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カイコと暮せば③

 前回、カイコの育児不安に刈られた俺。

  ①から読みたい方はこちら  ↓↓↓↓ 
https://note.com/eita2020/n/nf67cc01115b2

 スマホで調べていく内に、俺はヤツらの衝撃の生態を知る事となった。

カイコ(チョウ目、カイコガ科)

 調べによると、ヤツらはより効率的に美しい絹糸を生産するためだけに特化すべく品種改良され、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物……らしい。なんだか背筋が冷たくなるような、人間の業を感じる表現にまず驚かされる。
『野生回帰能力を完全に失っている』ため、たとえ餌がなくなったとしてもそこから逃げることはない。
 大きな繭を作るため改良を重ね体を大きくした結果、成虫(蛾)になって羽根が生えたとて空も飛べず、樹木にしがみつく脚力さえないのだという。
 さらに驚くべきことに、彼ら成虫には蜜を摂取するための『口』がない。
 繭から生まれ出でたその瞬間から、子孫を残すことのみに全霊を捧げ、卵を産むと飢餓によって2~3日で死ぬ。

 それでも成虫になれる者はまだ幸せだ。
ほぼ全ての繭は、絹糸を採取するために飼育されている。成虫になったカイコガが繭を食い破って羽化してしまうと、その繭はたちまち製品価値を失う。
 繭はただ一本の糸で完成しているため成虫になって繭から出てきてしまうと、繭を成虫の体液で汚してしまうだけではなく折角の絹糸が食いちぎられてしまい、長い絹糸がとれなくなってしまうのだ。
  
 そのため、美しい繭の中で眠りについたサナギたちは成虫になることは許されず、繭ごと熱湯で茹でられ絹糸を献上した挙げ句、亡骸は養殖魚の餌として売られるらしい。
 
 なんだこの生き様は。
 カイコってなんなのだ。
 彼らの命ってなんなんだ。

 別に俺は、だからといって動物愛護がどうだとか、動物虐待がどうだとか、そんな事が言いたいんじゃない。
 養蚕は当時、水持ちの悪いこの地域で人々が生きて行くために、なくてはならない産業だったはずだ。たくさんの人間がその尊い命の上に自身が生かされていることを知っていたからこそ、この虫を『おカイコさま』と神にも並ぶかのような敬称で呼ぶのだろう。
    
 俺はただただその命の潔さに、胸を打たれたのだ。

これは俺の勝手な思い込みでしかないのだが。
ただただ真摯な気持ちで、彼女達から美しい繭を取り出すことでその命をまっとうさせてあげなければならない、と思ったのだ。
 彼女達の死後、残された美しい繭玉こそが彼らのアイデンティティであり、生きた証なのだと。
芸術家が短い生涯を燃やし珠玉の作品をたったひとつだけ世に産み落とすかの如く、それはあまりにも尊い生涯ではないか。

 俺は今日調べた生態の全てを、学校から帰ってきたイトに余す事無く伝えた。
 小学3年生に難しい事はわからないと思うかもしれないが、大人が本気で情熱を傾けた時、子供は意外なほどハートで理解できるのだ。あなどってはいけない。
  
 その数日後から、イトは5匹のカイコに名前を付けて飼育に参加し始めた。いい傾向ではあったけど、一方で俺は家畜に名前を付けるリスクを危惧し始めていた。最終的に自ら手を下さねばならない事実とその手段について、まだイトには伝えあぐねていたのだ。
 
 こうして彼女達は俺とイトの元で、来る日も来る日も桑をはみ、脱皮を繰り返し、すくすくと育っていった。


次回『カイコと暮らせば④』 
https://note.com/eita2020/n/n06f5d8ec3b5f

そして時は満ちる……。

(2019年ブログ掲載作品)