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よかれと思って言ったことが相手の地雷を踏むかもしれない

ゲームしすぎて仕事を除く他のなにもかもが進まなくなったのでついに封印した。さあ書くぞ…

『アサーティブ・コミュニケーション』読みました!

めちゃくちゃよかった!

学びが多くて深くて、これは絶対備忘録として学んだことを残しといたほうがよいなと思いました。すでにかなりの有名本ですが私からもシェアハピしたくnoteにします。

これはビジネス書の分類なので職場で活用されることが想定されているぽいのですが、生活では職場の人に限らず、家族・恋人・友人・子ども・お年寄り…と限りなく人と接しますので、この本の内容を抑えておいて損はないなと思いました。人という字は…読みやすさのためにも、主に学びになったことを目次にしますね。

①よかれと思って言ったことで相手を不快にさせるかもしれない
②自己受容具合が、そのままコミュニケーションに表れる
さいごに

もくじ

①よかれと思って言ったことで相手を不快にさせるかもしれない


本に出てきた例です。

産休明けの女性部下に対して、男性上司は「復帰したばかりだし、負荷の大きい仕事はしんどいだろう」と思い込み、本来なら出張してもらうところを、配慮のつもりで「今回は出張しなくていいからサポートに回ってくれ」という指示をしました。「産休明けはしんどいよね」と思い込み、よかれと思っての配慮でしたが、本人はそのように受け取らず「わたしは戦力外だってこと?ひどい」と傷ついた…という実例があったそうです。

女性は産休明けだろうとガンガン働きたかったんですよね。暗黙の了解(?)が事故に繋がった例です。ちなみにこのあと女性側がなんとか解決したい!と話し合いを持ちかけたところ、上司から「配慮のつもりだったんだよ、言葉足らずで勘違いさせてしまったね」と返答をもらい、誤解がとけたそうです。(モヤモヤを放っておかなかった女性が誠実で好き)

この例に限らず、この本では発言した側の意図と、受け取った側の印象のすれ違いがいくつも出てきます。これがめちゃくちゃ勉強になる。自分の中の「普通」と相手の中の「普通」が同じだと思ったら地雷踏むことになるぞ!という感じでしょうか。想像力をもて!!!!!!そういう感じです(違います)

ともかく、自分の思った通りには伝わらないんだということ。なので、勘違いされないような伝え方を磨いていきたいですね。ただ、伝える側がどんなに頑張ったとしても、受け取る側に問題がある場合もあるため、無理なときは無理だけど(極端にネガティブな人、異常なクレーマーなど)、みたいに私は理解しました。そこはあきらめも要るよって書いてくれてる現実思考本です。ありがたい。

②自己受容具合が、そのままコミュニケーションに表れる

次です。

自己受容とかの前に、「アサーティブ・コミュニケーション」とはそもそもなんなのか?について、今さらながら…比較対象があると理解がしやすかったので、長くなりますが書いてみます。

筆者は、自己表現には3つあり、その中の一つに「アサーティブな自己表現」があるといっています。こんな感じ↓

●3つの自己表現
1:アサーティブな自己表現
⇒お互いの主張や立場を大切にした自己表現
2:攻撃的な自己表現
⇒相手を抑えて自分の言いたいことを通す自己表現
3:非主張的な自己表現
⇒自分を抑えて相手を立てる自己表現

p44より引用

ひとつひとつ説明してゆきます。

「攻撃的な自己表現」は、自分の言いたいことを相手に一方的に押し付けたり、思いどおりにならなければ「いいからやれ!」と怒鳴ったりするようなコミュニケーション方法のことです。なぜそんなことをするかというと、自分の思いどおりに相手を論破、コントロールすることがゴールだからです。

「非主張的な自己表現」は、相手からしたら回りくどい上に何が言いたいのかサッパリ分からん…と思われ、イライラされるコミュニケーション方法です。本人は「こんなことを言ったら嫌われてしまうかも…」と考えてしまい、相手に意見を言うときに、嫌われないことをゴールにしてしまうため起こります。

