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結婚するのが当たり前じゃない今、結婚式について考えてみた。

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!
すっかり秋めいた気候になってきましたね。

突然ですが、結婚式の多い時期はいつだと思いますか?
なんと1位が11月、2位が10月、3位が5月なのだそう。ジューンブライドという言葉があるので、6月だと思っていましたが、意外に秋なんですね。

結婚や結婚式をする・しない・できる・できないこと、それぞれに対しての意見があるように、結婚や結婚式には正しいあり方はないのかもしれません。
ですが、結婚式に参加すると、ルールやマナー、構成など、「”ふつう”はこういうもの」という概念が存在している気がするのです。

結婚式を開催する側・参加する側にしか見えないものがあるように、参加した1人として、結婚式がどうみえるのか?

今回は、「結婚式」に注目して考えてみました。


ふたりが大切にしているものとは?

結婚披露宴、通称「結婚式」は、ふたりが結婚を誓う儀式である”挙式”と、結婚したことをお披露目するためのパーティーである”披露宴”に分かれています。
みなさんは、披露宴に参加した時になにを感じましたか?

私は小さい頃、それは特別で幸せなキラキラしたものだと感じていました。
しかし、全体の流れがわかってから参加すると、見え方が少し変わっていたのです。
なぜなら、「なにを大切にしているか」が披露宴に表れているのかもしれないと感じたからです。

どんなテーマの披露宴なのか。祝辞を誰に頼むのか。
生い立ちの動画では、家族、性格、学生時代のエピソード、趣味など、どんな部分を映し出すのか。
ふたりの出会いの動画は、ストーリー風なのか、思い出写真のスライドショーなのか。
どんな人を呼び、どんなテーブルの配置になっているのか。
お色直しの退場は誰とするのか。飲み物のほとんどがアルコールで悲しんでいる子供を見たことがあるので、食べ物や飲み物の充実度も見てしまいます。

大変な準備を経て開催されたステキな祝いの場であると同時に、ふたりの大切な”なに”かがそこに表れているように思っていました。

しかし、結局その人どころか大切な”なに”かは、表面的にしか分からないのではないかと思うようになりました。
なぜなら、多くの疑問が自分の中から浮かび上がったからです。

披露宴への疑問


どうして、披露宴には決まった構成があるんだろう?
なぜ祝辞を頼む相手は、だいたい新郎が会社の上司で、新婦が何年ぶりかの恩師や学生時代の先輩なんだろう?

「主賓だから」という理由は分かりますが、なぜ上司や同僚が真ん中の席というマナーがあって、身近で支えてくれた人たちは端っこなんだろう?

披露宴で盛り上がっているのは分かりますが、なぜ友人たち・同僚たちの内輪ノリで楽しむのがメインのように見えてしまうんだろう?

これから始まるふたりの結婚生活が、結婚式ではなぜ想像できないんだろう?
生い立ちとふたりの出会いを動画にして見ていると、どうして結婚が幸せのゴールのように見えてくるんだろう?

いつの間にか、「どうして」「なぜ」「なんで」がたくさん自分の中に沸き上がっていました。
目の前で結婚するふたりは世界でたった1組しかいません。しかし、そこには一般的で世間的に幸せなふたりの模範が、マナーとルールで決められた構成によって映し出されているように見えたのです。

何度か披露宴(結婚式)に参加したことがあります。誰1人として同じ人間ではないので、ぜんぶ違う披露宴になっていました。
しかし、祝辞を頼む相手、一緒にお色直しをする人、手紙の内容が、なんだか同じように感じてしまったのです。
しかも、今はYouTubeや各SNSで結婚式の全体の動画や感動的な名場面などが投稿されているので、なおさらどこかで見たものという既視感がありました。

今の結婚式は、規模も方法も大きく変化しています。しかし、枠組みが同じなので、ふたりの大切な”なに”かよりも、世間一般の枠に当てはめられたものとして機能しているように、私には思えてしまったのでした。

参加側にとっての結婚式とは?

