エデンの園に惑う蜜蜂。Dickinson"APOTHEOSIS."を読む

はじめに

2023年4月9日開催分です。原文は以下。↓
Emily Dickinson – Come Slowly—Eden | Genius
1890年詩集の編集者は"APOTHEOSIS."という題をつけています。直訳すると「神格化」。apotheosisには、the highest point in the development of something(物事の発達の最高到達点)とか、the elevation of someone to divine status(人物の聖なる状態への向上)という意味があります。端的に言って、不倫であるかもしれない男女の交わりを、聖書の比喩と自然界の比喩を通じて描いていくという内容の詩になっており、確かにapotheosisかもしれない、と思います。
例によって注釈を盛り込みまくった訳案を書いていきますので、ご覧ください。 

訳案

第1スタンザ

 ゆっくりと来なさい——エデン(から/に)[1]!

汝[2]のために使われない唇[3]ども——

恥ずかし気に——汝の[4]ジャスミン[5]を啜る

弱っている[6]蜂のように——

 ―――――
 [1] 前置詞なしで"Eden!"と呼びかけられている。もちろん字義通り、「エデンの園」を指すこともあるが、そこから派生してa place or state of great happiness(大いなる幸福の地、または状態)やan unspoilt paradise(汚されていない楽園)を指すこともある。詩の意味からとると、肉欲を知り、字義通りの「エデンの園」から出ていき、楽園「から」こちらの方に来なさい、という意味に取れる一方で、これからことが行われる場所のことをEdenと比喩的に読んでおり、楽園「に」ゆっくりと来なさい、と言っているようにも解釈できる。

[2] thee:目的格youの古い表現。ここでは前行のEdenを指すと考えられる。Edenは前行の注釈に述べたように2種類の含みがあるが、ここでさらに「土地(場所)であり、theeで指示できるような人間でもある」という二重性を持つ。つまりEdenという言葉は、楽園と愛しい相手を同時に意味している。

[3] 「Edenのために唇が使われる」とはどういうことか。①エデンの園=聖書の詩句を唱えたり、讃美歌を歌うために使われること ②「Eden(人物としての)」自身のために使われること の両方で捉えられ、その否定形によって「Edenのためには唇が使われない」とされているため、①’ 宗教的な行為に背いて ②’ 男性側の喜びのためではなく、女性を歓ばすために 唇が使われる、と考えるべきだろう。

[4] 第2行から意味が続いており、ここでのthyは翻って、Eden(詩の語り手から見て、愛しい相手)から見た「汝」、つまり詩の語り手=女性を指しているかと思われる。素直に読めば、男性が女性に差し出されたジャスミンの香りを嗅ぐ・蜜を吸うということだが、ジャスミンが女性の身体を象徴し、男性がそれに愛撫を行っていると考えるのが妥当だろう。

[5] jasmine; an Old World shrub or climbing plant...(旧世界の、灌木またはつる性植物云々)。ここで旧世界植物のジャスミンを比喩に登場させることで、(ディキンソンが想定した)アメリカ大陸の読み手にとってちょっとした異世界感を演出できるほか、ヨーロッパとアメリカ大陸の違いに連想が働く。「エデンの園から荒野への追放」と「ヨーロッパからアメリカへの移住」という2つの移動の図式が重ね合わせられる。

[6] faintの古い用法としてgrow weak or feeble, declineというものがある。ディキンソンは他の詩でもbashfulやfaintingを動植物の形容として用いており、小さな生き物や「たおやかな」状態を好んでいたのかと思われる。

第2スタンザ

のちの[7]花に到達し

彼女の ねやを周回して[8]、歌を軽く口ずさんで[9]——

のネクター[10]を数え上げ[11]、

——入る、そして芳香の中で途方に暮れる[12]

  ―――――
[7] hisとなっている。thy「汝の」の連続使用を避ける意味もあるかと思うが、ここでは最終行の、行為が終わって途方に暮れる、というオチに向かって、第1スタンザより若干距離を取った視点で第2スタンザが始まっているところに着目したい。また、his flowerや第2スタンザ3行目のhis nectarsという何気ない所有格が、「女性の身体を彼が所有している」という性的なニュアンスを濃密に醸し出している。

[8] roundには三人称単数現在形のsが付いていないが、明らかに動作主体は後のhums, countsと同様なので、動詞ではなく形容詞と考えるべきか。うまく訳出できなかったので動詞的に日本語にしてある。

[9] humには「蜂のぶんぶん飛ぶ音」から派生して様々な意味がある。ここでは第1スタンザ4行目の「弱っている蜂」が主語として継続している。

[10] 花の蜜を指すが、同時にギリシャ神話における神々の美酒も指す。後者の意味でのネクターは飲むと不死を授かるとされており、生命力のイメージが強く付帯する。

[11] 蜂が蜜を採集しているという比喩で考えるのならばCollectsが用いられてもいいように思えるが、Countsという動詞選定により、男女の交わりの描写としても通用する形になっている(具体的に何を指すのか不明瞭だが、男女の交わりの中で喜びを数え上げる、といった捉え方が可能になる)。

[12] 素直に読めば、「弱った蜂が花の中に入り、蜜を抱えてふらふらと飛んでいく」という描写になるが、それを表現したいのならもっと簡素な表現で十分であり、当然ここには「男女の交わりが行われ、終了する」という寝室での光景が重ね合わせられる。なぜ最後に「途方に暮れる」かと言えば、第1スタンザ2行目の、「汝(エデン)のために使われない唇」が伏線として機能するかと思われる。つまり聖書の詩句を唱えたり、讃美歌を歌ったりするのに使うべき唇を、淫らな目的に使い、達してしまったという背徳感か。この男女は不倫的な関係にあるのかもしれない。また、エデンの園を追放されたアダムとイブは荒野に迷うことになるので、"Come slowly——Eden!"という衝撃的な書き出しで始まったこの詩は、確かに聖書的なイメージも内包している。

解釈

意味の意図的な揺らぎ、象徴の多重性

まず第1行から、Come slowly——Eden!と言われ、ComeとEdenの因果関係が解釈できない。読み進めるうちに、to Edenとしても、from Edenとしても解釈できそうだ、と気づく。さらにtheeがEdenを指示しているので、このEdenは土地ではなく恋人として読むこともできる——という風に、厳密に捉えようとすればするほど、解釈が幾通りにも存在し、さらにそれぞれが成立してしまう詩です。

脚韻はabcbの形式が2回繰り返され、歩格の数も3つずつ規則的に並んでいます。Johnson版(ディキンソンが書いた原稿により近い版)だとentersが8行目にきており、7行目・8行目が2歩格・4歩格となって、緩急をつけて締めくくられています。リズムがいいので読みやすく、スッと読み通してしまうのですが、様々なイメージが登場し、汲めども尽きぬ印象を与えます。

ところどころに配置されるダッシュ(——)が読者に考える余地を与えますね。

 最後に

今回の記事はいかがだったでしょうか? 普通に英語教育を受け、日本で働く中ではあまり触れないものの、英詩って面白そう、と思っていただければ幸いです

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