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フェヌグリークのこと#1_油とスパイスの関係を探る実験から

【はじめに】集合知カレーのエレメントとして

ここ2ヶ月ほど入り浸っているLINE上の「🍛カレーのオープンチャット🍛」から端を発した実験結果をまとめるべく,noteを開く.自己紹介などは追々.
オープンチャットや「集合知カレー」作りを目指す一連の実験について,詳細はルーム運営主で(自称)カレーJKたるカレー哲学氏の文章に譲りたい.

「油とスパイスの関係を探る」という主題のもと参加者各々が行った実験も一部はnoteに記され,マガジンにまとめていただいている.

【構想】実はよく知らないフェヌグリークと向き合う

フェヌグリークシード(またの名をメティシード)が好きだ.初めて買ったカレー本に紹介されているスパイスを買い回った旅(いつか記事を書きたい)から帰って以来,ヘビーユーズするメンツのひとりとなっている.


しかし,好きな割にイマイチ掴めてない.使うたびに,なんだか味や香りが変わってしまうのだ.基本的には香ばしく,食前に皿から香りたつというよりは口に入れて初めて風味が広がる.が,ある時は異様に苦い,というか渋い.またある時はなんだかホクホクとした食感になり,スタータースパイスとして使った時のウラドダルのような立ち位置になる.だんだん,本当にフェヌグリークを好きと公言していいのかわからなくなってきた.
しかも,文献的には「いわゆるカレーの香り」「メープルシロップのような甘い香り」と紹介されているが奴にそんな印象を持ったことはない.ねぇフェヌグリー君,私の知らない一面をみんなには見せているの?(誰)

また,みんな大好き「南インド屋」そうじろう氏の記事にもフェヌグリークについて気になる記述がある.曰く,「ネパール料理の場合、フェネグリークは焦がしてなんぼ」.他のレシピ紹介では,そうじろう氏自身も「フェヌグリークは焦がしやすいので注意」と記していらっしゃるにもかかわらず,である.これにはきっと意図と裏付けがあるはず.

というわけで気になるけど色々と掴めないフェヌグリー君をこの機会に探ってみることにした次第.以下の文章はオープンチャットに投稿したdocx.文章からの引用が主となる.急に口調が堅くなるのはご愛敬.いざ.

【目的】フェヌグリークの加熱による変化と油の関係を知る

油の役割として「脂溶性の芳香成分の抽出」「高温の実現」の2つをスパイスに関与するものとして想定した.それぞれを検証するために必要なのは「嗅ぐ」「温度を測る」.前者に関してはGC/MS(職場にある)や臭気判定士(職場にいる)を頼れれば良いがそうも言っていられない.頼りは自前の鼻のみ.

【材料と方法】アルミホイル法

方法についてはオープンチャットでの先駆者が確立した「アルミホイルカップでトースター1000Wまたはオーブン200°C」を踏襲.ほかのスパイスで実験をされた方もこの方法におおむね従っていた.

小さじ1/2のフェヌグリークのホール種子をアルミカップにのせ,大さじ1のキャノーラ油を加えて200°Cのオーブンで2分間加熱した.また,同様の条件でキャノーラ油を添加しないものも用意し,芳香や風味,色調を比較した.また,南インド屋そうじろう氏の「ネパール料理の場合、フェネグリークは焦がしてなんぼ」*の意図を検証するため5分ずつ加熱時間を伸ばす追加試験を行った.
http://minami-indo.com/essay-about-fenugreek

【結果】加熱するほど香ばしく,焦がすほど苦味が減る...?

単体で加熱すると,今まで気づかなかった甘い香りが際立った.へぇ,そんな表情するんだ,いいじゃん.(だから誰)
加熱時間ごとに刻々と変化する香りについては下記参照.油の有無は見た目に劇的に現れた.写真をご覧あれ.

2分の加熱後,油無添加の場合にはほとんど芳香がなかったのに対し,油を添加した種子からはメープルシロップ様の甘い芳香が認められた.色味は両条件とも加熱前と大きく変化はなかった.また,噛み潰すと両条件とも強い苦味が感じられた.
積算7分加熱後では,油無添加で焦げ茶色に変化し,きな粉のような芳香があった.一方,油を添加した場合にはカラメルのような芳香があった.さらに5分加熱した積算12分加熱後では油無添加は濃い茶色となりトーストの焦げのような芳香があり,油を添加した場合でもコロッケの衣のような芳香があった.芳香には焦げに由来する印象が認められたものの,噛んだ時の苦味は12分加熱後には両条件とも弱く感じられた.

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図: 上から順に,5分,7分,12分の加熱試験後の様子.各写真の左側が油無添加,右側が油添加.油無添加では焦げるスピードが速かった.

