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覚悟の足りない僕が、無謀にも本気の世界に飛び込んできた話

日本で新型コロナウイルス感染の第3波が猛威を振るう中、僕は無謀にもとあるカンファレンスに参加させていただいた。その感想をここに書き記したい。

1.カンファレンスWithコロナの新しいプロトタイプ

一言で言おう。すごかった。
今までに参加したオンラインでの発表会の中で一番リアルな会場で発表している感じに近いものを得られた。

見事に作られたヴァーチャル空間、そこに落とす自分のアバター、飛び交う議論。

何としてでもやってやろう、という開発者・運営者の熱意がヒシヒシと伝わってきた。

おそらく現段階では、これが最もリアルに近い発表形式だろうと思われる。
そりゃあ使ってれば、こういう機能が欲しいとか、これできたらいいのに、なんてものは出てくる。でも、それは自分で完ぺきに作り上げない限り出てくるもの。いくら言ったってしょうがない。

そんなことよりも、こんな素晴らしい発表の場を設計・運営し、そこに招待していただいた運営の方々にこの場を借りて感謝申し上げたい。

2.圧倒的に足りなかった覚悟

そんな素晴らしい場所に招待していただいたにも関わらず、僕は全然自分を主張することができなかった。

言い訳にしかならないが、理由を挙げるとすれば
「オンラインとリアルのギャップ」
と表現すべきだろう。

まず、相手に話しかけにくい。
相手の顔が見えない。
自分のポスターを見ているのか、そうじゃないのか分からない。
いろんな音が混ざり、会話を始めにくい。
今まで僕が参加してきたポスターセッションは人がバンバン来る、休みの方が少ない、みたいなものばかりだったので、そういう面でも躊躇してしまった。

個人的には顔が見えているZoomですら複数人いると話しかけるのを躊躇するレベルだ。さすがにこれは圧倒的に恥の縛りがきつすぎるので、何とかしないといけないことの一つ。

そしてかろうじて発表にこぎつけたとしても、
どこを向けばいいのか分からない。
(視線操作が割と大変で調整が難しい。)
相手のリアクションが見えない。

リアルでのポスターセッションにしっかり適応していたコミュ障気味の僕は見事にオンラインの壁に阻まれました。

あと、これは単純に自分の修練不足と言いますか。
英語のリスニング、スピーキングが圧倒的に追いついてない。

今回はがっつりアジア圏からも発表が来てました。(他の地域からも来てたかもしれない。)
ポスターを見に来る人の名前を見てると、明らかに日本人ではないんです。
英語で発表の準備はしていましたが、いざ話しかけるとなると
「どう話しかければいいの?」となり、うだうだしていると結局どこかに行ってしまう。

自分の英会話力のなさが、とにかく悔しくて情けなくて、本当に英語頑張ろうって思った瞬間だった。

3.研究者であることに対する本気の覚悟

繋がる内容ではあるが、今回の経験から、僕は研究をやっておきながら、
「自分が研究者の端くれである」
ことの自覚が足りなかったように感じた。

それを感じたのは、ポスターセッションを見に来て下さったときの事。

ある方は
「その研究は今後どのようなことに応用するために行ったのですか?」

別の方は
「この研究を中学生に説明するならどう説明しますか?」

正直に答えよう。前者への答えについて、ある程度の構想はあったが、2つとも自分での答えは用意できてなかった。

上手く答えられない悔しさや、黙ってしまった沈黙が
「あなたは研究者として研究をしていて、その成果を研究者としてここに発表しに来ているんでしょう?」
と言われているような気がしてならなかった。

いくら末端の末端の末端の研究者であったとしても、研究者として研究を行うならば、研究者として研究を伝えるのであれば、全力で研究に取り組み、そしてそれをわかりやすく伝えられる準備をしなければならない。

上記のような研究者としての当たり前の覚悟が足りてなかったことを明確に突き付けられたように僕は感じた。

それは、僕を1人の高校生ではなく、1人の研究者として見てくださり、意見をくださったからこそ感じることができたと思う。
そして、そういう研究者は常に本気なのだ。本気の研究者たちが集まるのが、こういうカンファレンスなんだと感じた。

4.終わりに

少なくとも、高校2年の間は研究を行う。
大学に進学すれば、研究者として生きていくことを夢見ている。

そのような者として、今回の経験は自分を大きく変える出来事の一つになると思っている。

少なくとも何かに全力を捧げる者として、やるべきことを果たす最低限の覚悟を持ち、研究に向き合いたいと思う。

そして、機会が有れば、また同じような場所で、今度は自分を全開に主張する発表ができるように、今後努力を重ねていきたいと思う。