「スペードの3」@64日目
「理由。みんな、うまれたものの背景に物語を求める。そこに物語がないと、その結果生まれたものに深みなんて伴うはずがないという目で、貪欲に物語を求めてくる。」
この文章を読んで、みなさんも思い当たるエピソードが1つや2つあるんじゃないだろうか。僕は「ヤンキーが良いことをして褒められる」構図が
とても嫌いだ。冒頭の文章とはちょっと毛色が異なるかもしれないけど、
問題児は少し良いことをしただけで、必要以上に評価される。
そして、そつなくこなす優等生よりも、問題児のほうが
周りの人の記憶に残る。そして、問題児は周りの人に愛され、
自信満々に生きていくのだ。
周りの人のフォローや手助けなど当然という態度で。
結局会社でもプライベートでも、何か「物語」や「拝啓」を持った人が記憶に残る。「昔はやんちゃしてました。」「昔はめちゃくちゃ女遊びをしてました。」その「物語」や「拝啓」は人によって様々だけど、少し弱い部分を「物語」や「拝啓」として見せれる人のほうが「ずるくて、強い。」
自分はどちらかというとそつなく何でもこなせるタイプで、何かとがっているものを持っていない。いつも自己紹介には困るし、趣味も特に変わったことがないので、話せることが少ない。結果的に人に覚えてもらうことも得意ではない。
自分をしらない人に対して、「ズルさ」を使って入り込める人が、
ずっとうらやましかった。そういう風な「物語」を自分も作りたかった。
人の心の中にある、そんな「羨望」を引き出すような連作だった。
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