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会社を退職した話 #2 (泥まみれの30代)

暗黒の20代を過ごし、30前に入った会社で自転車漕ぎ漕ぎ。
仕事して仕事して、ようやく人並みになってきたある日。

30代⑤:大ナタの毎日
・頻繁な組織替えと踏み絵
・上司が解任され部門解体

新しい役員は典型的な兄貴キャラで、横文字が多いタイプ。
技術と満足度でお金をいただくという、それまでの朴訥とした社風の会社に
プレゼンとファイナンスで稼ぐ価値観を打ち出してきた。

個別に社員を呼んで面談を繰り返し、
古巣から社員を呼び入れて新しい社風を醸成する。
何か変わりそう、という期待感で社内は浮き足立っていた。

新しい役員は自分のところによく来た。
当時マーケを担当していたこともあって、新しい基軸の打ち出しや、社内をどう改善するか?みたいな雑談まで、日に何度も声をかけられた。

難しい相談ばかりで目をかけられている感じはしたが、
コミュ障&アマノジャクなので、食事やプライベートは共にしなかった。
周囲の一部が目をひこうと手もみしているのに醒めたのもある。
(あとでそういうのが大事なんだと思い知る)

新しい役員は管理部門を管掌し、頻繁に組織替えをした。
あるときはカンパニー制、次は機能別組織、と毎回違う割り方。
部課長も毎回変わるので、社員は徐々に次を気にして日参するように。
財務を見て、人事権を押さえて、こういう統治の仕方があるのかと思った。

やがて、自分の上司だった役員が徐々に管掌領域を減らされていった。
そこからは本当に早く、半年ほどで最後は3名の部署を持つのみに。
仕上げに臨時役会で解任。出てきたときの顔は忘れられない。

狭い会議室に呼ばれ、解任の事情を聞いた。上司は泣いていた。
自分が呼んだ人間に能力人格を否定され解任されたのは効いただろう。
「俺と一緒に会社を出て起業しよう」と誘われたが、
当時はまだ法律職に未練があり、もう少しでできそうなところだった。
入社理由は(私を採用した)あなたが一番知ってますよね、と断った。
(当時、よく情にほだされずに言えたなと感心する)

30代⑥:左遷
・技術者に交じって丁稚の日々
・昼はプライドを捨て、夜は副業探し

上司だった役員が会社を去ることになり、下にいた自分に次の矢が来た。
当時、誰によってどんなことがなされたのか大体分かる。
墓に持っていくほどではないが、裏を取る話でもないので書かない。
けどまあ、サラリーマンってこういうことなのかと体で知った。
業務よりそれ(だけ)で食べていく人がいることも、
痛みセンサーがぶっ壊れたサイコパスの存在も、全部勉強になった。

命じられた配属先は技術部。会社の過半を占める部署で文系は自分だけ。
異動に際する期待など色々言われたが、中身はほぼ「やれること探して」という内容。
そして未経験を理由に2段階降格(大まか、5段階中、4→2へ)。

上司になった技術部のトップは面倒見のいい人で、
それまでにも仲良くしてたこともあり、目をかけてくれた。
利害の対立がない時代に仲良くしててよかったw

しかしまあ仕事は仕事。
給料は大きく下げられたとはいえ、もらう以上に働かねばならない。
「これできる?」と聞かれた業務の全部を知らないため猛勉強した。

あわせて開発領域の勉強もした。
入門書を買って、専門書を読んで、社内の技術文書を見て、ざっくり把握。
その後、技術部全体で行われたテストで上の順位になった。見たかオラ!と思った。
したい勉強ではなかったが、迷惑かけないよう、ナメられないように必死。

意地の甲斐あり、A評価を取った(社内で数人と聞いた)。
人事ルールを見る限り、2段階上がりそうな内容だったが評価は無風。給与も全く変わらなかった。「デカい力の方がデカい」という詮無い経験をした。
飼い殺しの逆風の中でAをくれた上司には感謝している(何も変わらなかったけど)。

