短編小説『顔にでかいほくろがあって成功しているやつはいない』
ある人が言っていた。「これはただの白い紙だが、インクを落とすと、それは黒い点になる」と。
高校に入ってから、ちゃんと鏡を見始めた。産毛が黒く染まってきたこともあるけど、眉毛をカットし始めたことが大きい。でも、細くすることはなく、ただ、整える程度に鋏を入れた。俺が細くしても調子に乗っていると思われるだけだ。
鏡に映り込むのは、俺の顔と頬のほくろだ。1センチはないけど、7ミリとか8ミリくらいある。なんだこれは。
もちろん高校生になって初めて気づいたわけじゃない。物心つく前には俺の右頬に貼り付いていた。ほくろを意識するようになったのは、多感な時期に重なっていたからだと思う。
中学のとき「スイッチ!」と言って同級生の男が人差し指で俺のほくろを触ったことがあった。いじられたのはそれくらいで、誰かが俺のほくろに触れることさえなかった。誰かが触れていたら、ほくろへの想いは何か変わっていたかもしれない。
例えば習字の授業で、
「顔に墨ついとるで」
「……取れた?」
「いや、まだほっぺに――」
「それほくろだわ!!」
みたいなやり取りがあって、自分の武器になるような体験があればよかったのかもしれない。でもそれは、武器として認めてもらうには小さかったのだと思う。
高校2年生のときだったかな。俺は衝動的になった。
夜、机のスタンドの光だけがついている自分の部屋、宿題の合間に鏡を覗き込む。何度見ても、ある。俺は鍋にこびりついた焦げを削ぐように、力を入れてほくろに爪を立てた。痛い。黒い皮膚が爪の間に挟まる。黒い皮膚の上に血が乗る。それはほんの小さな傷で、見た目は変わらなかった。
でも、それは俺だけにしかわからない傷だった。
ほくろを意識し始めた日から、生きるのが不器用になった。俺はこんなほくろがあるのに、今まで誰かをおもしろおかしくいじって笑い者にしたり、部活で得点を決めるたびにガッツポーズを決めたりしていたのか。
俺は、ほくろがあるのに笑い、ほくろがあるのに朝ご飯を食べ、ほくろがあるのに勉強して―――何食わぬ顔で生きてきたのか。背中に「バカ(教えないでください)」と書いてある紙を貼られて生きてきたようなものだ。
ほくろから毛が生えるようになり、コンプレックスが悪化した。それでも俺は除去に踏み出すことができなかった。ほくろを除去すれば、ほくろを除去したことに触れられる。それはほくろをいじられるのと同じだ。
今までいじられた経験がほとんどないだけに、うまく返せるのか、傷ついてしまうのではないか、不安になった。
しかし邪魔は邪魔だ。俺は、高3の冬休みに除去を決意した。病院にいくのではなく、ネットで見つけた薬を使うことにした。病院に行くことすら恥ずかしかったのだ。
その薬は特殊な液体で、ほくろに塗ると焼けるような痛みとともにほくろがかさぶたのようになって取れるというものだ。しかし、自分の頬に得体の知れない液体を塗る勇気が出ず、腕の小さいほくろに使った。確かに、痛かったけど取れた。ただ冬休み中には治らなかった。
この液体を買うとき、母親に相談していた。母は言った。
「そのほくろキムタクと同じところにあるで。深津絵里もあるし」
……あるのかもしれない。見たことないけど。でもこんなでかいほくろのある芸能人はいない。少なくともテレビに出ている人間にこの大きさはいない。っていうか顔にでかいほくろのあるやつで成功している人はいない。
じゃあ俺がほくろがあって成功したやつになればいいんじゃね? いや、そういうことじゃない。そういうことじゃないだろ。
それから今、俺は25歳になっている。ほくろはもうない。レーザーで焼き払って、今は傷がある。俺にしかない、俺の傷だ。
これから塞がっていくんだ。やっと。
おわり
※投げ銭制です。おまけは「すごいものを見たあとにほくろ除去の小説を書く心情」を書いています。
おまけの内容にかかわってくるリンクを貼っております。
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