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死に場所を定めるという悦楽

昨日姪っ子の誕生を祝った舌の根も乾かぬうちにこんなタイトルの記事を書いてどう思われるだろうか。
しかし私はいたって真面目に、健全に、それとこれとは全く別の事象として、これを書いている。
今書きたいから書いている。



盆らしく、生まれ育った実家に帰っていた。
私の故郷はそれなりに田舎だ。最寄り駅は車で30分、ハンバーガー屋も30分、コンビニなら15分。四方八方を山に囲まれ、野生動物と共存し被害を受け流しながら過ごす。
近所の公園に行けば野生の鹿の糞がたまっているような、珍しくない頻度で車に轢かれた猪や鹿が道路の端に転がっているような、秋頃には必ず熊の目撃情報が出て注意喚起がされるような、そんな田舎だ。

家も。縁側や座敷のある鯱の乗った瓦の日本家屋。母屋に離れに土蔵造りの倉と、家の裏には畑と、幅1m程度の共有の水路と、裏山に墓。畑の野菜が鹿猪に食われるのは日常茶飯事、熊のでかい糞が畑の横にされていたり、他所の放し飼いの犬に狩られた鹿の体が裏に転がっていたこともあった。そんな家。
実家に住んでいる母と兄のことはそれほど好きではないけれど、この家とこの土地のことはそれなりに好きで、休暇の度に帰っている。


今回の帰省ではひとつ決めたことがあった。村に1つある神社に参ろうと決めていた。

特にその神社に信仰心があるわけではなく、その神社の神様の名前すら未だに覚える気のない態度だけど、民家から少し離れた山の中にあるその神社の、現代と切り離されたようなその神秘的な場、その空気が、昔からとても好きだったから。

神社は、山の麓に入り口がある。麓の鳥居から山に入り、石階段を登った先に社がある。
本当は1人くらい共を連れて2人以上で行きたかったけれど、めぼしい人が捕まらず1人で入山。
この山は人の手入れなど入っていないので、草木は自由に生い茂って陰をつくる。少し湿った土と苔むした道。
相変わらず木々が草花が綺麗だった。青々とのびのびと自由に繁る一面の緑。入口の鳥居を堺に人の営みから切り離されるこの場所は本当に貴重だと思う。


しかし、
蚊がうるさかった。さあ獲物を見つけたぞと言わんばかりに、一斉に私に群がって来ているのがわかるほどの音。不快な音。振りほどこうが関係ない、鳴り止まない無数の羽音。

それから、
道に苔を抉った箇所があった。点々と、複数。何が抉るのか、人ではない、参る頻度もそもそも参る人数も少ないから。人間でないなら何か、動物だ。小さな足跡ではなかった、つまりは熊かと。

さっきまで呑気に歩いていたというのに、それを見つけた途端一気に怖くなって引き返した。急いで。なりふり構わずに。
きっと何もいなかったけれど、身の危険を感じて、走って、逃げた。



この神社は綺麗で、そして畏怖の念に充ちている。
人の手がほとんど入っていない、人が支配していないこの場所は、
偉大で、異様で、怖くて、崇めたいと思わせる。

人間社会から隔離されたこの場所が、私は堪らなく好きだ。



逃げる瞬間、少し死を想像した。想像したからこそ逃げた。
それから、
自分が死ぬ時は、ここで死にたいと思った。
この神社を己の死に場所にしたいと思ったんだ。


終に人生に飽いた時、不可逆の脳の老いを知った時、身体の終焉を悟った時、
私はこの山に入り、神社を感じながら、この自然に還りたい。
ありきたりな死に様なんて真っ平ごめんだ。自ら試みた誰かのように、小さな部屋のドアノブに吊られて死ぬなんてごめんだ。父のように、蛍光灯の部屋で大量の管に繋がれ管理され意識なく心臓だけ動かされて機械に左右される最期なんてごめんだ。


実りのある季節ならば、
きっと野生の動物と対峙し負けて息絶えるだろう。あるいは熱に茹だって吐いて。飢餓で干からびて。
痛いか。苦しいか。腐るか。
ならば冬に入ろう。
雪の中を掻き分け進んで、凍えて、息を引き取ろう。
畏怖の象徴、その社に身体を預けて、眠るように、熱を手放そう。
死ぬまでの間、己の選んだ死に際に、私は何を考えるだろう。遺書と共に最後の詩でも書いて残そうか。



自分の決めた時に、自分の決めた場所で、自分の決めた様に、死にたい。
きっと死に場所を定められることは素晴らしいことだ。自分の終わりすらも決められる、そんなに楽しいことはないはずだ。

この私の妄想がいつか現実になる時が来るならば、
その時は誰にも見つからず自由に死ねますように。




しかしなんだ、
最近はこういうことを考えすぎている。
私の日常というと毎日定時に出社し、会社員として日々似たような仕事をこなして退社、帰宅後に飯食って寝る、土日はだらだら。そういう日々なのに。
自分の感情とはいえ、あんまり深く掘るのはそれなりに消耗するものだ。やりすぎるといよいよ自立していられなくなりそうだから、ほどほどに。

でもなんて楽しいんだろう。


麓の鳥居
神社への入り口

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