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10年間続けたアメフトをやめる決断。

こんにちは!長畑です。
タイトルの通り、僕はアメフト選手をやめる決断をしました。
今回はこの決断に至った経緯と今思うことを書いていこうと思います。


僕のアメフトキャリア


2012-2015 大阪大学アメリカンフットボール部『TRIDENTS』
→DLとしてプレー。

2016 プライベートリーグ『チェックメイト』
→RB/LBとしてプレー。

2017-2020 X2リーグWEST『西宮ブルーインズ』
→DLとしてプレー。

社会人になってから、X2リーグの「西宮ブルーインズ」というチームに入って4年間楽しい日々を過ごしてきました。

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特に昨年の2020年は主将を務めさせていただき、貴重な経験をさせてもらうことができました。
正直苦しいことの方が多かったですが、本当に主将をやって良かったと思っています。
チームとしては秋のリーグで全勝することができ、最終戦では個人として大きく活躍することもできました。

これだけだと「チームを全勝優勝させた主将」という錯覚資産で周りからは良い見られ方ができると思いますが、決して良いことばかりではなかったので敢えてありのままを振り返ってここに書こうと思います。

自分は決して優れた主将ではありませんでした。

西宮ブルーインズのチーム目標は「一部昇格」でしたが、コロナの影響で2020年は入替戦なしのシーズンとなりました。
チームでは目標を「全勝」に変え、2021年の「一部昇格」に繋げようと決まりました。

2021年の一部昇格を誓っておきながら、昨年の主将がチームを離脱するのは不義理だと自分でも思っています。
支えてくれたチームメイトや関係者、クラウドファンディングで支援いただいた方々、応援してくれた方々には本当に申し訳ない想いがあり、この記事を書こうと決めました。
しかし、ネガティブな記事にはしたくありません。

僕がアメフトを嫌いになって辞めるのではなく、アメフトもこのチームも大好きであるということを伝えたいと思います。


西宮ブルーインズでの4年間



遡ること4年。

1年目の2017年は、友達に「お前なら絶対活躍できる!」と言われて練習見学に行くと、コーチに「来週人足りないから試合出てくれ!」と言われ急遽試合に行くことになりました。
(試合の日は合コンが入っていたので、かなり迷ったけどギリギリアメフトが勝って合コンには遅刻して行った記憶があります。)

その試合でたまたまタッチダウンをして気持ち良くなり、勢いで入部しました。
(合コンでは活躍できなかったのは言うまでもありません。)

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ファンブルリカバーから70ヤード独走は死ぬほど爽快でした

当時は戦力も充実しており、優勝候補チームのうちの1つでした。

強豪校出身の選手も多くびびってましたが、よく出番をもらうことができて楽しかったのを覚えています。

知り合いは元々ほとんどいなかったので孤独でしたが、当時の主将が仲良くしてくれたりなどで少しずつチームに馴染めました。
いいチームだと本気で思ってました。
純粋に勝ちたいと思ってました。

そして秋シーズン、全勝同士で迎えた優勝決定戦でサイドワインダーズというチームに敗北しました。
チームのみんなはこの試合に懸けていた想いが相当強く、監督・コーチ・選手たちは泣き崩れていました。

そんな中、自分は涙を流せませんでした。

前日のミーティングは会社の飲み会を抜けて出席したし、当日はめちゃくちゃ緊張しました。
自分では本気のつもりでした。
それでも懸けていた想いが足りなかった。

周りとの温度差を感じてしまい、社会人スポーツが難しいと感じたシーズンでした。

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誘ってくれた友人と


2年目の2018年もなんとなくそのままアメフトを続けました。

少し慣れてきたこともあり、私用で練習を休むことが増えました。
幹部が頑張ったらいいと正直思っていました。
春シーズンはあまりチームの人とコミュニケーションを取っていませんでした。
試合に当たり前のように出れていたので少し調子に乗っていたと思います。

夏の合宿のときに監督に「今のお前の幹部からの評価は相当悪いぞ。そろそろ何か変えないと秋に使ってやれなくなる。頑張ってくれ」と直々に言われました。

これには相当ショックを受けました。

でも単純に、大した活躍もせずミスも多く、練習出席率も悪い奴を使おうと思うか?と聞かれると答えはノーですよね。
実力もないのに舐めてたなと反省しました。

監督は日ごろから仲良くしてくれていたのに、こんなことを言わせるまで自分で気付かなくて本気で申し訳なかったです。
かなり言いづらかったと思いますが、心に刺さることを言ってくれました。

そこからは頑張ったのですが、秋シーズンの山場は初戦の福岡サンズ戦でした。
信頼を取り戻すには時間が短すぎました。
自分はほとんど試合に出してもらえませんでした。
そして試合も負け。

