見出し画像

秋の夜長に先を考えて眠れなくなったら真っ暗を踏みしめよう。

すっかり涼しくなって、暑さと寒さに挟まれた秋がやってきました。
みなさんいかがお過ごしですか?今回の記事は、秋の夜長には考えこんでしまうあなたに贈ります。

陽が短くなり、会社を出たら真っ暗なんてことも増えましたね。家にいても気づくと「もう夜!?」なんてことも。冬にむけて長くなっていくこの「真っ暗の時間」。フィンランドでは室内でキャンドルを灯したりインテリアを整えて心地よく過ごすそうです。

画像1

それにならいたいと思いつつ、夜が深まると考えごとも深まります。
コロナ禍では1人の夜も多くありましたね。ガラッと変わってしまった世の中が今後どうなるのか、私たちはどうしたらいいのかと将来への不安が忍び寄ってくることも。

そんなとき、私は布団の中で深夜2時にSNSをたどり、同じく起きている誰かの存在にほっとしていました。友人は世界中から参加できるオンラインゲームをしているのですが、夜中に対戦相手が現れると「敵役なのに仲間みたいだった」と言っていました。

おぼつかない気持ちを共有できると安心しますよね。
ただ、電子機器のブルーライトは体内時計を乱して寝つきにくくするそうです。また、気持ちを共有できても問題解決にはならず、またグルグル考えこむ日もあるかもしれません。
そこでいろいろ試してみた結果おすすめの方法ができました!私はこれでスマホを手放して安眠できるようになりました。

その方法とは・・「夜に庭やベランダに出て目をつぶり真っ暗な空間を味わう」ことです。

画像2

「え?」と思われたかもしれませんね。実は、ドイツでは30年以上前に「暗さを味わう」ソーシャルイベントがはじまり、今では50か国以上で開催しています。日本でもエンターテイメントとしてや企業研修などに使われているイベントです。

「将来の不安」を「真っ暗」な空間が解決する。一体どういうことなのでしょうか?

きっかけは北海道の夜の森

諸事情がありこの夏に北海道でワーケーションプログラムに参加しました。北欧の大人の学校フォルケホイスコーレをモデルにした取組みです。(濃厚な日々を過ごしたのですがそれはまたいずれ…)
プログラムテーマの一つは「自然」。その一環として明かりのない夜の森を散歩する日があったのです。

専門家のネイチャーガイドさんに率いられ20人弱で挑んだのですが、これがもう真っ暗!森の入口には廃墟となった大型ホテル。もちろん民家もなく人っ子一人いません。ヘッドライトは持っていますが極力点灯せずに一列で進みます。

画像3

50cm先の人の背中に目を凝らしますが白以外の色は完全に見えません。白い服の人でも輪郭がうっすら浮かぶだけ。大の大人たちが「こわいこわい」と言って、手をウロウロさせながら恐る恐る一歩踏み出しています。普段歩くときの半分のスピードです。
目の代わりに情報をくれるのは耳・鼻・触覚。川の匂いに気づいたり、前の人が立てる足音の大きさから相手との距離を測ったりします。

そして何より、足で踏みしめた地面の感触!

やわらかい土、舗装されたアスファルト。いつもなら気づきもしない3㎝の段差で転びそう。先が見えない暗闇で唯一信じられるのは足元だけでした。とにかく次の一歩をちゃんと着地して、踏んばって、足先をソロソロとまた前に。
それだけに集中しているうちに森を抜けゴールの滝へ。そこからまた引き返して、無事に麓にたどり着いてようやく星を見上げる余裕ができました。

ちゃんと帰ってこれた。体育座りで、ホーッと安堵の息をはきながら履いたままのスニーカーをなでました。「足元の一歩」の大事さに気づかされたのでした。

暗闇でこそ見える世界「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」

ダイアログ・イン・ザ・ダークというプログラムをご存じですか?
1988年にドイツのハイネッケ哲学博士が考案し日本では1999年から始まりました。真っ暗な室内を少人数で回りながら目以外の五感で新しい世界を感じとります。無力な中で助け合うことで人間関係構築にもなるため企業のワークショップとしても活用されています。

私も数年前に参加しました。おもしろいのは、入口前から真っ暗なので参加者同士もお互いの顔を知らないんです。「はじめまして」と言いながら顔も知らない相手と手をつないで一列で進みます。人はこわいと誰かと手をつなぎたくなるんですね。

画像4

ここでも一歩一歩すり足で道を探し1時間以上歩きました。出口で知りましたが私の手の先はとある社長さんでした。
豆電球ひとつない中で部屋から部屋へ、室内なのになぜか小川が流れていたり。それでも進めるのは、案内役として暗闇を熟知する視覚障がい者のかたがいてくださったからです。その声に励まされ目以外でも見える世界はあると教えられました。

真っ暗だから見える「ここに在る」ということ

9月の眠れない夜。いつも通りSNSをたどっていたのですが、ふと夜の森やダイアログ・イン・ザ・ダークのことを思い出し「先が見えない暗闇は今の時代と似ている」と感じました。

変化の激しいVUCA時代、コロナやデジタル化で価値観が変わっていく不安。それは目に頼ってきたのに暗闇で光を見失った気持ちと通ずるかもしれない。
そのとき、我ながらおかしいのですが、「家の庭でも真っ暗を味わってみよう」と思い立ちました。

「だいぶ変な人だな…」と自覚しながら夜12時に庭に降りてサンダルを脱ぎます。目をつぶると遠くで電車のゴーッという走行音、まぶた裏には街灯の薄明り。夜は肌寒さを感じるようになりました。

画像5

足裏には土と砂利と草のひんやりした感触があります。力を入れると地面が押し返して少し痛い。不安な中でも自分は今ここに立っている、今ここに在る。それはなんだか心の支えとなって安心できてその日は熟睡したのでした。

北海道の夜の森、ダイアログ・イン・ザ・ダーク、夜の庭。
先が見えない時代にみんな不安かもしれません。それでも、今の気持ちや仕事で成し遂げてきた足跡は間違いなくここに在ります。それを土台にすれば恐る恐るでも足先を前に伸ばせるかも。

秋の夜長には、真っ暗な空間で足裏の地面を味わってみませんか。
一歩先に踏みだせるように。

画像6

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)

この記事が参加している募集

最近の学び

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?