

 でも、ペロちゃんは全然怖がってなくってむしろ大ねこに興味津々って感じだったな。
 だからわたしも警戒心を少しだけ解いて訊いてみたんだ。

「キミもお月見?」
「ぎにゃ」

 多分この鳴き声は肯定の時のそれじゃないかと思うな。顔はしかめたままだけど無愛想な愛嬌っていう感じがするなこの鳴き声。

「キミも来る?」

 そう言うとゆっくりと大ねこは歩き出した。
 やっぱりノラってすごい。
 生活力が風貌から滲み出てる。

「にゃあ」

 わたしの胸の中でペロちゃんも自己主張する。
 そうなんだよね。
 彼女もノラになりかけてたんだ。

 神社の鳥居の横に置かれてたバスケットの中で、みぃ・みぃ、って掠れた声で鳴いてたのをわたしが見つけて保護したんだよね。

 ざんねんなことに一緒にバスケットの中に入ってた多分きょうだいねこたちはみんなもう冷たくなってた。

「にゃあ」
「ぎにゃ」

 大ねこくんはわたしたちの後をついてくる。
 なんで大ねこ《《くん》》だって分かったかというと、とっても立派な袋をぶら下げてるから。

「ケント、来ちゃった」
「おわ。そのねこは?」
「うーん・・・トンケ、とか」
「センスないよそのネーミング。僕の名前をひっくり返しただけだろう」
「でもかわいいよ」

 ケントは10秒ほど考え込んだ。

「見ようによっては」

 ペロちゃんが歩きたがった。
 そっとアスファルトの上に下ろしてあげる。

「にゃあ」
「ぎにゃ」

 並んで歩くねこふたり。
 月の光に四つ足を照らされてそのシルエットが白っぽく見えるアスファルトの上に、びよん、て伸びる。
 わたしは思わず言っちゃった。

「ファンタジー」
「乙女かい?」
「乙女よ」

 チ・チリン、と音がして、おや、と思った。

「鈴だわね」

 もわっとした首回りの毛でわからなかったけど、トンケは赤い染毛で編み込まれた首輪を巻いていて、小さな銀の鈴がかわいらしくぶら下がっていた。

「さあどうぞ」

 わたしのマンションにたどり着くと丁重にトンケに部屋に上がるよう促したけど、彼は世間の垢が染み付いた自分の体躯の汚れと体臭とで遠慮したのか、玄関の床にうずくまった。

 いじらしく思い部屋に小ぶりのデニムのカーペットを敷いてやると、ようやくその上に行儀良く乗ってくれた。

「食べる?」

 そう言って白い陶器の皿にキャットフードをざらざらと入れてやると、面倒くさそうにではあるけど食べてくれた。

「ぎにゃ」
「あら」

 わたしとケントが眠るベッドの下に深夜トンケがやってきた。
 なにかと思ったらトイレを探しているようだった。

「おりこうなのね、あなた」

 今でこそノラだけどトンケはきっと出自のしっかりとした飼いねこだったのだろう。
 首輪の裏に何か書いてないかと思い、

「ちょっとごめんね」

 と断ると大人しく首輪を触らせてくれた。

「あらっ」

 これはほんとうだろうか。
 まさか、とは思ったけれども、くすんでしまっているけど金糸で菊の御紋の刺繍がある。

「まさか、皇室にゆかりが・・・?」
「ぎにゃ」

 朝目が覚めると、トンケはもういなかった。ねことてどこかわたしたちの分からぬ隙間から外に出たのだろう。
 ただ、彼は一宿一飯の恩義のつもりか、首輪を置いていった。

「ケントが外したの?」
「いや。キミじゃないのかい?」

 まるい輪っかのままの首輪はペロちゃんのいい遊び相手になった。

「にゃあ」

 そう言って彼女はねこげんこつでじゃれて音を出すのがお気に入りになった。

 チ・チリン・・・

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