そこでも、この試合のために本気で懸けてきた選手たちは泣き崩れますが、自分はまたしても涙も出ず。
試合に出てないので、悔しいという土俵にも立てていませんでした。
虚無感が残りました。

そのシーズンは、2戦目で他の選手の怪我をきっかけに試合に出てそれなりに活躍し、それなりに信頼を取り戻すことができましたが、またもや不完全燃焼でした。

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阪大の後輩たちと社会人でも一緒に戦いました


3年目の2019年は正直、続けないという選択肢もありました。

メンバーはどんどん仲良くなっていたしプライベートで遊ぶ期間も増えたのでチームへの愛着もあったのですが、自分の実力ではあまり活躍できるイメージがありませんでした。

元々自分をチームに誘った友達が転勤でチームを去ることになったというのも大きかったです。
そんな中途半端な気持ちで毎週末を捧げるのはどうかと思っていました。
それでも当時の主将にお願いしますと言われ、なんとなくチームに残りました。

その年はチームが始動するとき、転勤や移籍の関係で大幅に人数が減っていました。
主力が抜け、司令塔のQBもいない。
そんな状況でどうやって去年以上のチームを作るのかと考えると不安しかありませんでした。

でもTwitterに「もう1年だけアメフトをやる」と書き、最後の年にするという覚悟を決めて新チームを作っていきました。
自身も春シーズン前から公園で走り込んで活躍するイメージを作ってました。社会人で自主練をしたのは初めてです。

しかし、春の初戦は勝つどころか、試合をするメンバーすら足りない状況。まずはリクルートを本気でやることからスタートしました。

高校の同期、大学の同期、先輩後輩、大学のときのライバル。
思いつく限りのメンバーを誘い、とりあえずは助っ人という形で多くの選手が名古屋まで試合に来てくれました。

特に大学の同期のQBを誘うときは、QBクラブの中で2時間ぐらい説得して防具を買わせ、4年ぶりにアメフトをさせました。
ほぼ無理矢理でしたが「お前のしつこさに負けたわ」と言ってくれたのが死ぬほど嬉しかったです。
他のチームと迷ってる友達に鬼電して勧誘したのも良い思い出です。
岡山や福井からわざわざ来てくれた同期・後輩もいました。


気付けば、12人もの選手を巻き込んでいました。

みんなが決断してくれた決め手は、
「絶対に俺と一緒にやったらおもろいから。信じてくれ」
という言葉をなぜか本音で言えたからだと思います。

これでやっと試合ができる。


本気で選手たちに感謝しながら迎えた初戦は、名古屋サイクロンズに3-0で負け。
このときは寄せ集めメンバーでしたが、みんなが入ってくれたら絶対いいチームを作れると確信しました。

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阪大メンバーがかなり増えました


そして何より彼らともう一度いっしょにアメフトできることが最高に楽しかったです。

「俺が無理言って誘ったからには絶対楽しいアメフトをしてほしい。少なくとも俺は本気でやらなあかん」
という自覚が目覚めました。

本気でやると決めてポジションやキックのリーダー職に就いたし、筋トレを本気でやるためにパワーリフティングを始めたし、後戻りできない状況をつくりました。
日曜に予定入れることはやめて、どれだけ土曜に飲んだとしても必ず毎週練習に行きました。
遊びの予定を優先してた1年前の自分と比べると本気度の差は歴然でした。
自分が上手くなる感覚をその歳でも感じられて毎週すごく楽しかった。

それでも思うようにはいかず、、、
秋シーズンはめちゃくちゃ楽しみにしてましたが、初戦は絶対勝てると思った相手に引き分け。

2戦目は、優勝候補チームにボロ負け。
チームとしてはかなりやばい状況でした。
それでも士気を上げてやってくれた幹部たちには本当に感謝してます。

3戦目に初めて勝利することができましたが、4戦目は残り12秒で逆転負け。
言葉が出なくなりましたが、この負けを機にチームがもう一度ひとつになった気がします。
「下の入替戦に行きたくない」
というダサい想いでしたが、みんなが最終戦に対して本気になれたと思います。

そして最終戦は、16-7で勝ちました。
個人としてもチームとしても最高の出来だったと思います。

3.4.5戦目、全て泣きました。
ホッとした、悔しい、嬉しいなど、涙の意味はそれぞれ違いますが、やっと感情を爆発させることができました。
やっとこのチームで泣くことができたなと思いました。

特に最終戦のサイドワインダーズは、春に何もできず負けた相手だったので秋にリベンジを果たせて本気で嬉しかったです。
社会人になっても好きな人と本気で目標に向かっていくのが楽しいと感じた1年でした。