「アサーティブな自己表現」は、上2つとは違います。相手をねじ伏せるのが目的でもなければ、「意見を伝えたいんだか伝えたくないんだか、意図がよくわからん!」とも思われないコミュニケーション方法です。相手に対して上からでも下からでもなく、また上下関係があろうとなかろうと、心の中で相手と対等な立場に立って、相手の主張も大切にしつつ、自分の主張もしっかりします。「自分の意見を伝える」が目的です。

ここからが本題❗️❗️
この3つの自己表現を「自己受容できてる具合」の観点で見てみると…↓

攻撃的な自己表現をする人は、かりそめの強さを出していますが、自分の弱さを防御するために攻撃をしてきます。ありのままの自分を受け入れておらず、本当は強いんだ!と偽っており、自己受容度が低いといえます。Twitterの終わりなき論争(という体のただの論破ゲーム)をやってる人々を見てもわかるようにです。ちなみに今日私もそのような攻撃的コメントを受け取ったのですが、なぜ素性の知らない相手を論破してやろうという思考回路になるのか謎すぎて「お前のこと誰が好きなん」になりました。まあよいです。

話を戻して、非主張的な自己表現に関しても、自己受容ができていないのはわかりやすいと思います。「こんなこと言っていいのかな…」と思う時点で、自己受容度が低い。

でも、このどちらでもないアサーティブな自己表現をやろうと思ったら、自己受容ができていることが必要というのはなんとなく伝わるかと思います。相手に対して、上からでもなく下からでもなく、対等にコミュニケーションをしようと思ったら、自己受容できていることが前提になる。自己受容というか、つまりは自分への信頼です。本では「アサーティブになるための準備」と表現されています。

また、意見を伝える際には、相手への信頼も必要だとも。「この人はきっとわかってくれる」と信じて伝えるのと、そうでないのとでは確かに天と地ほどの差がありそう。なので、自分への信頼と、相手への信頼の両方を持って、コミュニケーションに臨むのがよいということになりますね。それはそうだ。

自己受容に話を戻して、自分を受け入れられてなくて、他人のことが受け入れられますか?というのも書かれていて、確かに…………でした。これで思い出すのは、幼少期になんらかの要因のために甘えの欲求が満たされないまま大人になった人は、感情を自由に表現する子どもを見ると「クソガキが!」という感情になるというやつです。しかし、親に受け入れられなかったとしても、自分ぐらいは自分を許してあげないと、逆にしんどいというのはあると思います。厳しいのですが…(アダルトチルドレンとかの話になってますね)

自分の中に湧いてきた自然な感情を、自分一人くらいは認めてあげる。それが生きるのを楽にしてくれるので。親が憎い、なんで産んだんだよ、そういう醜い感情も自分の一部だと受け入れていく過程は重要です。自分の優秀な部分だけをちぎって「私っていい感じでしょ」というのは自己肯定じゃなくて自己有用感の方であり、そうでなく醜い部分も受け入れて「こんなとこもあるけど、私は私で大丈夫」が自己肯定です。

待て、なんの話だ…ア、アサーティブの話か….

さいごに


いかがだったでしょうか?(アフィブログの決まり文句)

私の中で特に勉強になったところのピックアップと掘り下げでした。
いつか読書感想文(?)を書いてみたいと思っていて、ようやく!あと、読み終わってから1日2日のうちに感想を書き切るのが新鮮で理想だなと思っていて、それもできました。嬉しい。

コミュニケーションは「伝える」「受け取る」の両方ともが大事で、両方練習がいると思います。※素で才能ある人以外は

もともと私は両方が偏差値氷点下でして、「伝える」はド・非主張的でしたし、「受け取る」はネガティブが過ぎて目も当てられませんでした。でも、カウンセリングなど周りの支え+自分なりの努力で自己受容度が高まり、それにともなって伝える力も上がったし、受け取り方には悪いクセがあるなという気づきも生まれていきました。ようはコミュニケーションが徐々に上達していきました。そこでさらにこの『アサーティブ・コミュニケーション』と出会ってしまうという運命。私のコミュニケーション能力は、とどまることを知らないーーーーーーーー

寝ます

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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