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ロックなんか聴かない私は少しでも君に近づきたかった

下書きが出てきた。
去年の夏の終わりに書いたものだ。

"彼"とは遠い関係になってしまった。今年の夏に叶えたかった夢。もう一生叶わない夢。

私と彼との間のことは、まだ思い出したくない。
ただ、1年前、私と、今これを読んでいるあなたと、世の人々で戦っていた世界のこと、終わりのない共存の道を歩みながら確実に前へと変化している今のことは、覚えていたいと思う。

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夏が始まって、夏が終わった。
今年も。

彼はそう表現した。

『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021開催中止に関して、皆さんにお伝えしたいこと』
そう題して告げられた通称ロックフェスの中止。

ロックなんて聴かない私にとっては言ってしまえばどうでもいいことで、「つらいね」「残念だね」といったありきたりな慰めの言葉しか出てこなかった。

イベントごとの中止は悲しいし、私でも知ってるほどの一大イベントだ。出演者や観客がかける情熱はひとしおだろう。
けれどこのコロナ禍において、規模が大きければ大きいほど、その実現は困難を極めることを私たちは知ってしまった。路地裏の個人店の方が余程融通が効く。融通を効かせたって無事とはいえない。何が正しいかはもう誰も判断できなかった。
そもそも、その一大イベントが去年と違い今年は開催される、ということさえ私は知らなかったのだ。潰れるような悲しみをとっさに想像するのは難しかった。


音楽というのは偉大な文化で、趣味繋がりの私のSNSにも毎年ロックフェスに行っている人が3.4人いて、この事態を受けての発言がちらほら流れてくる。

フェス総合プロデューサー渋谷陽一さんの言葉には、「既に〜しています」と「私たちは〜すべきではありません」が並んでいた。万全を期して進んでいた計画と外部からの正義の圧力。情熱と理性の擦り切れるほどの戦いは、しかし不戦敗に終わった。大義名分を前に、娯楽という娯楽はこの2年間、弱かった。



RADWIMPSの野田洋次郎さんの、iPhone8で読むには緻密に綴られた『個人的な気持ち』を追い、どこまでも真っ直ぐな信念を持つ友人の呟きを見て、ようやく、失われてしまったものの大きさがほんの少しだけ、自分の心を揺らした。


趣味は幅広いが体力が無く、フェスなんていかにも体力を持っていかれそうなものには今まで関心が無かった。

そんな私に、彼が連れて行ってくれると言う。
私は知らない曲ではきっと盛り上がれない。
だから曲を聞こう。

今年の夏にかき鳴らされるはずだった音楽を聞いてみよう。


来年。
彼の夏が始まると良い。
彼らの夏が始まると良い。
「始まった」と「終わった」の間が読点ひとつで過ぎていくような、そんな短い夏はどうか、今年で最後だ。

私にも分かるくらいの、濃密な夏になりますように。

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