「独立」は「つかまり立ち」くらいがちょうどいい〜フィンランド独立記念日にわたしの豊かで幸せな生き方について考える〜
フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。
今日、12月6日はフィンランドにとって特別な日。きっとフィンランドの街中でこの曲が流れているんだろうなあと思いを馳せています。
これは、フィンランドの独立を歌った「フィンランディア賛歌」で、フィンランドを代表するクラシック作曲家シベリウスが作った曲です。フィンランドでは12月6日になると、毎年街中でこの曲が流れ、あるいは路上で演奏され、フィンランドにとって特別な日であることが感じ取れます。
そう、今日12月6日はフィンランド独立記念日なのです。
今から104年前の1917年12月6日、フィンランドはロシアから独立し、初めて「国」になりました。それまでフィンランドは、12世紀〜18世紀の約600年間はスウェーデンに統治され、19世紀の約100年はロシアの統治下に置かれました。そんな歴史があって、フィンランドにとって独立がとても重要だったのですが、独立後の歴史もまた波乱に満ちたものでした。
今回はそんなフィンランドの独立の歴史とともに、わたしたちの独立の本質を考えていきます。
独立って何?
改めて「独立」という言葉について整理してみます。
なるほど、自分の力や意思で行動するということが総じて「独立」の意味ですね。
では、人生や生きる上での「他からの影響を受けずに自分で立つ」独立とはどのようなものを指すでしょうか。
社会人になると実家を出て一人暮らしして独立し、経済的自立を目指します。
会社員の経験を経て会社から独立し、自立した事業の確立を目指します。
育てた子どもたちは独立し、自立したシニアライフのプランを立てます。
人生の節目で独立は欠かせないもの。独立をすることで「自由」を手に入れ、幸せな人生を歩むことを目指しているからです。
時の福沢諭吉もこう言っています。
“社会共存の道は、人々自ら権利をまもり幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重し、いやしくもこれを侵すことなく、もって自他の独立自尊を傷つけざるにあり。”
独立を実現する目的は、お互いを尊重しながら自ら権利をまもり幸福を求めることと言っています。
一方、フィンランドの独立前後を見てみると、18世紀にロシアの統治下にあったフィンランドではヨーロッパの独立思想が流入し、独立機運が高まっていました。それまで長く大きな国の統治下にあったフィンランドとしては、自由を求めて、というよりフィンランドの独立自尊を求めて独立を目指した時期だったのでしょう。
当時の政治や外交戦略がフィンランド独立を目指していたのはもちろん、フィンランド人としてのアイデンティティを確立するため、文学ではフィンランド各所に口頭で伝えられていた神話をまとめた叙事詩「カレワラ物語」を文字起こしし、芸術では北欧デザインの生みの親と言われている建築家アルヴァ・アアルトが、モタニズムに自然の要素を取り入れたフィンランドデザインのベースを確立させます。
独立できる環境と意思を固めて、人々や国は自由のために「独立」を目指します。
「独立」で本当に幸せになるの?
果たして、人々も国も「独立」を経て自由を手にすれば、幸せになるのでしょうか?
まずはフィンランドの独立後の歴史を見てみましょう。
フィンランドは1917年12月6日に独立宣言をします。しかし、翌年から第二次世界大戦終了までの約30年間はフィンランドは内戦、冬戦争、継続戦争と戦争時代に突入します。大国であるスウェーデンとロシアに地理的にも政治的にも挟まれているフィンランドは、これまで何度も両国の領土争いで戦場と化していました。長い間、大国の戦略に巻き込まれてきたフィンランドは20世紀初頭、国民の幸せのため独立を目指したのですが、独立後の30年間はずっと苦しく、暗い時代を過ごします。
戦争が終わっても、小国フィンランドは世界経済の流れに左右され、オイルショックや1990年代の世界経済危機では大量の失業者を出し、加えてアルコール中毒者の急増は社会問題になっていました。寒冷地で食物が豊富に育たないフィンランドは当時、人々の幸せを実現するには程遠い有り様でした。フィンランドは独立後の約90年間は、苦しい時期だったことが伺えます。
会社から独立して起業した事例を思い起こしてみても、全ての事例に当てはまるわけではないですが、独立当初はライスワークのため、または実績のために、ともするとやりたくない仕事を引き受けます。競合や同業のライバルに負けたくない、けれど、労働量に対してやりたい仕事と売り上げに反映されず、心も体も疲弊する日々が続く、なんてことがあります。
私が起業して4年目まではまさにこんな状態でした。仕事をやってもやっても売り上げに反映されず、確かに時間の自由や仕事を選べる環境ではあるものの、なんとも言えない苦しさを感じていました。
「起業したばかりなのだから、人脈を作らなきゃ」
「起業したばかりなのだから、実績を作らなきゃ」
「せっかく起業したのだから、やりたいことを見つけなきゃ」
“起業したのだから”という呪いと焦りが積もり、暗中模索の4年間を過ごしました。その間、私の生活は荒れていましたね。詳しくは前回書いた私の記事をご覧ください。
東京で1人暮らしをするにはギリギリの経済状況でしたが、経済的に親に頼らないと経営者として必要な交際費すら捻出できない状況でした。
お金の部分で親に頼るということが、私としてはなんとも情けなくて、申し訳なくて。だからこそ早く売り上げを安定させ、かつやりたい事業を見つけることを模索していると、再び「〜しなきゃ、〜やらなければ」病にかかり、気持ちの負の連鎖から抜け出せずにいました。
そんな思考を繰り返すうちに、だんだん自分の幸せがわからなくなっていきます。
私の幸せってなんだろう?
