保育士の給料を月50万にしたい

私は保育士だった。
だったと言うことは、今は違う。
やめた理由の一つとして
わかってはいたが労働の対価としての給料が低い。
低すぎて疲れてやめた。
簡単に言うと、やってらんない。
次はもっと割のいい仕事がしたい。

じゃあ何をするか?
色々考えた。
でもどれも今の自分にはピンとこない。
仕事にやりがいや楽しさを求めなければなんだっていいのかもしれない。

けれどやっぱり保育の仕事は好きなのだ。
子どもたちの成長を一緒に見届けることができるのは、他のどの仕事よりも楽しくて素敵なことだと思う。

働くということは、自分の生活を豊かにするためにあると思っている。
社会の一員として頑張った分、ちょっといいものを食べよう、今は難しいが行きたいところに行こう、前から欲しかった服を買おう、好きなことやものにお金を使おう、などなど。

しかし保育士という仕事は、先に述べた子どもの成長を見届けるために、膨大な仕事量をこなさなければならない。
勤務時間に終わらなければ当然終わるまで仕事をするのだが、残業代はない。
そして、時給換算すると悲しくなる給料なのでその計算はしない方がいいと先輩に言われていた。

シンプルに、おかしくないか?

なぜ、自分の時間や、大切な人との時間を犠牲にして、身も心も削って、なのに得られる対価が少ない保育士という仕事をしているのか。

子どもたちはもちろん可愛い。
長く時間を共にすればお金には変えられない多くのものを得られる。
それは断言する。(それについてはまた今度)

けれども可愛い、この子たちのために頑張ろう!と心の底から思うためには、自分の心や身体に余裕があってこそ生まれるものだと私は思う。
その余裕を生むためにも、お金は必要なのだ。
金金言い過ぎだと思うかもしれないけど。

朝から準備して、シフトの違う職員と時間のない中コミュニケーションをとって、
保育中は子どもの安全に配慮し、頭の中で次の段取りを見据えて目の前の子たちに全力で関わる。
昼食は5分でかきこみ、休憩時間に連絡帳や日誌を書き、また午後の保育が始まり、保護者対応や行事の準備をして、計画をたてて…。
気づいたらとっくにスーパーは閉まってる時間にやっと帰宅。
お風呂に入る気力もなく倒れるように寝る毎日。
休みの日にも子どもたちのことを考える。
これでもだいぶ要約したが、これだけ頑張っているのに、それに見合う対価がもらえなかったら、そしてお金を使う余裕がなかったら、一体どうやって自分の心と身体の余裕を作るのだろう。
一体どうやってひとりでも多くの子どもたちの成長を見届けるのだろう。


だから、保育士の給料を月50万にしたい。

なぜ月50万なのか。
それはインパクトのある数字だからだ。

保育士=安月給
という概念を変えたい。

もちろん、その為には今までと同じやり方ではいけないと思う。

ここからは私の想像でしかないのだが、荒削りでも形にすることで何か変わるかもしれない!
と、新年のテンションで書いてみる。
もっとこうしたらいいよ、これならできそう、もうそういうサービス始まってるよ、など
なんでもいいのでポジティブなアイディアが欲しい。
そうだったらいいのにな、が実現したらいいなと思う。

・保育士自体の価値を高める

・企業と連携して利益の一部を保育士や施設側に回してもらう(企業型保育がそうなのかも)

・保育の中にも利益を生み出すシステムを作る

・高い能力や知識を持った保育士を育成するために保育士資格のとれる学校の難易度を上げる
(イメージは弁護士)

・事務処理や、システムなどを見直し、効率化や、働きやすい環境を作る。

・保育士自体の価値を高める

少子高齢化が進み、企業ではAIを導入し始めている。
ということは、人が沢山いらない仕事が出てくるはずだ。
その中で保育の仕事は生身の人と人との関わりが必要不可欠なので、どう頑張っても完全なAI化はしないだろう。
ということは人材価値がものすごく高くなってもいいはずだと考える。
保育の道を考える人が増えてもいいと思うのだ。
しかし今のままでは成り手は増えるとは思わない。

そこで

・企業と連携して利益の一部を保育士や施設側に回してもらう

これは企業型保育のイメージが近いかと思うが、企業で得た利益を回してもらうことで、保育士の給料の底上げを狙う。
ただ、利益追求だけでなく、保育の質も確保したい。
個人的にはまだまだ企業型保育はやれることがあると感じている。
まぁ、企業型保育園で働いたことはないのだが。

