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「人間らしさ」を失わないために。今こそ求められる、私たちの「想像する力」

こんにちは。さつきです。

秋も本格的になり、最近はだいぶ肌寒くなってきました。わたしは少し気が早いですが寒空の下で焼き芋を食べる日が楽しみです。

わたしは最近、ご近所さんのおばあちゃんと久しぶりに道ですれ違い、話しをする機会がありました。

「話しをする」と言っても、基本的にわたしは「話を聞く」担当なのですが、いつもおばあちゃんのお話しには「今のあなたに言いたいこと」というのがしっかりとあって、それを彼女の言葉で一生懸命に伝えてくれます。

例えば、わたしが高校で部活動に全力投球している頃には、「継続することの大切さ」について。大学受験をする時には、「若いうちに学ぶことの大切さ」について、という感じです。

こうして文字にしてみると、このおばあちゃんの伝えたい事はいつもとてもシンプルです。でも一つ一つの言葉を、「小柄なお年寄り」という見た目からは想像できないほどの情熱で語ってくれる姿には驚きを超えた感謝の気持ちさえ感じます。

ちなみに今回、将来に向けてひとつ道を選んだわたしに伝えてくれたのは、「やっぱり努力は大切」ということ。「今は分からない事でも、後になればすべてつながるから大丈夫よ」とほほえんで言ってくれた言葉は、未だ自分の選択に自信が持てないわたしをほっと安心させてくれました。

コロナ禍になる前にはこんなお話をする機会が多くあったため、この何気ないおしゃべりの時間について、特別に心に留めることはありませんでした。
でも、久しぶりに会ってみて、このおばあちゃんとの会話は今のわたしにとってとても必要な時間になっているのでは?と思ったのです。

縁側

「縁側」を失った現代の私たち

わたしは、このおばあちゃんとの会話を通して心地よさを感じているのだと気が付きました。
では、この安心感にも似た感情はどうして生まれてくるのでしょう?

まず言えるのは、このおばあちゃんとわたしの絶妙な距離感です。家族や親戚とは違う、ご近所さんという関係性。近すぎず遠すぎないから、けっこう個人的なこともすんなりと言ってしまえるし、逆に隠すこともできます。

これは、映画の「男はつらいよ」でいえば、寅さんの家や縁側にとなりの工場の社長がふらっとやってくるような気軽さ。そんな感じでわたしの生活の一部分に自然に立ち寄ってくれる。そのような関係だからなのかもしれません。

でも、この絶妙な距離感を保てる環境は、今の私たちの生活にどれくらい残っているのでしょうか。
マンション住まいの人が増える中、隣の家の人とすれ違いざまにあいさつをすることはあっても、わざわざ立ち止まって世間話をするなんてことはあまりないように思います。物理的な家同士の距離は一軒家に比べて限りなく近いのにも関わらず、です。

想像力

「想像力」が私たちに与えるもの

このような環境の変化によって、人と人との心の距離や世代を超えた人とのつながりはどんどん希薄になっているように思います。反対に同じ世代、同じ趣味を持つ人とのみ関わり、どんどんその限定的な環境の中に沈み込んでいくという人も増えているのではないかと感じます。

以前テレビの番組で、ある作家が「現代の社会に生きる私たちの多くに欠けているものがある。それは『想像力』だ」と言っていました。
ほんの少しの時間、他人の立場になって考えてみる。自分の「あたりまえ」が「あたりまえではない」人にとっては特権として見えているのかもしれないということを想像して言葉を発したり行動をしたりする。このような感覚が私たちから失われ始めているのではないかと考えさせられる言葉でした。

確かにこのような意見は、とても理想主義的に聴こえると思います。これができるならとっくに「平和」な世の中は実現しているだろうとか、時代に合わない楽観的な考え方だと感じることもあるかもしれません。

でも一方で、この「想像力を働かせる」というのは小学生の時にはすでに大切なこととして教えられ、私たち人間にとっては基本的なこと、のはずです。しかし、様々な人生経験を重ねた大人の方が不得手だと感じるほど、現代の社会は窮屈なものになっているのでしょうか?

人の温かさを失いたくないという根本的な想いは時代がどれだけ流れても変えられない、不変なものです。それは実際、他の人との関わりなしに人間は生活することができないからだとも言えます。
一見、私たちの生活は便利で生きやすくなっているようですが、実は人として生きることが難しくなっているのかもしれないと思わされます。
溢れかえる情報や変化の激しい人とのつながり。ネット社会に生きるうえではあたりまえとなった環境です。
自分と他者が切り離されているように見えることが多い今、「人と共に生きている」というよりも、「私と他の人が一緒に生きている」と表現する方がしっくりくる時代なのかもしれません。

だから、私たちはますます「人間らしさ」というものを失ってはいけないのだと思います。
自分で情報を選んだり発信したり、なにかと「個人の判断」で選択できることが増えている今。一人ひとりの考える力や想像する力が発揮されるべき余地はたくさんあるのではないでしょうか。

私たちは他者とのつながりによって成り立つ社会に生きている。それが時に面倒に感じる時もあるかもしれません。だけど、この煩わしさも前提としてどのように「他者と共存することができるのか」というのを考えながら生きるのがひとつの「人間らしさ」なのだと思います。
だから、自分という枠組みを超えて、他の人のために想像する力が必要。

こんな考えに至ったわたしは、もし「自分には理解できない」、「何でそうなるのか」と思った時、「何がその人をそうさせているのか」と物事の原因となることを意識的に考えてみたいと思っています。

少し立ち止まって物事に対する自分の見方を一度疑ってみる。そして想像する。
それは少し面倒くさい作業かもしれませんが、私たちが温もりを失わないためにはどうしても忘れてはいけないと思うのです。

Text by さつき(心の旅人さつき)

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