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狩野永徳 檜図

僕は学生時代、日本画をやってました。
やってた、というのは、今はちょっとお休み中だから。

今は、思いっきりカッコ良くいうと、電子書籍の編集、コンテンツの企画や制作、といったことを中心にしてフリーで活動する、クリエイティヴディレクター的なことをやっています。

でも、ここでは、それら仕事のこととは関係なく、自分のルーツである美術、特に日本画を中心として、「日本人の美術」のことをツラツラと書いていくことにしようと思います。


というのも、日本画に関しては、かれこれ十年以上、色々と情熱をかけて勉強とかして、大学院までいってみたけど、

日本人の美術に関して(自分の思う)大事なこととか、もっと本質的なことって誰も教えてくれなかったなー、というか、そもそも誰も話してなかったよなー、、、と、ずっと思ってきていて、「ちょっと言葉にしてみたいな」
とここ最近、強く思うようになってきていたからです。

※ 自分が思う「日本の美術に関しての大事なこと」というのがどんなことか、という説明は追々していきたいと思います。


そんな時に友人を通じてこの、noteというものの存在を教えてもらいました。

今までブログとかはやる気になれなかったけど、のぞいて見たら楽しそうなこと発信してる人がたくさんいる。じゃあ、今の自分の分かる範囲でいいから、やってみようかな、と思えたのは、自分にとっては嬉しいことでした。

見るのも楽しみだし、こんな素敵な人たちがなんかの拍子に自分の発信とかを見てくれたりとかするのかも?
とか思えて、ちょっとだけワクワクしてきたんだと思います。

と、いうことで、ご覧いただけているみなさま、今後とも、宜しくお願いします。


今日の日本画

伝 狩野永徳 檜図 1590年(天正18年) 安土桃山時代 国宝 
東京国立博物館蔵

記念すべき初回にご紹介するのは、狩野永徳の檜図です。

日本画の持つイメージの一つとして有名な「狩野派」。その代表的な絵師として有名な狩野永徳だけど、その実、どんな作品があって、なにが偉大なのか、というところは、今の日本では「ダヴィンチ」や「ピカソ」ほど、一般的に語られていないように感じます。

狩野永徳と僕の出会いは幼少期にさかのぼる。子どもの頃、生命保険屋さんのサービスで配られた姓名判断のシートの「同じ総格数の有名人」という欄に狩野永徳・俵屋宗達という名前があったのだ。

まだ日本画を始めるどころか、絵を描くということを好きでもなかった小学校低学年?だった自分は「誰だよ、これ」と思ったものでした。「もっとカッコいい俳優とかスポーツ選手が良かったー」という感じです。今思えば、日本美術の超2大巨匠と同じ総格数なのだから、光栄という他ない。


話をもどすと、一般的にその素晴らしさが語られていない理由としては、いくつか思い当たります。

中でも主観ではなく事実を上げるとしたら、永徳の生涯の仕事の大半であり、最もエポックメイキングなものだったとされる「安土城」が、今はもう存在していない、ということです。時の権力者に愛されたが故に、権力の移り変わりと共に消えてしまった、ということなのでしょう。

そんな永徳なので、残念ながら、間違いなく「これぞ永徳!!」といえる作品の現存数は少ない。

(今回紹介する作品も「伝・狩野永徳」。伝、というのは「その人が描いたと思われます」という意味で、大抵の場合は「言い伝えられていて、確かにその人っぽい作品だけど、まあ、ぶっちゃけ9割の確率で違うと思う。でも資料としては貴重だし、もしかしてひょっとする可能性もあるから大事にしようね」ということで「伝」がつけられる。でもこの場合は作品の力が尋常でないことや、作品の特徴が「永徳の作風」と伝わる伝承に当てはまることなどから、証明できないだけで、おそらく永徳のものであろう、と思われていて、国宝の指定もかかっているのである。)

その中から今回この「檜図」を選んだのは、僕が思う永徳の魅力を説明しようとした時、この画が最も分かりやすく説明できると思ったし、僕の思う「絵画表現の本質」をとっても良く形にしている、と思ったからです。


で、この画の何がそんなに良いと思ったかというと、なにしろ、この、檜の木の幹の「のたうちっぷり」が爽快だと思う。

とはいえ、「この(のたうちっぷり)が素晴らしい!」なんていわれてもピンとこないと思うので少し例えを試みてみると。


他の、日本画における樹木の表現と見比べた場合、

他がコクのある「コーンスープ」だとしたら、この永徳の檜の画は、ダシの効いた赤味噌の味噌汁のような、五臓六腑にパンチを食らわせるような、内臓に響くような力強い味わい。

音楽で言えばヒットチャートのポップスではなく、むしろ北島サブちゃんの演歌のごとく、コブシの効いたもの。

ボクシングでいうと、薬師寺保栄の打つ「鋭いジャブ」というよりは、マイクタイソンの放つ「重いフック」のような感じなのです。

僕にとっては。笑


「スッ」と真直ぐ伸びた、凛とした美しさよりも、太くて龍が悶え苦しむかのような幹の構図が、爆発しそうなエネルギーを感じさせて、なんとも言えない力強さを感じさせる、というのが僕の感想なのです。

決して「絵の具をぶちまける」とかではない、確かな技術とともに、静かに、その情念を具体的な形に落とし込んだ、この表現こそ、僕の思う「絵画表現の本質」の一つのような気がしていて、好きなのです。

この、「力強く悶える」感じの作例は他の絵師には例があまりなくて、永徳の評判や才能を示す一つの要素になってるように感じます。というのも、これは、昔からの絵師の存在と作風を伝える17世紀末の画家伝「本朝画史」で、永徳の名を伝えると共に、その作風について、「木々の枝ぶりは化け物みたいにうねってて、まさに怪々奇々(かいかいきき)な感じなんだよねー」と評されているからです。

ということで、この絵はまさに、その評伝の通りの姿を見られる貴重な作でもあります。



以上、少し長くなりましたので、今回はここまで。「永徳の良さ」に関しては、また別の作品でも取り上げて紹介していきたいと思います。

ちなみに、日本画出身の現代アーティスト村上隆さんの会社の名前が「カイカイキキ」ですが、その由来が確か、ここからだったような。



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