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2020年、主将になって


シーズンオフのある日、監督と飲みに行った際に
「来年主将やったら?お前が連れてきたやつらでチーム成り立ってるし誰も文句言わん。」
と言ってもらえることがありました。

少しビビりましたが、色々考えた結果、
「この仲間たちとさらに大きな舞台に行きたい」

その想いから4年目の2020年は主将に立候補しました。

今までにない画期的なアイデアを出し、これまで暗黙の了解で決まっていたことを疑って変えていこうと思い、それができるのが自分だと思っていました。
そして投票の結果、主将になることができました。
自分が一緒にチームをつくっていきたいと思った人を副将に選び、最初は嫌だと言いながらもついてきてくれました。
最初のチーム全体のミーティングではかなり緊張しましたが、しっかり準備をして50人以上の前で熱意を伝えました。

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スローガンは「RISE」に


しかし最初の練習が始まって間もない頃にコロナの影響で集まれなくなりました。
連盟からは「今年は入替戦なし」と通達がされ、何のためにこの1年頑張るのかわからなくなることもありました。(チームの年間目標は一部昇格)
正直、その頃は怪我もありかなりやる気は低下。
「それでもやれることをやろう」と言葉では言いつつも雰囲気を変える行動はできなかったなと思います。
自分の信用が失われていくのを感じました。

「あいつは主将やってる自分に酔ってるだけやろ」
そんな陰口も回ってきました。誰にも会いたくなかった。

仲良くて信頼してくれていたヘッドコーチからも
「お前もっとやらなチームバラバラになるぞ」と言われてしまいました。

そんな中、副将が中心となってクラウドファンディングを立ち上げてチームの雰囲気は少しずつ戻り始めました。

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自分もPR文章を書いたり多くの人にお願いしてチームの支援をしてもらうことで貢献はできましたが、練習で顔を合わせる機会がないため「みんなにどう思われているのか」と不安に駆られることが多かったなと思います。

自粛期間中は「オンライン筋トレ」を開催して全体に呼びかけたが、あまり反応がない。毎回参加してくれるメンバーは同じ。
開催するたびに参加人数を気にしながらも、何もしてないと思われるのが嫌で惰性っぽく毎週続けていました。
「自分に信用がないから人が集まらない」と感じることもありましたが、参加してくれるメンバーの温かさが僕を救ってくれていたと思います。

そして自粛期間が開けて練習が始まりました。しかしコンタクト練習は禁止され、体力メニューばかりでチームの士気はイマイチ上がらず。
今までチームに貢献できなかった反省から練習に取り組む姿勢だけはしっかり見せようと思い、毎週死ぬ気で走りものをこなしました。
ラインマンでも関係なく、誰よりも速く。
その姿勢を評価してくれる人は多く、少し信頼が戻って来たのを感じホッとしていました。
「よっさすが主将、頑張ってる」
「長畑変わったな」
みたいな言葉も飛んでくるようになりました。

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しかし、コンタクト練習が解禁された頃、原因不明の持病が再発し、練習に参加できなくなりました。
松葉杖をしてハドルをしながら、練習できないやつが何を言っても響かないなと思っていました。学生の頃も怪我が多く同じ悩みを抱えていました。
チームメイトは嫌な顔はせず心配してくれていましたが、自分の存在価値に悩みとても居心地が悪かったことを覚えています。

その頃には仕事関係でも死ぬほど悩んでいましたが、GOAL-Bへの転職が決まってそちらはスッキリ。
しかしご存知の通り、次はジム立ち上げで名古屋に住むことになりました。
フィットネス事業責任者を担い、忙しない日々を過ごし、週末も大阪に帰れないことが徐々に増えていきました。

アメフトの練習に行けないことが増えながらもYouTuberとして発信しているとで反感を買うこともありました。
この特殊な仕事との両立についてとても難しく感じました。

もうプレーで見せるしかないと思いました。
9月には格上との合同練習があり、そこで活躍して自分の価値を証明しようと意気込んで大阪に帰りました。
そして臨んだ試合形式の合同練習。
その1プレー目で肘の亜脱臼と剥離骨折。
肘が変な方向に曲がり、奮闘するチームメイトを横目に即病院でした。

「俺は何しに大阪に帰ってきたんだ」という想いで死にそうな顔で名古屋に帰りました。
メンタルがマイナスの日々が続いたと思います。
仕事もうまくいきませんでした。顔が死んでるとみんなに言われたけどどう改善していいかわかりませんでした。
早くシーズンが終わってくれないかと思うこともありました。
本当に公私ともに苦しい日々でした。

なんとかギリギリ怪我が治り、秋シーズン初戦には間に合わせることができました。
試合前の練習にも参加できず、当日にみんなと顔を合わせるのは怖かったですが温かい言葉でいじりながらも迎えてくれました。

