女性も男性も生きやすい社会って? 無意識のジェンダーバイアスに気づいた経験と、いま子育て中のかあちゃんが思うこと
こんにちは、あいすか、かあちゃんです。みなさんお元気でしたか?
4月になりました。入学式、入社式、新学期、普通に4月がスタート(かあちゃんw)などなど、皆さん新しい春のはじまりを過ごされていることと思います。
さて、3月8日は何の日だったか覚えていらっしゃいますか?
そう、「国際女性デー」でした。1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、1975年に国連によって制定されました。3月8日は女性たちによってもたらされた勇気と決断を称える日だそうです。
イタリアの「ミモザの日」も有名ですね。女性に感謝を込めて、母親や妻、友人、同僚などに愛や幸福の象徴でもあるミモザが贈られています。
今年は日本でも国際女性デーのイベントが行われ、大盛況だったようです。その一方で、男女平等の先進国であるスウェーデンの駐日大使、ペールエリック・ヘーグベリさんは、女性が不平等な状態に置かれているにもかかわらず、この日だけ祝うことへの異議申し立てをされていました。
日本はまだまだジェンダー意識に対する後進国なのだということ、かあちゃんにでも理解できます。今日は、かあちゃんが自分の中のジェンダーを意識して悶々としたことや、そこからみんなに老婆心ながらお伝えしたいことをまとめてお手紙にしてみました。
かあちゃんがジェンダーについて考えるようになった女性パイロットとの出会い
かあちゃんは、以前の自己紹介で書いたように片田舎育ちで、都会に憧れていた普通の女の子でした。両親からも女の子なんだから勉強しなくてもいい、とか言われたことはなく、どちらかというと男女関係なく、親から早く自立して手に職をつけて生きていくように、と言われて育ちました。
今思うと、学校が小学校から大学までずっと共学だったので、思いっきりジェンダーバイアスがあったように思います。出席番号も男の子が先でした。
公立中学の時に友人の女の子が生徒会長になったときは、周りの教員も生徒もみんなが驚いていました。当時、女の子で初の生徒会長だったようです。
その後、就職して、ある人に会って、かあちゃんはジェンダーについて、自分の人生を振り返って考えることになります。
かれこれ10年くらい前の話になります。国際線の客室乗務員(CA)になり、中堅どころとなった20代後半のある日のこと。
いつものフライト前におこなうパイロットとCAのミーティング時、男性年配機長の横に、40歳前後の女性パイロットAさんが立っていました。ショートカットで端麗な顔立ち、わかりやすく的確に運行スケジュールや気象状況について話す副操縦士の女性でした。
はじめて女性パイロットに出会ったかあちゃん、そのブリーフィング後、同乗していた先輩後輩に「Aさん、めちゃくちゃかっこいいですね。すごく的確な仕事をされるし、今日のフライト、Aさんなら安心ですね!!」と素人のように陰で騒いでしまったことを覚えています。
その後、フライトの休憩時間中に、女性チーフがかあちゃんに、こんな話をしてくれました。
「あいすかさん、Aさんは私の同期なの。彼女はこの会社で2人目の女性パイロットなの。最初の方は存じ上げないのだけど、いまでこそ、実機で飛んで仕事をしているけど、訓練期間中とか、大変だったのよ。
パイロットになるためには海外の訓練センターに1〜2年訓練生として滞在して寝食を共にして過ごすの。当初、お手洗いも男性用しかなかったし、教官も仲間もみんな男性。そんななか、女性一人で過ごすこと想像できる?男性用のトイレを彼女のために1カ所つぶして女性トイレにしたそうよ。まだまだ、苦労はたくさんあったと思う。そんな生活も乗り越えてパイロットの資格を取って、いまがあるの。
彼女がいてくれたから、下の世代から女性のパイロット志願者が増えてきていると私は思っているのよ」
チーフは誇らしげに、かあちゃんにこう語ってくれました。この話を聞いて、かあちゃんはものすごく自分が恥ずかしくなりました。その夜、自分自身に悶々として、かあちゃんは眠れませんでした。
「この気持ちは何なのだろう?」
自分が無知だったこともそうですが、何かきっかけがあれば、かあちゃんもパイロットを志したりしたのだろうか、いや、そもそも最初からパイロットは男性の仕事と思い込んでいたのではないか?
それなら、そういう考えになっているのは育った環境のせい?
田舎で情報がなかったから??