やりたい仕事をすること?
いつでも昼寝ができる自由な環境にいること?
お金をたくさん稼ぐこと?
自由な働き方だからとはいえ、起業して独立しているからとはいえ、幸せを感じる状態にはほど遠く、むしろ自分の人生に対する責任の重さで押しつぶされそうな状態だったんじゃないかと、今振り返れば思います。
「つかまり立ち」くらいがちょうどいい
独立したからといって簡単には幸せになれない、そんなことは頭ではわかっていても、フィンランドと私の起業の事例を見る限りは、想像以上に苦しさを伴っていることがわかります。
では、どのように独立後の苦しみから脱して幸せを感じることができるのか?
答えは簡単。
「一人では立てない事実を認めること」
よく言うじゃないですか、「人間は一人で生きていけない」と。言い換えれば、完全な独立はできないということを認めることなのです。もちろん、どの部分で独立とするか、経済的独立なのか、精神的独立なのか、それによって独立の認め方が変わりますが、いずれにしても人間も国も完璧な独立などないのです。
フィンランドは、国際関係では独立した一つの国ですが、経済は物質の部分では外国に頼っています。寒冷地で土壌条件などもあり、野菜や果物がほとんど育てられないフィンランドでは、そのほとんどを海外から輸入しています。また、木の資源以外あらゆる資源は輸入に頼らざるを得ないのがフィンランドの現状です。
起業の場合の独立もそうです。個人事業主や法人は一つの独立した人格ですが、お金の流れや仕事の流れを考えると、顧客(クライアント)と人付き合いをしながら仕事を受発注します。つまり、独立したとしても誰かに頼ったり頼られたりしないと仕事ができないのがビジネスの本質です。
そんな当たり前の、でも忘れがちな本質に気づいた時、私は一つの気持ちを手放しました。「誰かに頼りたくない」という独立にこだわるプライド、気持ち、意地。
この心境に辿り着いた時、私は日本における根性論とフィンランドの根性論の違いについて思い出しました。フィンランドにも日本の根性論に近い「SISU(シス)」という言葉があります。
細かいニュアンスの違いはあれども、犠牲を払って歯を食いしばって前進するという意味そのものは、日本の根性論に近い部分があるかもしれません。けれども、この根性論とSISUには、決定的に大きな違いがあります。それは、発動させるタイミングについてです。著書『フィンランドの幸せメソッド SISU(シス)』の著者カトヤ・パンツァルさんの講演に関する記事(https://www.huffingtonpost.jp/arisa-ido/finland-sisu_a_23506010/ )に、フィンランドのSISUを使う条件としてこのように紹介されています。
つまり、一人で限界に達するまで頑張らなくてもいいんだということがSISUの条件なのです。
そうだ、私はなんとか根性で乗り切って、独り立ちをしてやる!そんな気概を持っていたなぁと思います。そうじゃなくて、誰かに頼っていいということ、そしてその塩梅はトレーニングしていきながらバランスを取っていけばいいんだということに気付かされました。
ちょうどいい塩梅というと、私の場合は「つかまり立ち」の状態を目指す感覚です。そう思うと、なんだか気が楽になって、親に経済的に少しばかり頼っている状況、誰かに甘えて仕事をもらえている状況も良しとすることができてきました。
不思議なことに、気張って独立を目指さなくなったその時から、私の人生は大きく変化していくのです。
「わたし」の人生を生きるには「誰かに頼る」というカードを使ってもいい
今フィンランドは、世界幸福度ランキングで4年連続1位を獲得していることもあり、世界中からそのライフスタイルや文化に注目が集まっています。教育、福祉、豊かな自然、サステイナブルな生活など、フィンランドの歴史上これまでにないほど世界から熱視線を浴びていて、フィンランド人ですから派手には表現しませんが、このことに誇りに思っている人たちが多いと、私の研究取材の中で感じています。
そんな中でも特に、自分の人生を自由に選び、どんな生き方であっても尊重されるフィンランドの空気感や風土は、それだけで幸福感を感じる要素になります。
しかし、これまで見てきたように自由に選べるからこそ重い責任があること、それは時に人を苦しめることを、この記事を読んでいる皆さんが体感していることと思います。フィンランドでもそれは例外ではありません。
だからこそ「誰かに頼る」というカードをいつでも持っておき、必要な時には勇気を持って使うことを私は心がけています。
そうすることで、私の中の「自分の人生を生きる」ことの重荷が消え、変なプライドが取り除かれました。その瞬間から、家族に素直に感謝することができ、素直に謝ることができ、気づいたら仕事の質が高まり(やりたい仕事でかつ単価が高くなった)、ついでに夫と出会いました。その期間は、わずか1週間の出来事だったのです(!)。
完璧な独立を目指さなくていい、つかまり立ちでいい、そう感じて力が抜けたのは、私がフィンランドと出会ったおかげです。
今夜は冬空の下、日本の岐阜・飛騨高山の自宅でフィンランドのお酒を飲みながら、フィンランドの独立を祝う時間にします。
Kippis(乾杯)!
良い1日を!
Written by 石原侑美(Elämäプロジェクト代表)
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