初戦は僅差で勝ったものの、内容が全く良くなくて試合後はお通夜みたいな雰囲気に。自分自身のプレーも全然ダメで、チームに対して気の利いた言葉もかけることができなかったなと思います。

2戦目は大勝してチームは大盛り上がりしたものの、個人としてあまり活躍できず素直に喜べない結果となりました。

最終戦のみ、とても良い試合展開で自分も活躍して勝利を納めることができ、とても嬉しかったです。
目標の全勝も達成でき、最高の締めくくりとなりました。

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ラストプレーはQBサック&ファンブルフォース&リカバーという最高の結果に

活躍を褒められたり、1年間の苦悩をねぎらう言葉もかけてもらい、涙がこぼれました。
「終わり良ければ全て良し」ではないですが、本当に1年間たくさん悩みながらも素晴らしい経験をさせてもらえたなと思います。

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心からスッキリはできす。申し訳なさと感謝が半々ぐらいでした。


それでも自分では結果的に「キャプテン」に向いていなかったなと感じています。

「事業責任者」と同様です。
みんなの上に立ち、自分の決断で組織を引っ張っていくことが苦手だと知ることができました。
今は自分がプレイヤーとして結果を出すこと、その結果を組織の強さに直結させることが強みだと思っています(今の仕事においても、昔の部活においても)
これも経験したからこそわかること。
だからこそ僕はこれからも「何でも挑戦する人」でありたいと心から思いました。

さて、今現在僕が思うことは、「毎日仕事がとても楽しい」ということです。
仕事で結果を出したくて仕方がない。
長畑遼としてカッコよくなりたいという想いしかない。

仕事で結果を出すために自分のリソースを最大限に使うこと、大好きな仲間と共に一つの目標に向かっていくことで自分の心は満たされています。
そして今僕の意志は「パーソナルトレーナー」はもちろん、「パワーリフティング」と「YouTube」に強く向いている。
会社で明確に言われたことは「筋トレで成果を出して個人で突き抜けることとSNSでの発信はあなたの仕事です」ということ。
この仕事のために時間を割かせてもらっている。
そしてまだ自分はその分野において大きなことを達成できていない。

また、今年度中に自分の会社をつくることも決めました。
「キャプテン」みたいな経営者にはなれないので、自分なりの経営者像をつくっていきたいと思います。
(まだ何も決まっておりませんが、漠然とBARを始めたいと思っていろんな人に会い始めています)

大阪に毎週帰ってアメフトをすることよりも、今はこの「仕事」で突き抜けるために時間を使うことを優先したいと判断しました。

あくまでこれは今思うことであり、前記事で書いた通り、心の重要度は環境や外部刺激によって変わります。
ただ、しばらくは選手から離れてみようという決断です。

前述の通り、僕はアメフトも西宮ブルーインズも大好きなので、アメフト観戦には行くし精一杯チームを応援したいと思っています。
どこかのアメフトチームをコーチとして支えたいという想いもあります。
今後アメフトに対してどう関わっていくかわかりませんが、選手としてはここで一区切りにしようと思います。

チームメイトのみんな、支援してくれた皆さん、今年は応援行くぞと言ってくれた友達や家族や彼女、多くの人に対して申し訳ない想いがありますが、色々と考えた結果、今回の決断に至りました。


最後に


僕の人生は、間違いなくアメフトで変わりました。
どうしようもないインキャで運動音痴の自分が、初めて存在価値を認識できたのが大学のとき始めたアメフトでした。

数々の喜びがあり、自信がつき、それでも後悔の数の方が多くて。
それまで淡々と生きてきた自分でしたが、感情を大きく動してくれたのがアメフトでした。

アメフトのおかげで、自分にはなかった「アツさ」というものを手に入れることができました。

大学アメフトはもちろん熱くなれるのですが、社会人アメフトはモチベーションを保つ難しさが醍醐味だと思っています。
人それぞれ続ける理由も、参加頻度も本気度も違います。
本気で勝ちたい人、ただ楽しいからやる人、熱くなりたいからやる人、モテたいからやる人、運動がてらやる人、仲良い人がいるからやる人。

それぞれ色々な方向性の中で、全員で強くなっていくのは本当に難しい。
だからこそ、限られた時間の中で、それぞれの優先順位の中で勝利することの価値は素晴らしい。

大学アメフトとはまた違う視点で、社会人アメフトにも色々と学ばせてもらいました。
お世話になった方々、本当にありがとうございました!

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一方で、僕は「こんなに好きなアメフトをやめてまで他のことに本気になれている今の自分が大好きだ」と胸を張って言えます。

今後の人生の一瞬一瞬を、アメフトの1プレー1プレーよりもアツく、激しく生きていきたいと思います。


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