それも一理あるけれど、やはり一番はかあちゃん自身の中にジェンダーに関する意識の刷り込みがされていたから。
もともと、高校まで理系だったのに、数学とか化学とか、めちゃくちゃ得意だったのに、大学は理系を選択しなかった。男性ばかりのなかで4年間も勉強するのは、つまんなそう、っていう先入観。男性、女性を意識して就職活動をしたこと、そういうこれまでの行動を振り返って虚しさを感じてしまった夜でした。
マクロとミクロの視点をもって、まずは動いてみる
悶々としたあの日のことは、10年以上たった今でも思い出します。あの日、自分のなかに芽生えたジェンター意識は、それからのかあちゃんの行動を変えてくれました。
社会人生活の中で遭遇した葛藤を愚痴にとどめず声にして、しかるべきところへ届けるようにしました。
会社員だったころは労働組合を通じて会社に業務改善を提案したり、母親になってからは行政の市民委員になって健康系の会議に参加し、産後ケアの重要性を推進したりといった草の根活動もしてきました。
1年後には、産後ケアも行政の補助で受けられるようになっていました。
それはかあちゃんだけでなく、同じように動いた人たちがいたから。やはり、動かないと何も変わらないのです。
男性社会だった世界に飛び込み、その道を開拓してきてくれた最初の女性は、航空業界や政治の世界だけでなく、民間企業、地域活動、教育現場、様々な世界に必ずいます。
そして、後輩たちにそのうしろ姿を見せてくれるひと、私にとってはAさんでした。いま、私たちが当たり前のように享受していることは、かつては当たり前ではなかった。そのことに思いをはせたとき、胸に熱いものがこみ上げてきます。
偶然ですが、日本航空のHPで国際女性デーに向けた女性副操縦士Aki Mitsuiさんの記事を読みました。昔と比べればパイロットを目指す女性もめずらしくなくなってきました。
しかしながら、まだ圧倒的に男性と比べて女性パイロットはマイノリティです。Akiさんもこう述べています。
「訓練自体より(男性の中で女性が)1人という孤独のほうがつらかった。成田で友人や仲間が応援して送り出してくれたことを想うと、ギブアップできない、というプレッシャーがあった」と。
目の前の困りごとをひとつひとつ解決していくことも大切。
同時に、男性が多い場所・空間において、女性の比率をまずは上げる、ということも早急にすすめていかないといけない。
企業や政府が意思決定層に女性を起用するなど、制度面を改善するといった大きなマクロ視点での取り組みと、個人の困りごとを仲間に相談したり、町内会や地域単位のミクロの視点で実行すること。
トップダウンとボトムアップの両方からのアプローチが求められているのです。
自分らしく生きられる社会づくりに必要なこと
女性のみなさんに向けて書いているお手紙ですが、男女平等、ジェンダー意識は、男性にとっても同様の課題です。どの世代も目をそらして通り過ぎることはできない社会問題です。
かあちゃんは、たまたま娘と息子を授かりました。
2人とも私のお腹からでてきましたが、私の分身ではない。1人の人間で、社会の一員です。
女の子だから、男の子だから、という子育ての時代は終わりました。かあちゃんはジェンダーフリーな子育てをもっと推進していこうと考えています。
うちの息子はピンク星人です。ピンク大好き。洋服もピンク系、リュックもお弁当袋も全てピンクで、この1年間プレ保育へ通いました。子どもも大人も、自分が好きなものを選べばいい。そう思っています。
自分らしく生きられる社会には、どんな価値観も認め合える“ジェンダー平等”であるということが当たり前にならないといけない。そして、ひとりひとりのエンパワーメントを高めていくことも大切なことだと思っています。
エンパワーメントには、こころと身体の健康、知識・リテラシー、自律する力、共有・つながる力などがあります。地域や次世代にも波及していく力だとかあちゃんは考えています。
だからこそ、これからを生きる未来の大人たちであるみなさんへ、どんな日本を、社会を残していくのか、一緒に考えてもらえたらと思います。
今回、このテーマでみなさんへお手紙を書いてみて、かあちゃんもこれまでの胸の中の違和感を少し開放できたように思います。
最後まで読んできただき、ありがとうございました。
追伸
春はちょっと頑張りすぎてしまう人も多いかと思います。たまにはゆっくりコーヒーを飲んだり、お風呂やサウナに入ってのんびりしたり、身体を休めてくださいね。
次回は「ロールモデルって必要なの?」をテーマに書いてみようと思います。
かあちゃんより
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