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暮らしとアート-1日に1度キレイを観る-

暮らしの中で液晶越しの情報は平等になりました。一日の内、スマホを持っている時間、パソコンを触る時間、テレビを見ている時間。全部足すとかなりの時間液晶とともに生きています。

しかしながら、各地方の色って必ずあるんですよね。京都には京都の色。東京には東京の色、大阪は大阪の色といった具合に。めちゃ改めて当たり前のことを言うのですが、結局アナログの情報が入ってきやすいんだと思います。

こんな情報社会に何言ってんだ。って感じですが、液晶の媒体から流れる音って日本ではほとんどが標準語or関西弁ですよね。それなのに地方の方言は変わる様子はありません。身体に馴染むレベルでの情報の染み込み方ではないのかと思います。

それもそのはずで考えてみました。

・スマホ、デジカメの写真1枚の平均容量が3MB程度

・5分の音楽が1曲5MB程度

・5分の2D動画が450MB程度※解像度だとかの話は一旦抜きにしてます。

分かりやすく動画の情報って大きいんですよね。

って考えた時に完全3Dのこの現実世界を見て、聞いて、嗅いで、触って、味わってとしたらかなり膨大な容量になるんじゃないかと思います。

5分あたりいくらか、、そんなことを考えてもキリがないので置いといて。結局液晶の情報が進んだとて言っても僕たちの情報の基盤はアナログなんだと思います。

そういうわけで、アナログの世界の中の情報が膨大です。そんな情報を絶えず処理してくれてるのが脳だなと思い↓の本を読んでみました。


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部分的なところですが、今回のタイトルに行き着いた話をさせていただくと、

脳の処理には大きく分けて「トップダウン処理」「ボトムアップ処理」という2種類の処理の仕方なあります。

ボトムアップ処理=物事の構成を理解し、認識すること。

トップダウン処理=経過や知識をもとに、物事を認識すること。

めちゃ簡潔にいうとこんな感じです。犬を見て「猫だ」って人はかなり稀だと思います。これは犬を見た時、構成される要素(顔とか身体とか)を基に認識されてることになります。ボトムアップ処理ですね。

ただ、1枚の絵を見た時、「面白い」と思う人、「下手だな」と思う人、「暗い絵だ」「明るい絵だ」と思う人。それぞれです。これがこれまでの経験や知識で認識する感覚。トップダウン処理になります。

ボトムアップ処理は事実を基に構成されるので人によって差異は少ないのに比べ、トップダウン処理は人との違いが明らかになります。

こう聞くとトップダウン処理って勝手だなーってなりますが、人による認識の違いを意識することこそ、僕は大事なことなのかなと思いました。

そして、その認識、トップダウン処理はアート作品を見ることにより、活性化するとのことでした。

トップダウン処理で怖いのが僕は「思い込み」だと思います。(血液型の偏見とかがそう)ただ、そんなトップダウン処理で、引き出しを増やしてくれるのがアート作品を見ることではないかと考えました。

長くなりましたが、ということで1日1度「キレイを観る」という習慣を作ることにしました。

ここでいうキレイというのが、衛生不衛生、整う整っていないとかではなく、感情が洗われる可能性があるものとして捉えています。

昨日の自分の思い込みを拭い去っていく、そうすることで、認知の引き出しを増やす。

これを「1日に1度、キレイを見る」で試していきます。

サムネになっている作品は+81gallery kyotoにて開催中のREINAKANISHIさんのものです。

気付きという点で、最近最も感情が動いた作品めした。








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