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さようなら、宮沢章夫さん

9月12日に劇作家・演出家・作家の宮沢章夫さんが亡くなった。
この2ヶ月間、何となくとても寂しくて宮沢さんの著書も読めずにいた。

私は大学時代、早稲田の授業で宮沢先生の演劇論の授業を受けた。
それ以来、いつか仕事がらみでも、また必ず会いに行けるだろうと、
いつも思っていたのに、会えずじまいだった。
正直、早いよ、と思った。

宮沢さんは夕方の授業にも、割と遅刻する人だったと記憶している。
18時ごろ開始の授業で、宮沢さんは来ない。当時(今は分からないが…)、先生がどれくらいだろう、30分くらい来ないと、休講扱いになっていたのだが(正確な時間は覚えていない)、宮沢さんはその30分が過ぎる直前のぎりぎりに来て、ぼさぼさの頭とよれよれのTシャツ姿で、「すいません、寝坊ぎみで」なんて言っていた気がする。もうそろそろ1日も終わりそうな時刻に寝坊するなんて、という強烈な印象があるので、たぶん、この記憶はあっていると思うのだが…。
本当に寝坊なのか、執筆や創作活動に追われていたのか、真実は藪の中だ。そして誰か、この記憶を共有してくれている方がいましたら、教えてください。

そして肝心の授業内容なのだが、私は全く覚えていない。
ただ、授業の最後に、「まあ、こんなこともあります」「まあ、こんな考え方もあります」「まあ、こんなこと役に立つか分かりませんがね」「まあ、こんあこともありました」などと、ひとこと添えるのが宮沢先生だったということだけが、強烈に印象に残っている。

人気の劇作家だし面白いから、授業は学生たちにとても人気で、授業を受けるのにも抽選があったと記憶しているが、何か「ありがたい話」が聞けるのか、というと、当時は何がありがたかったか良くわからなかったが、私は今、この瞬間、強烈にありがたかったような気がしている。

それは、世の中のくだらなさも不条理さもぐんぐんと増し、コントや風刺や表現の自由がここまで厳しさを増す時代になろうか、と、そのときは知るよしもなかった。

今、この瞬間に、私は強烈に宮沢さんと話したいと欲している。先生ならどう考えるか、何に苛立つか、何を表現するか、語り合いたかった。

宮沢さんの晩年のツイッターを改めて見ると、ほとんど印象になかった政治のことにもよく怒っているし、メディアの報道のあり方にもよく怒っているし、学生たちの授業のレポートなども力を込めて見ているし、とても真っ当な教育者だし、戦う人のようで驚いた。きっと、私たちが学生だったころも、とても真面目に授業してくれていたのかもしれない。寝坊だって、きっと創作活動や読書など、多忙ゆえだったに違いない。

宮沢さんのエッセイを、悲しすぎて読めなかったのだが、先日、やっと読んだ。私が大好きな「牛への道」。その中の「崖下のイラク人」は、ほんとうに大爆笑だ。

「崖下のイラク人。鈴木、」

何も意味がない。「、」って何なんだ。ただただ不条理な笑いの世界に引き込まれる。やはり宮沢先生には、コントやたくさんの劇をもっと書いてほしかった。

早稲田大学のHPに、こんな言葉を宮沢さんは残していた。
この写真も宮沢さんっぽくてとてもいい。

合理は捨てろ、それが早稲田だ 宮沢章夫 – 早稲田大学 (waseda.jp)

視野を広げろ、いつまでも、決まりきった訓練法だけで演劇ができると思ったら大間違いだ。それが早稲田だ。合理は捨てろ。簡単に手に入るものなどどうだっていい。インスタントな奇跡は起こらない。

合理は捨てろ。

この言葉を胸に、私ももう少し、不条理さになげき、悲しみ、怒り、笑い、遅かれ早かれ、会えるでしょう。そのときは、真面目な文学論の話をぜひしたいものですね。

ただし、現代社会の不条理さは、身に染み入るものがあります。「なんて不条理なんだ」と、口に出してみて笑い、でも性根では諦めない、そんな意思が今の日本には必要かもしれません。本当に、毎日、不条理さが余りあるときは、ぜひ、宮沢さんのエッセイで笑いましょう。そして言葉で戦うことを、諦めないことを、宮沢さんに教わりました。

宮沢章夫さん、さようなら。そして、ありがとう。










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