メモ:私らしさとヒエラルキーの意識
わたしは先週から、障害福祉施設に働きに行きはじめた。その組織でのわたしの役割は『パートの職員』だ。
昔、障害福祉施設の
代表をしていた頃があった。
その頃はよく
『立場に関係なく意見を聞かせてほしい』と
周りの人に言っていた。
けれども、口ではそう言っておきながら、
『自分の気に入らないことは言われたくない』
『わたしは代表だから周りとひと味違うように
見せなければならない』
『代表である=私には価値がある』
という意識がわたしにあり、
結果、
誰もが話しかけにくい状態になっていた。
なんとも視野が狭く、未熟なことか。
周囲の人は困っただろうな。
今の職場で、パートの立場から見ての、
わたしの意見がある。
が、それを支援現場で共にいる人に話しても、
代表には言うことを躊躇している自分、
怖いと感じている自分がいる。
正確には『躊躇する』『こわい』に
エネルギーを注いでいるのだ。
(ああ、そんな自分、見たくなかった~。)
『躊躇する』『怖い』という自分は、
何故出てくるのだろうか?と思うと、
現在の社会構造の中に多い
ティール組織の
◆『レッド』
圧倒的な支配者がトップに立つ組織
・衝動的な行動
・すぐ手に入る利益を手に入れる
◆『アンバー』
・トップダウン
・安定した組織構造
・メンバーの階級や制度によって
秩序が保たれている
の仕組みだけに、則って生きようとする
過去の自分がいるからだ。
”だって、そつなくこなせばいいじゃない。”
”命はとられずに生きられるよ。”
そんな、エゴの声が聴こえてくる。
きっと、過去生で、実際に命を落としたことが
数え切れないくらいあったのだろう。
ただ、今のわたしは、
その仕組みだけに則って生きることも
もう窮屈だと感じているのだ。
だって現在の状況は、
命まではとられないのだ。
階層を優先するために、
自分にウソをつき続ける必要がないのだから。
わたしは、
レッドやアンバーを内包して生きる意識に
関心が向いているのだ。
だから、
胸の内がもやもやして、苦しく感じる。
過去の自分の感情や体験からくるエゴの声と、
葛藤している。
環境がどの階層だったとしても、
『今の自分がどうしたいか、どう生きたいか』 に照準を当てる。
レッドやアンバーの階層が
いいとか悪いとかではなく、
わたしが、
その生き方に窮屈さを感じているのだ。
結論(までが長いw)
わたしは、
代表に直接話したいことがあるのだ。
それをまずは、伝えていこう。