【考察】フェヌグリークの成分は濃度によって表情を変える

良くない実験の典型なのだが,下調べを一切せずに実験に臨んだ.後から調べて一番驚いたのは,フェヌグリークがマメ科だったこと.え,冒頭に紹介したカレー本だとセリ科って書いてあったんですけど...紹介しといてなんだけど,実はこの本デザイン性は高いけど誤謬が多い.ともあれ,「ウラドダルっぽい食感」というのはあながち間違いでもなかったようだ.その他の疑問も下記考察内容で概ね解消できたように思う.

フェヌグリークの芳香成分の1つとしてソトロンが知られる.ソトロンはメイラード反応の生成物やメープルシロップの芳香成分の1つでもある.200°Cのオーブンで2分加熱し取り出した直後の表面温度は油無添加条件で約130°C,油添加条件では約160°Cだったことより,油を添加した場合には沸点184°Cのソトロンが十分に揮発し甘い芳香につながったと考えられる.

また,加熱時間に伴う方向の変化については,以下のように考えられる.
a) 油無添加,積算7分の「きな粉」香:きな粉の香りの一部はタンパク質の加熱により発生した硫化物が担う.フェヌグリークは大豆と同じ豆科であり,タンパク質を多く含むためきな粉と同様に加熱によって硫化水素などが発生した可能性がある.
b) 油添加/無添加,積算12分での「トースト」「コロッケの衣」香:ソトロンは濃度によって香りの感じ方が変化する[「カレー様」(高濃度)、「漢方薬様」(700ppb程度)、「焦げ臭」(70ppb)、「糖蜜様」(0.01ppb)]**.加熱時間が伸びるにつれてソトロンの揮発量が増加し,焦げ臭や香ばしさを連想させる芳香濃度レベルに達したと考えられる.

なお,ソトロンは水溶性であるため,フェヌグリークに関しては油には成分抽出の役割はないと考えられる.
黒く焦げるまで加熱した際の苦味の低減については,苦味の原因となるプロトジオスシンの変化によると考えられる.プロトジオスシンの熱安定性についての文献は見当たらなかったが,分子が大きく揮発が容易でないことが予想される.このため苦味成分の熱分解により苦味が低減したと考えられる.この成分については両親媒性である(水にも油にも溶ける)ため油によって抽出の程度が変化する可能性は低いと考えられる.
以上より,フェヌグリークの種子の調理に油が果たす役割は芳香成分であるソトロンの沸点に達するまでの高温の実現であると考えられた.
**https://winescience.amebaownd.com/posts/5029108/

なるほど,いろいろと合点のいく内容だ.食前の香りより食中の風味が際立つのは,油分が多いカレーの中では成分が抽出されきらずかつ脂溶性で飛びやすい他のスパイスの香りに負けるから.香りや味の印象が安定しなかったのも,その時々の加熱時間や温度の違いにより揮発して鼻に達する濃度が左右されるためなのでしょう.たまにえげつなく渋いときはきっと加熱不足.やっとあなたのことが少し分かった気がするよ,フェヌグリー君.

【その他参考】ソトロンは各方面で人気者

ソトロンはメイラード反応の生成物やメープルシロップの芳香成分の1つでもある

ので,シェフショコラティエ,さらには熟成酒オタクの間でもアツいらしい.
また,苦味成分プロトジオスシンは機能性食品の成分として健康志向の方々にも注目されている模様.構造を変化させた苦味低減フェヌグリークをハウス食品が開発中.この記事中の生マメ状態の艶々フェヌ君,ちょっと見ちゃいけないもの見た感あるのは私だけですか?事故って着替え中見ちゃったみたいな...


下調べ疎か実験あるあるですが,実は似たようなことは既にAir Spiceの水野さんがやっていた...さすがです.お湯での抽出もされていて,興味深い.

【後日譚】スタッフが美味しくいただきました

実験終了後,結構な量のいい香りのフェヌグリークと行きすぎた香りのフェヌグリークができてしまった.使わない手はない.
2分加熱したものは両群とも混ぜてカレー作りのテンパリングに参加.
7分加熱した両群と油ありで12分加熱したものはスライサーで千切りにしたニンジンに和え,カブのアチャールとレモンを刻んで加えてサラダに.
問題は黒こげの12分加熱油なし,だ.うーん...あれ?こんなところにスーパーで買ったバウムクーヘンが...そしていいところにHi Nikkaが輝いている...ということで,既に夜も更けていたけれど「バウムクーヘンのウイスキーシロップ仕立てフェヌグリークを添えて」が爆誕.

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激ウマ.この段の加熱になるとメープルシロップ感はなく,香ばしさと適度な苦味で粉っぽくないコーヒー豆の感じ.ちなみにウイスキーシロップは水とウイスキーと砂糖を1:1:1で小鍋で溶かした.

【おわりに】

あまり良くわからずに使っていたスパイスに単品で向き合う作業はなかなかに楽しかった.そしてフェヌグリークのことがもっと好きになれた.同じようにイマイチ掴めてないシリーズとしてはドライのカレーリーフ,ベイリーフ,ゴラカが思い当たる.オープンチャットのオイルウィークは一旦終わってしまったけれど,機会を作ってぜひ追加実験をやってみたい.


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