・保育の中にも利益を生み出すシステムを作る

保育の仕事がなぜ安月給なのか、それは利益を生み出しにくいシステムに問題があると感じている。
保育士は保母、保父と呼ばれていた時代があり、家庭ですることを代わりにする、という背景がある。

そうなると、国家資格を持って、プロとして子どもたちの成長に必要なことを様々なアプローチでしているのに、目に見える方法や成果として表れにくいために流れてしまう。
なぜなら一見なんてことない、普通で、当たり前のこととして流れてしまうのだ。

子どもと遊んでるだけでいいねー!
と言われることもある。
そして私も学生の頃は
子どもと遊んでるだけでお金もらえてラッキー!
と思っていた。
保育士はそういうイメージなのだ。

更に家庭の延長として見られているので対価は必要ないとも思われているかもしれない。(家事育児に給料が発生しないことと同じように…。)

前置きが長くなってしまったが、
一旦見直してみたい。

経験やスキルを生かして子どもとの関わりの方法やコツをYouTubeやコラムなどで有料配信したり、
お家でできる製作キットを作成して売ったり。
YouTubeで保育士が配信しているのは見たことがある。あれはフリーの保育士なのだろうか。所属園から発信しているのだろうか。
minneにも壁面製作や手作りおもちゃなどの販売を目にする。

なにも現場に立つ保育士が全部やる必要はない。
分ければいいと思う。
現場の子どもを守る保育士がいて、
配信や、キットを作る保育士がいて、
キットはもしかしたら機械化できるかもしれないし、コラムづくりは文章が得意なライターに依頼することもできる。

ここで企業と連携すればいい感じになるのではないかと思っている。

とにかく現場には現場のやることでいっぱいになっているので、新しいものを取り入れる発想すらなかった。だから企業などの、保育をビジネスモデルとして考える外部の力が必要だと私は思う。

・高い能力や知識を持った保育士を育成するために保育士資格のとれる学校の難易度を上げる
(イメージは弁護士)

保育士資格は国家資格だ。試験に合格して取得する方法と、学校に通い、必要な授業と実習の単位を取って卒業と同時に取得する方法がある。
弁護士の多くは難関大学に合格して、更に試験に合格した人たちがなれる。
平たく言えば頭のいい人たちだ。
保育士資格は試験と学校での取得で大変さが違う。(個人の感想です)
私は弁護士と同じ…とまでは行かなくても、それなりにしっかり勉強してきた人がなるくらいでもいいと思うのだ。
せめて試験と学校での取得の差異は無くした方がいい。
それくらい敷居の高い資格、資格のブランド化をはかって、成り手を選別する必要がある。

月50万をいただくということは、質も責任も伴うと思うのだ。

・事務処理や、システムなどを見直し、効率化や、働きやすい環境を作る。

とにかく現場の仕事量が多い。でもその中には確実に無駄だと思われるものも沢山ある。
長年のやり方を変えられずに新しいやり方を受け入れられないことも一因だと思う。

それも仕事量の多さで、こなすことに精一杯で新しいことを生み出す発想すらないのが現状だ。

まずは一刻も早く紙媒体からデジタル化を進めたい。個人的にはコドモンが良さそうだったので、気になる方は見て欲しい。

働き方改革で言えば、だいぶ理想になってしまうが
クラス担任をもっと増やしてもいいと思う。
プラスαがいれば保育の幅が広がるし、急な休みでもカバーしあえる環境がよい。
潜在保育士という言葉もあるが、もう少し現場が疲弊しない人員の組み方をすれば戻ってくる人は増えるはずだ。
現状はとても厳しいが。

色々現実的ではない突破な部分もあるが(そももそも50万も現実的ではなかった笑)
極端に言えばどれもこれも給料が月50万もらえるやりがいのある仕事であれば解決する。

保育士のイメージを変えて、社会的地位を向上させたい。

日本のこれからを担う子どもたちの、命を預かり、人間の根幹となる部分を形成するお手伝いを保育士はしている。
誰にでもできる仕事ではない。
そして素晴らしい仕事だ。
人生かけて、生涯保育士をしたいという人を増やしたい。

まずはその一歩として。

noteに投稿した。

拙い文章で、すみません。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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