産直EC議論から学んだ発信することの「怖さ」と「可能性」

絵描き農家のまえやまです。

最近Twitterで議論が活発だった産直ECや無農薬表記について。関連のツイートや本などを読んで勉強して、考えたことを夫に話して、意見交換をしてみました。

それも踏まえて、今回Twitter上で巻き起こった産直ECや無農薬表記についての議論(以下、産直EC議論)から私が学んだことは、発信することの「怖さ」と「可能性」です。

夫との意見交換では、私の意見を夫に話す→夫が私の意見について意見を言う→私が言いたいことはそうじゃないんだけど…の繰り返しでした。

細かく意味を補足できる対話ですらこうなのですから、Twitterなどで不特定多数の人に自分の意見を発信する怖さを改めて感じました。

実際にTwitter上でも、議論の行き違いや、暴言に近い強い言葉を使用したツイートもいくつか見受けられました。

しかし、だからと言って、今後発信することをやめようとは思いませんでした。
産直EC議論から、私は発信することの怖さを学び、それと同時にその可能性についても知ることができたからです。

「遅いインターネット」の著者、宇野常寛さんは、「書く」という行為は「叩いていいとされた人に石を投げてスッキリして、自分の人生をごまかすのではなく、自分の考えや体験を言語化して発信することによって、生産的な社会活動を拡大させる」ことに意味があると述べています。※1


今回の産直EC議論の中で生まれた複数名の方々の発信は、まさに農業界においての「生産的な社会活動を拡大させる」行為だったと思います。

彼らの発信は、多くの人々の発言と行動を促しました。

私はTwitter上で、発信とそれに伴った交流によって「新しい価値観や思想が構築されていく過程」を見ることができたように感じました。

このことから私は、「今回の議論に真剣に向き合っていた彼らの存在が、農業や社会の明るい未来をつくっていく」という確信に近い希望を抱くと同時に、発信がもつ大きな可能性を知りました。

自分の意見を発信すると、意見の相違や意図せず生まれた誤解から、時には石を投げつけられることがあります。

そんなことは物ともせず、強い意志や信念の下に立ち上がった人々の声が、周囲に様々な気づきや意見や行動を促し、世界を少しずつ変えてきました。

正解のない議論の中で、「誰もが納得する答え」を導き出すことは不可能ですが、互いの意見を尊重し、多様性を認め合うことで、「誰も取り残されない社会」を作ることは可能だと思っています。

それを実現するためには、多くの声が必要です。
「誰かを責める声」ではなく「自分がどうなりたいかを発信する声」をより多く集め、それぞれの声を実現するためにはどうすればいいかをみんなで考え、行動していくことが必要です。

声を集める一番の近道は、まず自分が声を上げること。
誤解を恐れず、発信する。
「農業の未来のために」
「豊かな社会のために」
「自分自身の成長のために」
産直EC議論から学んだ発信の可能性を信じ、私は私のできることを、コツコツ積み上げていきたいと思います。

※1宇野常寛『「良質な発信」が世界を少しずつ豊かにする』(https://newspicks.com/news/4687204?utm_medium=urlshare&utm_source=newspicks&invoker=np_urlshare_uid4992671&utm_campaign=np_urlshare)

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