結婚式に参加した時、どんな場だと感じたのか気になって友人や親戚に聞いたことがあります。

  • 自分のことのように喜び、幸せになり、感動もできる場

  • 両親や祖父母にとっては、一生の思い出の場

  • 久しぶりに親戚に会って近況報告できる場

  • 普段できないような服装や髪型、メイクなどができる場

  • スピーチや余興をしたり、お祝い動画を作ったりする側にとっては発表会のような場

  • 何年も会っていない友人と再会できる同窓会みたいな場

  • 初めて会う人と交流できるかもしれない場

  • 豪華な食事が食べられる場

一人ひとりが違うように捉えながらも、幸せを感じられる場という共通の感想もありました。この質問の答えには、なんだかその人の価値観や人生観が表れているのかもしれないと思いました。

一方、ステキな場として結婚式を捉える人だけではなく、不満を抱える人もいます。
去年、「お世話になった方々から3万円とって貴重な休日の大半を潰させて…」という結婚式が理解できない理由が書かれたツイートが8.3万のいいねと多くの共感が得られ、話題になりました。

今や、「ご祝儀が高すぎる」とか「結婚式の意味が分からない」がSNSの鉄板ネタになりつつあるそうです。結婚式には時間もお金もかけたくない、それが現代の常識なのかもしれません。

効率的でないお祝い事には、繋がりがある

昔は、芸能人の豪華な結婚式がテレビで中継されていたと聞いたことがあります。今は、テレビではなくYouTubeで結婚式がネタとなって動画がつくられています。なので、結婚式に注目している人が多いことは変わっていないようにみえます。

テレビの場面や文章が切り取られて拡散され、映画が倍速で視聴される。
結婚式に、お金も時間もかけたくない。
それは見たいところだけ切り取り、時間を使わないために早送りするというムダを省いた効率性や利便性が重視されていることを表しているようです。
そして、その価値観に拍車をかけているのが、人と人とのつながりが希薄化していることだと思うのです。

今の家族のあり方、親戚同士の付き合い、友人たちとの関係、仕事上の人間関係…。全てネット上でつなごうと思えばできてしまいます。
結婚式にも令和の新様式として、バーチャル結婚式が登場しています。

これからさらに便利さや機能性を求めれば、結婚式を対面で行うこと自体に批判が生まれてくるかもしれません。
でもそれは結婚式だけでなく、全てのお祝い事に同じことがいえると思うのです。

人生の節目を祝うイベントを、どのくらい知っていますか?
妊娠5ヶ月目の戌の日に子宝を授かったことに感謝し、無事生まれてくることを祈る「帯祝い」があります。人の一生のお祝いは、なんと生まれる前から始まっているのです。

日本には、帯祝いから百寿までお祝い事が盛りだくさんで、その行事は歴史・文化・地域・食事とつながっています。

そう思うと、お祝いごとを煩わしく思うことは、人のつながりだけではなく歴史や文化などとのつながりもどんどん薄れさせるのではないかと、結婚式を通して考えさせられたのです。

結婚式から発見できた自分の考え

結婚式に行ったから、疑問が生まれました。
見たいもの、聞きたいことだけに集中できるバーチャル結婚式では、気づかなかったことかもと思うのです。

ネットの中では、検索・閲覧履歴などを基にして、自分の関心に合わせた情報や商品、ニュース、コミュニティが紹介され続けています。
自分が選んで、判断していると思っていても、いつの間にか各個人に特化したものしか表示されていない自分だけの世界になっています。

その世界には、自分が好きで肯定できる情報がほとんどです。違う意見は、すぐスクロールして見えなくできるし、攻撃もすることもできてしまいます。

ですが、実際に会ったり、話したりすると、スクロールしていたはずの意見を自分の中に落とし込むことができます。新しくて、自分とは違う発想や考えを知ることができるんです。
そして、自分の中にある考えによって、共感や違和感などさまざまな感情が生まれます。

結婚式で、ふたりの大切な”なに”かが見えるのかもしれない。そう思いましたが、逆に結婚式に参加して、さまざまな人を見て、話をして、聞いて、自分の考えを知ることができました。
意外にも、結婚式というのは他者を通じて自分を知る場なのかもしれませんね。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

Text by どさんこ大学生RUNA

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