成果を上げても環境が変わらなかったので、別の道を模索した。
仕事は変わらず全力でやるが、期初のコミット内で150%やっても評価されないことが分かったので、コミット外でデカいことをやる。
夜と週末は、この先に備えて別の方向を開拓する。

時間外では色んな勉強会や異業種交流会に参加し、
個人でも株や投資案件、アプリ制作や中国輸入物販など、色々挑戦した。
(どれも芽が出ず、最後不動産に行きつくのだがそれは別記事で)

30代⑦:リベンジ失敗、さらに泥まみれに
・業務外でデカい数字を上げる
・オツボネの琴線に触れて膵臓を溶かす

何期か経った後、これはと思う情報を見つけた。
急いで調べ、提案書を作り上司へ。
「うちでは無理だよ」と反対されたため、「時間外にやるので」とタンカ切って挑戦することに。

なんでやれる気になったのか自分でも分からないが、
思った以上に良いアウトプットができ、案件が国に採択された。
タイミング良く、(アニキ役員の攻めた金遣いで)創業発の赤字になるところだった期を逆転黒字で終えることができた。
(ドヤりたい時ほど文章は少なめにw)

今期のアウトプットを褒賞規程に入れると賞与は800万、前のこともあるから2階級は無理でも1つは戻せるだろう。
そう思って臨んだ人事査定では「賞与40万」「等級そのまま」「来期は人事兼務」という回答。

失望と腹立たしさでいっぱいになったが、この頃は不動産を始めていたので、この会社にいる限りはもう挽回は無理だなと達観しつつもあった。
新たに言われた人事業務についても理解不能だったが、将来役に立つかなと思い直すことにした。

根がマジメなので(自分で言う)、人事についてダッシュで勉強し、最初の1on1で方向性と戦略を報告した。ときにやらかしてしまった。
色々考え内容は伏せるが、人事課長はアニキが連れてきた女性で仕事力はかなりアレめな人だった。
その人に対して、自分の考える人事像はこう、今の会社の課題はこう、中期的にはこうしたいからまず今期はこんなところから、とやってしまった。

後で知ったことだが、「こういうのはこの先ダメだと思うんです」という人事あるあるを列挙したそれがダメだった。それは全部その人がやってる全てだった。
即座に「生意気」のレッテルを貼られ、絵に描いたような可愛がりを受けた。

・フロアに響く声で叱責
・若い女子の前を選んで叱責
・先週と違うことを言って叱責
・役員の前を狙って叱責

さすがバブル世代はねちっこい。毎日色んなパターンでやられた。
7-8月は(メールで出せば済む)求人票を「スーツ着て!」就職課まで持参しに行く指示。首都圏の60校、駅チカの方が少なくスーツは塩まみれ。
シャクなので6時に出て夕方に仕事を済ませ、各大学の賃貸事情を探りながら歩いた。
(明治大学で「大丈夫ですか?」と日傘に入れてくれた人、今でも好きです)

自分なりにストレス管理をしていたつもりだが、
半年ほど経った頃、夜中に背中の痛みで目が覚めるように。
精密検査の結果、「膵臓の輪郭がないよ」と言われ膵炎が発覚。

この頃は毎日の叱責の結果、声が聞こえるだけで胃が痛くなってたので、自分の場合はストレスが内臓に来たものと思われた。
「ちょっと珍しいレベル、続くと結構まずいよ」と言われ、膵がん化と予後まで出されて是正の警告を受けた。

同じ頃、妻と双方の両親に相次いで大病が見つかり、潮時かなと思うようになった。
まだ不動産も少ないしCFは作り切れてないけど、家族の看病もできない仕事漬けはキツイ。自分の体もちょっとヤバイ。
干されてから4年、どれだけ成果を上げても待遇は変わらない。
やられた借りは返したかったけど、それなりに広く仕事は経験したし、今回は転職して次の職場で見返そう。まずは健康。。。


そんなことを思って辞表を書いたのですよ。
期末の前に出そうと。。。

そしたら私を干していた一派がアニキごと一斉に会社を去ったんです。

ワケわかんない#3へ続くw

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