時間をかけることの価値。「急がされる」今の社会でわたしが変えられること
こんにちは。東京都在住のさつきです。
天気の移り変わりが激しい日が続きますが、みなさまどのようにお過ごしでしょうか。
外に出かけることが減った分、おうちでSNSやテレビを見る時間が増えた方は少なくないのではないかと思います。直接的な人とのつながりが減っているこの時代、時間や距離を超えて、遠くの人と連絡が取れることはとても画期的です。最近では、SNSなどで理想的な暮らし方をしている人を見つけ、真似をして自分の生活の質を上げる人も増えているようですね。
オンライン化した生活
私たちの生活のオンライン化は、なんでもない日常に彩を与えてくれます。
しかし一方で、他の人の生活が見える事は、時に誰かの心を騒がせることもあるかもしれません。
それは焦りや嫉妬など、「自分もこうなりたいけど、なれない(でも羨ましい)」というネガティブな感情の連鎖から起こる事だと思います。大学生活も残りわずかとなる中、悶々としながら次の道の模索をしている私自身、ついついこの様な感情に振り回されることが増えてきました。
「こんなに嫌なら、いっその事止めてしまおうか…」と思うこともあるのですが、まさに人とのつながりが薄い時代。友人や知人とのつながりを考えると、スマホのアプリひとつでさえ、なかなか簡単に消すことはできません。今のわたしにとって、脱SNSの生活は思っているよりも難しいのです。
そんなわたしが、SNSと付き合う時に気を付けているのは、その世界に「自分の生き方までも没入させないこと」です。単純なことのようですが、ネットに慣れた生活をしていると意外とこの状態に陥っている自分に気づくのが難しい。目の前に見えている世界が全てに感じてしまうんです。
このような事を感じたのは今年のある体験からでした。
時間をかけることの楽しさ
今年の春の初め、わたしは地元の陶芸教室に参加しました。
そこでは、平成の名水百選にも選ばれた地元の水を使い、土も関東地方の物を使うなど、身近な素材を活かす陶芸家の方が先生をしています。
工房に入ると、まず目に入るのは教室の窓から見える青々とした木々と木製の作業机。部屋の中は太陽の柔らかい光が差し込んでいます。一足踏み入れただけなのに、そこはもう「陶芸の世界」でした。
席について、いよいよ陶芸教室スタートです。
まず、先生によって両手で持ち上げられるほどの粘土がひとりひとりに配られます。
わたしは、意外にもひんやりと冷たい粘土を受け取り、コーヒーカップが2つ作れるほどの大きさに切り分けて、捏ね始めました。
最初は冷たかった粘土も、こねてこねて、やっと柔らかくなってくる頃には自分の体温で温かくなってきています。わたしは座っている場所も忘れるほど、手の中の粘土がゆっくりと形になっていくまで手先の感覚に集中していました。
実際の陶芸教室での作業は、2時間ほどの間でしたが、体感ではもっとゆっくりと流れていたようでした。この陶芸の体験はいつもの生活ではなかなか無い、「何かを作り出す」ということの新鮮さのほかにも、感じるものがありました。
その一つは、ゆっくりと生み出されるのを「待つ楽しさ」でした。先ほども書いたように、陶芸の作品は、型に粘土をギュッと押し込めば完成するものではありません。手の中で何度もおさえたり伸ばしたりして、時間をかけていくと少しずつ形が見えてきます。この時間をかける過程では、不思議と焦ったりイライラするような事はなく、むしろその時間を過ごすのが楽しいとさえ感じます。
見落としていた価値に気がつく
冒頭でも書きましたが、今のわたしたちの生活は他の人と自分を見比べる環境が常にそろっていると思います。だから、どうしても他の人が目に入り、その度に焦ったり、思うようにいかない自分が見えてきて落ち込むということが起きているのではないかと感じます。
それは、「望ましい」とされる価値観や例ばかりが目に入る環境のなかで、わたしたちは自然と急がされ、具体的な結果を出すことばかりに集中してしまうからなのかもしれません。
先日、長年にわたり大学で数学を教えている教授の記事で、「最近では、昔と比べると問題をもらってから直ぐに解き方をたずねる生徒が増えた」という内容の文章を目にしました。つまり、考える前から正解にたどり着くことに急ぎ、試行錯誤の時間を省こうとする人が増えているというわけです。
陶芸教室での体験は、目の前に見えている世界にとらわれがちだった自分の生活を見直すきっかけとなりました。SNSをはじめ、理想的な世界や、成功例ばかりが前面にでている景色を見ていると、自分の歩みがとてつもなく小さくて情けないものに見えます。だから、余計に早く先に進もうと走ってしまいます。
考えてみれば、今の社会では、学業全体の評価に影響する定期テストをはじめ、受験勉強や就活など、「自分のペースで良いんだよ」などとと言われることはほとんどありません。そんな私たちにとって、いかに早くゴールに到達するかという事にこだわるのは自然なことです。
しかし、最終地点ばかりに集中していると、その途中にある別の道を見落としたり新しい自分を発見する可能性を知らないうちに失っているかもしれない。そう考えると、完成する姿を待ちわびながら、時間をかけてでも小さな歩みを一歩一歩重ねることには大きな価値があると思います。
これを読んで下さっているみなさんも、振り返って良い思い出としてよみがえる記憶には、なかなか上手くいかずに奮闘したり、時間をかけて取り組んだことが多いのではないでしょうか。このような経験は私たちに達成感を与えてくれるし、何よりもそのもがく時間が「楽しい」のだと思います。
人の人生は十人十色であって、歩幅を合わせて進もうとするのはそもそも無理があります。
自分の歩みの遅さにイライラするのではなく、時間がかかることも、物事が成就するための糧になるととらえて期待する。それが、「急がされる」社会に生きるわたしが大切にしたいことです。
Text by さつき(心の旅人さつき)
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